第14話 善良たれ、陰陽師
それは今なお語り継がれる偉大な陰陽師が世を去ってのちの平安末期。
京に渦巻く不安が貴族たちの口にこんな「もしも」を浮かばせた。
「もしも安倍晴明が怨霊となり、都を呪うことがあったら?」
安倍氏は晴明公が内裏に仇為すことなど永久にないと否定した。
だがそれと同時に、今後生まれ出でる強力な術者が悪に堕ちる可能性に、あるいはかの魔境の呪いでその風聞が現実となってしまいうることに、大いに肝を冷やした。
そこで宮廷陰陽師安倍家の嫡流が秘密裏に作り上げたのが、陰陽術で悪事を働いた者を自律的に呪殺する不滅の伝承怪異【桔梗様】だ。
その成立には晴明の母と伝説に語られる妖狐『葛の葉』も力を貸したと語られている。見る者に恐怖を与える桔梗頭の異形に化けた彼女は、畿内各地を東奔西走し術にて不徳を為す輩を身分問わず刺し貫いては縊り上げ、引き裂き殺し畏れを集め回った。
黒幕である安家陰陽師はその逸話を【桔梗様】のものであると言い広め、分家、加茂家、民間の諸派や法師陰陽師、貴族、官僚、庶民にまでもその存在を周知させた。
かくして大いに畏れられ、標戸から離れた京の地で裁きの怪異は誕生した。これで陰陽師の信頼と世の安寧は保たれる。そう思われた。
しかし彼らは、このとき重大な過ちを犯していた。
悪の定義を桔梗様に委ねてしまったのだ。
陰陽師の仕事の一つとして当時当然にまかり通っていた政敵への呪詛呪殺。桔梗様はこれを悪と判断し、官民問わず無数の陰陽師を殺害した。
陰陽師の重要な役目の一つであった占星術による吉凶判断と未来予知。その報告において権力者に嘘偽りを吹き込み恣意的に政治を動かそうとすることを、桔梗様は悪と判断。安倍家加茂家の有力陰陽師を衆目の中惨殺した。
一度広まった噂を一握りの首謀者たちが、既に誕生した桔梗様の裁定を逃れながら制御することなどできるはずもなく。
誅殺要件の定義権奪還は今なお成し遂げられていない。
陰陽師の屍によって築かれた山、流れる血でできた河のその果て。桔梗様出現の条件となる「悪」は、およそ善良な人間の心が「悪」と感じることだと結論された。人を殺すこと。傷つけること。苦しめること。騙すこと。不快にすること。危険に晒すこと。
そんな当たり前の「悪」を、陰陽師は禁じられた。彼らは代を重ねるごとに「悪」に敏感になっていった。
術を用いることに限らず、言葉や行動において人を虐げることすら禁忌に繋がると考えるようになり。やがてその生き方の最大の矜持として「善良たれ」を掲げるようになった。
「子よ、善良たれ」「孫よ、善良たれ」「子々孫々、善良たれ」
「さもなくば、生き残れぬ」
桔梗様という悪を滅ぼす怪異の存在は、小路たち陰陽師に千年に亘って呪いを掛け続けていた。
【善良たれ】
故に小路は言うことができた。「悪用の心配はない」と。
そんなことを考えられる陰陽師は、とっくに淘汰されてしまったから。
◇
「善良たれ……」
「でも善なんて、他の人にとっては悪だったりしませんか? 自分に酷いことした奴が苦しんでるとこを助けちゃう人って、その人にとっては悪……みたいな」
このあと小路がやることになっている親への連絡も、「学校を怪異の魔の手から救う」という善を為すのに必要な事だが、見方によっては「保護者を騙して未成年の子供に不法侵入の片棒を担がせる」という悪なのでは。
カルテの指摘に小路は頷きつつも、指をたてて補足を述べる。
「さすがにそこまでは厳しくないんよ。必要性のあることで、安全性を十分保障できるなら、この類の詐術くらいはわりと見逃してもらえる。最悪でもイエローカードってとこやな」
「イエローカードあるんですか」
「うん。背後とか扉の向こうとか、目に見えへん近くまで足音が聞こえてきてな。一分間術が全く使えんくなる。レッドカードが近いほど足音も近くまで来るっていわれとるで」
「え、ちょっと体験してみたいかも……」
「こらこら、っと」
ほれ、着いたで。 団地の二階の一室、その扉を開く小路。
ニコニコと笑顔を浮かべて二人を部屋に上げる彼女が、さっさと気持ちを切り替えようとして努めていることを深衣は見抜いていた。
──ええなあ、気楽に言える生まれは。
呪いによって「いい子」を強制されている。その点において、陰陽師たちは自分と同じだと深衣は感じた。
けれど彼らは心までいい子に染め上げられているわけではなく、その形になるよう幼い内から教育され、矯正されている。
もしその生き方に、上手く適合できないまま生きなければいけないとしたら……。
深衣には掛けられる言葉が見つからなかった。




