第7話 キャットファイト
「馬鹿ばっか馬鹿ばっか馬鹿ばっかばかばかばかばっかばっかばかばかばっかバカ!!」
「早口言葉みたいなのです」
「赤巻紙青巻きがむぃ黄むくぐみ!!」
「大丈夫ですか? カルテちゃん」
三時間目の終了後、深衣とカルテは特別棟四階の女子トイレにいた。
一時間目と二時間目の後の休み時間は、深衣はクラスメイトと朝の一件や人気者の先輩蘆屋小路についてひっきりなしの会話に付き合わされて、カルテに挨拶をする暇すらなかった。
無理にでも遮っておはようを言いに行こうかと考えた深衣だったが、当のカルテが不機嫌極まる表情で「どうぞお好きにお話なさればいいんじゃないの」という態度を見せていたため、彼女との会話はこの移動教室の合間が今日初めてになってしまった。
深衣はカルテから伝わってくる不快感情と愚痴に共感し、それを相殺せんとする『いい子の呪い』による頭痛に耐えながら、早口言葉を噛むカルテの背中をさする。
「赤巻ぎみ青むくぐみ黄巻くぐむぃ……そういえば『赤い紙青い紙』っていう怪談があるの知ってる? トイレに入ってるとどこからともなく『赤い紙が欲しいか? 青い紙が欲しいか?』って聞いてくる学校の怪談の定番なんだけど」
「落ち着き方のクセがすごいのです……」
「大丈夫。イライラはもう発散したから。あいつら、アタシやミーコがクソボケどもに陰湿極まるいやがらせされてたときは散々無視しくさってきたクセに手のひら返して英雄扱いとかホンットにふざけやがって……ッ!!」
「あたしは気にしてないのです。むしろクラスの居心地の悪いぎこちなさがようやくなくなってくれて嬉しいというか」
「赤い紙が欲しいって答えると体を裂かれて個室が血で真っ赤に染まってね、青い紙が欲しいって答えると血を抜かれて体が真っ青になるの」
「どうしてそこで怪談に戻るのですか」
「黄色の紙だと体が黄色くなる病に罹るとか、白い紙と言えば助かるとか、地域によって多種多様な派生があってね。ある学校では『黙ってやりすごすこと』を選択すると『二度と口が利けないほど怖い目に遭わされる』って言われてるわ」
薄情で日和見で調子のいい世渡り人たちへの怒りを、カルテは趣味の怪談でなんとか抑え込もうとする。深衣は彼女の話に適切に相槌を打って耳を傾け、刻一刻と迫る授業開始時刻を気にしないよう努めた。
「はあ。よし。落ち着いた。それで? 学校中の憧れの的小路センパイと一緒に自殺しようとした先生を助けたんだって?」
「一緒にといっても、ほとんどこみ先輩の活躍なのです。あたしは最後にちょっとクッションになっただけで」
「こみ先輩?」
──は? あだ名?
「あ、実は今朝はこみ先輩と一緒に登校してそのとき……ハッ」
あだ名で呼ぶことになった経緯を弁明しようとして、そのためには自分が霊に憑りつかれたところを陰陽師・蘆屋小路によって助けられたところから話す必要があることに深衣は気づいた。
霊怪隠匿原則。怪異言現と悪霊・怪異の実在および陰陽術の秘密厳守。破ればこれ即ち死刑。
標戸の地の呪いや都市伝説怪異のことは既に知っているカルテだが、陰陽師についてはまだ知らない。新たにそれを明かすことは、原則に抵触するかもしれない。
そしてその部分だけを隠して話すことは、いい子の呪いを受けた深衣には難しいこと。故に、彼女は。
はぐらかすことに決めた。
「あ、明かせぬ事情がありまして……」
「は?」
「あの、お互いのために、これ以上は聞かないでほしい……のです」
「は???」
「あーっ! もう授業が始まってしまうのです! 理科室に急げなのです!!」
「ちょっと???」
──なんかあったやつ、なんかあったやつじゃん!!
「寝取られたぁーーーッ!?」
トイレを飛び出した深衣の背中に素っ頓狂な嘆きが聞こえた気がしたが、共感してしまわないよう必死に別のことを考えて意識を逸らした。
次の四時間目が終わればいよいよ昼休み。小路と話そうと約束をしている。
「立山先生のこと含めて、色々相談したいことあんねん」
その相談というのがどんな内容なのか。共感の呪いが一瞬聞かせた心の声を反芻してみる。
──みーちゃんがおれば、絶対全滅させられるはず。
「どういう意味、なのでしょう……」
◇
「失礼しますー。冷杯深衣ちゃーんがここのクラスって聞いてきてんけどー」
「はっ きゃっ 小路さまぁあああああああああああああああ!?」
たちまち教室がざわめく。昼休みが始まって五分ほど経ったころ、一年四組の教室に白い少女がやってきた。
澄んで清らかな高い声と関西弁のギャップ、紺色をべースとした制服に怖ろしいほど映える美しい白髪。その場の注目は一瞬で彼女へと集まる。そして一拍置いて、その内容へと意識が向いて。
「レイさん、レイさんをお呼びですって!!」
「冷杯! 冷杯ーッ!!」
「あ、はいなのです……」
狂ったようにコールするクラスメイトを鎮めるべく深衣が手を挙げて出る。
椅子から立ち、机の上に置いていた弁当箱の入った巾着を回収。対面に座して一緒に昼食を摂ろうとしていたカルテに断りを告げ、その場を離れようとした。
ガタン! 深衣の背後で椅子を弾き飛ばして立ち上がったカルテは、どすどすと足音を踏み鳴らしながら深衣と小路の間に割って入る。
身長163cm。際立って高いわけではないものの、眼前に迫る女子としては迫力十分。拳一つほどではあるが背丈で勝るカルテが小路を見下ろす形となった。
「アタシのミーコに、何か用ですか」
「えぇ……っとぉ」
深衣の立つ位置からはカルテの背中で隠れて見えないが、小路の困惑はその声色から窺い知ることができた。
「お友達? ごめんなあ、ちょっとみーちゃんと大事な話あって、お昼休みの間借りてええかな?」
「大事な話ってなんですか」
「んーーーー」
小路は目だけで周囲をそれとなく見回す。移動教室のあとの昼休みはそのまま食堂に行く生徒や自販機で飲み物を買う生徒がいるため、普段より一層残っている者は少ない。だがその場に残っているのは『小路ファンクラブ』なる秘密組織に属する雀ヘアピン少女を始めとした、今朝の一件にお熱の生徒たち。
会話はつぶさに聞かれてしまっている。
──耳晦ましでなんとかなる感じやないわな……。
「ここではちょっと言えへんことなんよねー」
「じゃあダメです」
「えぇー?」
「お引き取りを」
「そこをなんとかぁ」
「無理です」
「……えー」
真正面から対面する二人。カルテは頑なに譲らず、小路は状況を測りかねている。口ぶりから深衣に強い執着を寄せる人物ということは読み取れていたが、そんな強硬な態度を取られるのが久しぶりにすぎて困惑していた。
いわれのない拒絶。小路はやや荒んだ気持ちから乱暴な質問を投げてしまう。
「あー。キミは、みーちゃんの所有者かなんか?」
「はい。そうですが」
「マジで。みーちゃーん? 言われてますけどー」
「えっ、あっはい。過言ですが方向性は合ってるのです」
「過言じゃないんですけど!」
「方向性合ってんの!?」
──どういう関係!? も、もしかして、恋人、いや、所有物て、えっ、……えぇ!?
困惑を深める小路。彼女の赤面に勝機を見たか、カルテは眼光を鋭くして「お引き取りを」と繰り返す。
カルテのその背中から、必死な心中の声が深衣へと伝わる。
──蘆屋小路。二年の転校生の先輩。たった三か月で、『学校のアイドル』になった人。……学校のアイドルって、なによ?
それは強烈な警戒心。眉に唾を付す逞しい猜疑心。
アニメや漫画の世界でもあるまいし、ファンクラブができるような人気者の生徒なんているのはおかしい。この女は何か、怪しいカリスマのようなものを持っているのではないか。人を騙し誑かして、自分を信奉するよう仕向けているのではないか。
そして今、その毒牙が『アタシのミーコ』に及ぼうとしているのではないか。
焦り、緊張、不安、不愉快。カルテは追い詰められ、聞く耳というものを失っていた。
共感の呪いが発動する。深衣もまた、小路の人気に恐怖を抱き、不安になって後ろからカルテの制服の裾を摘まんだ。
その様子を、第三者たちは不審に思い始める。
「……ねえ、なんかおかしくない?」
「空気悪そうだよね。なんで……?」
「てか大宅さん、ちょっと……さ」
「だよねぇ……」
ひそひそと話す声が三人の耳に入る。
遠巻きに様子を伺っていたクラスメイトたちが不穏な空気を感じ取って、険悪な想像を膨らませ始めていた。
──うわこれ、アカン。このままやと……。
小路が素早くその気配を察する。
この状況を作り出した頑固な人物を、見物人たちは罪人と見なそうとしていた。小路という絶対正義に盾突く、石を投げられるべき者。
無言のうちに裁かれたその人物への批判は、沈黙が続くごとに喉をせり上がってきて。
ついにカルテへと野次が飛ぶ、その直前で。
「よぉーしわかったっ! ほな、三人でお昼にしよ! な? キミと、みーちゃんと、ウチの三人! それでええよな、みーちゃん!」
「は?」
「えっ」
「な! みーちゃん!」
──みーちゃーーーん! たすけて! この子なんとかしてー!!
体を左右に振ってカルテの脇から小路が深衣に訴えかける。
涙目の彼女の意図に深衣はすぐに同調した。「それでいいのです! それがいいと思いますです!」全力で肯定しカルテの背中を押す。
「ちょ、え、ミーコ、この人の肩持つの!?」
「も、もう事情を話すので今は黙ってついてきてほしいのです……!」
「イヤ! そういって何か怪しいことする気なんじゃないの!? 催眠アプリとか洗脳カウンセリングとかマインドコントロールマイクロウェーブとか」
「んなもんあるかいな……! ホンマなんもせーへんから、みーちゃんの友達はウチの友達、そんなことするわけないって……!」
「そんなことする人の言い方じゃないですか!!」
「あのっ、あのーッ!!」
無理やりに教室を出ようとする三人に、声を掛けてくる少女がいた。
雀のヘアピンをした彼女、別のグループであまり付き合いのなかったその生徒の名前を深衣はこの日初めて知った。
雀子詩乃。クラスでは影の薄い彼女は、熱狂的な小路信者だ。




