第1話 霊媒体質の呪い
高い人口密度が大小様々のストレスを人々に与える朝の電車内という空間で、冷杯深衣は一際辛そうにしている一人の女子高生に気づいた。
扉の傍で窓側へ向かって立つ彼女は俯いて、手すりを両手で掴んで小さく震えている。ただごとではない様子なのに、周りの人間は何の反応も示さない。
深衣にはそれができなかった。
深衣の心には今、大きく二つの感情が去来していた。
一つは、苦しみ。あの俯いた少女の心に渦巻く苦しみ、悲しみ、恨み、そして無力感や諦念、孤独、切ない祈りに至るまですべて自分のことのように感じられる。中でも最も深衣に共鳴していたのがその胸を締め付ける感情だった。
そしてもう一つ、深衣本人の心から起こったものが、使命感。深衣は今現在ただ一人の償うべき友人のために生きているが、その友人といないときには全方位に対して親切で慈しみ深く善良な少女だ。彼女は扉の前で苦しんでいる少女を救ってあげなくてはという気持ちで燃えていた。
たとえそれらが、脳をレーザー照射で改造してくる怪異によって刻みつけられた『共感の呪い』と『いい子の呪い』によるものだとしても。
それだって 今ここにいる 深衣なんだから
十三日前、怪異退治の怪異少女に言われたことを思い出す。背中を押されたような気持ちがした。
暖かな勇気を胸に人垣をかき分け、深衣は俯いた少女の傍へ来て後ろから小さく声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
少女が振り向く。
つぶらな瞳を潤ませて、雫が頬を伝っていた。
この言葉じゃない。深衣はすぐに悟って言い直す。
「大丈夫。大丈夫なのです。あたしはあなたの味方です。大丈夫。大丈夫……」
さらに傍へ歩み寄って、二の腕を触れ合わせて、冷えた肌へ熱を伝える。安心を与えようと、優しく穏やかな声色で話す。そっと微笑んで、安寧がここにあることを示す。
深衣が差し伸べた救いの手。最初は戸惑った少女もやがて壁を融かして忘れ、小さな嗚咽を深衣の胸の中で零した。
[次の駅は、鈴山。鈴山。お下りのお客様は…]
アナウンスが聞こえて、深衣は小さく少女へ伝える。「次の駅で降りましょう」小さな口をきゅっと結んだ少女が、ただこくりと頷いた。
人ごみと共に電車を降りて、集団の流れから抜け出した深衣はホームのベンチに腰掛ける。
隣りに座った少女が何を考えているか、言葉で聞かずに知ることは深衣にとってもはや容易いことだ。共感の呪いは息をするように深衣の心を少女と同じ状態にする。
痴漢された。
恐かった。恐い。
気持ち悪かった。気持ち悪い。
誰も信じてくれなかった。誰も信じられない。
疑われた。
「アンタが痴漢されるなんて天地がひっくり返ってもないやろ」
疑われた。
突き放された。
「専用車両行きゃええやんか」
突き放された。
信じてくれなかった。わかってくれなかった。
恐かった。けど、私だって信じられなくて。もうわけがわからなくて。
同じ車両、同じ時間…………信じられないことが繰り返されて。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
「ううううう……っぐす、ううっ……ぅ、うううう……」
「っ……大丈夫、大丈夫なのです」
手のひらでぐしゃぐしゃの顔を覆う少女に、深衣は同じ言葉を繰り返す。肩を寄せて、呻き嘆く彼女の頭を撫でながら。
「あたしはあなたのこと、わかります。寄り添ってもらえなかった悲しい気持ち、助けてもらえなかった苦しみ、全部全部わかります。あたしがいます、ここにいますから、もう、大丈夫ですよ……」
ゆっくりと手を前後して、少女の髪を優しく撫でる。
大丈夫、大丈夫。そう囁きながら。いつまでかかるかなんて考えもせず、ただひたすらに、無償の愛で彼女を慰める。
するり、するり。頭を撫でる。
ずるり。
撫でる手に奇妙な感覚がする。
しゅるり。しゅるり。手触りが先ほどまでと違う。
少女を見ると。
撫でていた髪の毛は、頭皮ごとずり落ちていた。
赤々とした肉の下に白い頭蓋骨が確かに覗いていた。
「ほんとに 私のこと わかってくれるの……?」
涙はいつのまにか真っ赤に染まっていた。
垂れ流す眼球は赤黒く濁っていた。
「だったら あなたも 私 みたいに」
腹に抱き着いたそれは深衣の中へ溶けていくように入り込んで。
深衣の体は勝手に立ち上がって線路に。
「私みたいに あなたも死んで」
冷杯深衣。三つの呪いを怪異に焼き付けられた女子高生。
相手の感情や心の声を読み取り共感する『共感の呪い』
行動原理を善良優等ないい子になるよう染められ矯正される『いい子の呪い』
そして、三つ目の呪いは……『霊媒体質の呪い』。
彼女には霊が人と同じ様に見える。




