六度目
それは、いつもと変わらぬ平和が訪れると皆が思っていた、ある晴れた気持ちの良い朝のことだった。
突如悲鳴が、怒号が、そして爆発音のようなものがアルコの街を包んだ。
「皆! すぐに出るんだ!」
最初に叫んだのはルイだった。まだようやく市場で人が動き出したか、と言う早朝だというのに、彼はすでに身支度を整えており、その手に剣を握りしめている。
ちょうど鍛錬のために起きようとしていたジョルジオが真っ先に宿の部屋から飛び出してくる。
「なんだ?! 何があった?!」
服装はラフながら、その手にはしっかりと武器を握っているあたり流石というべきだろうか。
次いで慌てて寝間着から旅着に着替えたのだろうヴィヴィが、杖を片手に階段を駆け降りる。その間も外からは悲鳴と破壊音が止まない。
「襲撃だ! すぐに迎撃を!」
ルイは叫ぶなり宿から飛び出していった。ジョルジオとヴィヴィは顔を見合わせる。
「先に行くぞ!」
「負傷者には教会へと指示してください!」
ジョルジオが駆け出し、その姿が消える前に後ろ姿にヴィヴィが叫ぶ。それから宿の従業員たちに避難するように指示し、ヴィヴィは宿の二階に向かって叫んだ。
「ミスティさん! 先に行きます!」
返事を待たずにヴィヴィは宿を飛び出した。
一方ミスティはと言うと、流石に近距離で聞こえた破壊音に目覚めないわけがなかった。仲間たちの大声も聞こえている。
「ッサイわねぇ……あ~……頭痛い。なんなのよ……」
二日酔いの頭を抱え、よろよろと部屋を出てきたところだった。
昨晩もまた潰れるまで飲んでいたのだ。役に立たないバーチが唯一役立つ状態異常無効魔法を使う絶好の機会だというのに、肝心の男はすでにいない。
絶えず聞こえる悲鳴がまた頭に響く。ミスティは痛む頭を押さえつつ、ようやく宿から外へ出た。入り口に活けてあったカサンドラ・リリーを無断で摘み、髪に挿し、通りへと出る。
美しく整備された石畳の大通り。凱旋の宴の時そのままに通りや建ち並ぶ家々を飾っていた花々。それらは見るも無残に破壊されていた。地面は歪み、建物は崩れ、花は踏み潰されている。
「な……なによこれ……?!」
流石に頭痛を忘れて驚愕する。
悲鳴を上げ、逃げ惑う人々。それを追い立てて食らいつく魔物。そう、魔物だ。なぜこんな町中に?
大型の肉食獣型の魔物や、トロール、ゴーレム、昆虫型のものもいる。上空では飛行型の魔物も旋回しているではないか。どれも近隣の草原や森にいる魔物よりも一回りも二回りも大きい。巨大化した上、狂暴化しているようだ。
遅い掛かってきた昆虫型の魔物を爆発魔法で爆散させ、ミスティは周囲を見回す。
建物の下敷きになった者、魔物の餌食になった者、今なお交戦中の者。どこを見ても阿鼻叫喚の地獄だった。
「おかしいじゃない……なんで? どうして……?!」
ミスティは動揺を隠せず、ただ地獄を見渡した。
おかしい。今まで何度も死に戻ってはアルコの街からやり直してきた。何度も街を後にして別の目的地に向かったが、アルコが襲撃されたという話は一度もなかった。
だからこそアルコに残ったというのに。安全なはずなのに。どうしてここが襲撃などされなければならないのか。
動揺していると、不意に辺りに影がさした。おかしい。皮肉なほど晴れ渡っていたのに、なぜ?
ふと上を見たミスティは、驚愕に目を見開いた。
竜だ。上空に竜が飛んでいる。それが日光を遮って影を落としているのだ。
町の住民たちも空を見上げ、その姿を目にする。そして一層パニックになった。我先にと逃げ出し、通りは一層混乱に陥る。
あの竜は一体なんだ。魔竜は討伐したはずだ。それなのになぜ、まだ竜がいる? まさか討ち損じていたのか? 或いは魔竜の番か、血族か……。どちらにせよ放ってはおけない。
幸い竜はまだ遠い。街中で暴れられては厄介だし、そうそうに撃ち落とすほうがいい。
ミスティは杖を構えた。詠唱を開始する。……が、逃げ惑う住民たちに押し流され、中断される。
「なっ……ちょっと! 邪魔よ! どきなさい!!」
ミスティが怒鳴ろうとも、パニックを起こしている住人たちに聞こえはしない。むしろ逃げる住人たちにミスティが突き飛ばされそうになる始末だ。
冗談ではない。こんなところでは詠唱すらまともに出来ないではないか。住民だからまだましだったものの、これが魔物だったとしたら?
ミスティは詠唱をやめ、ジョルジオを探すことにした。詠唱中の守りを固める盾が絶対に必要だ。特にこんな、混戦の時は。
アルコの街は広く、先に宿を出たジョルジオがどこに行ったか見当もつかないが、とにかく騒ぎが大きい方に行けばルイはいるだろうと踏んで、ミスティは街の入口の方へ向かった。魔物が正面から入ってくるかどうかは知らないが、少なくとも街を囲んでいる柵をわざわざ乗り越えるよりは、開かれている門の方へ行くだろう。
案の定、街の入り口付近には魔物が押し寄せていた。住民はほとんど避難したのか、ルイとジョルジオが遠慮なく攻撃を繰り出していた。
「クソッ、なんなんだこの数は! どうなってる?!」
「なんとしてもここで食い止めるんだ! これ以上被害は出させない!」
「わかっちゃあいるが……!」
光の剣を振るい、ルイが魔物を両断する。ジョルジオも盾で弾き飛ばしながら攻撃するが、二人でどうこうできるような数ではない。
「《サウザンド・ボルト》!」
ミスティは群がる雑魚を蹴散らし、二人に駆け寄る。ジョルジオが声を上げた。
「おお、ミスティか!」
「一体どういうこと?! なんでこんな襲撃が?!」
合流したミスティは開口一番言った。「こういうことがあるかもしれないから」と待機を進言したのはミスティだというのに、現状に混乱して気が回らない。
「恐らく魔竜の残滓に集まったんだろう……。まさか本当にこんなことが起きるなんて」
ルイの言葉に、ようやくミスティはハッとした。そしてすぐさま便乗する。
「ええ……そうね! でもほら、残ってて正解だったでしょ? やっぱりアタシの言った通りだったじゃない!」
「ああ……そうだね。ミスティのおかげだ。残っていてよかった」
ルイの同意にミスティは鼻が高い気分だったが、しかし問題は自分の読みが当たってしまったことでもある。
平和なアルコの街で死の危険を回避したつもりだったのに。一体どうしてこんな事態になっているんだ?
入り口付近はルイたちがほぼ制圧しているが、街はあちこちから火の手が上がっており、冒険者たちも分散してしまっている。怪我人は教会に誘導しているが、それでも全てを救うことは出来ないだろう。
「皆さん!」
「ヴィヴィ!」
ミスティよりも先に外へ出ていたはずのヴィヴィが後からやってきた。恐らく道すがら怪我人を治療したり教会へ誘導したりしていたのだろう。
「間に合いましたか! しかしあれは一体……?!」
ヴィヴィの視線が上空に向いている。つられてミスティも上を見上げた。そうだ、竜だ。さっきよりも低く、街に近い位置にいる。
確実に近付いてきているそれを撃ち落とそうと、ミスティは詠唱を開始した。ここなら邪魔されることはない。
「迸れ雷光、吹き荒べ豪風、怒りは焔へ、焔は弓へ。我が敵を穿て、《エレクトロ・ブラスト 》!!!」
宙に浮かび上がった巨大な魔法陣から、竜目掛けて一直線に、雷を帯びた青い炎の光線が放たれる。触れた物は空気に漂う水分ですら一瞬で蒸発させるほどの高温の雷炎だ。
狙い通りにそれは竜を撃ち抜き、上空で大爆発を起こした。皮肉なほどの青空にはずいぶんと不釣り合いだ。かなり上空での爆発だったが、その爆風はミスティたちの肌をも焦がさんほどだった。
「やったか?!」
ジョルジオが拳を握る。爆炎と煙が風に流れゆっくりと晴れていく。そこには、
「な……?!」
「ウソでしょ?!」
「無傷……だと……?!」
「そんな……!」
先ほどまでまるで変らぬ、竜の姿があった。
「な……なんで?! 絶対に当たったはずでしょ?!」
「待てミスティ! あの竜、何かおかしい!」
ヒステリーに声を荒げるミスティにルイが冷静に告げる。先ほどよりもさらに近くまで飛来してきているその姿は魔竜のような漆黒の体躯から、絶えずドロドロとした汚泥のようなものを生み出していた。
竜が羽ばたくとそれが周囲に飛び散り、真っ黒な黒煙のようなものを上げながら地上へと落下していく。
「何だあれは……?」
竜はゆっくりと確実に近付いてくる。その体からも黒煙が噴出しているのが見えた。どろどろと流れ出る汚泥がその体の上でぼこぼこと沸騰しているようだった。こんな形状のものは見たことがない。
「あの黒いものは一体……?」
「まさかあれのせいで魔法が通らなかったの?」
誰一人見たことのないその姿に、一同は困惑し、武器を構えたまま動けずにいた。
「とにかく攻撃だ……これ以上近付けるわけにはいかない!」
ルイの言葉に一同は武器を構えなおす。しかし、近付いたとはいえ相手がいるのは遥か上空、実質ミスティかヴィヴィにしか攻撃は出来ない。しかしミスティの魔術は先ほど放った魔法が一番火力高いものだったのだ。あれが防がれたとあっては、攻撃の通じるものなど思いつかない。
「あれが何かはわかりませんが……とにかくやってみましょう! もし瘴気の類なら、浄化が通じるかもしれません!」
「頼む。ミスティ、ヴィヴィの浄化に合わせて攻撃してくれ!」
「チッ……わかったわよ! その代わり詠唱中はちゃんと守ってよね!」
「おう、任せろ!」
ヴィヴィが聖魔法の詠唱を始めるのに合わせてミスティもまた先ほどの魔法の詠唱を開始する。街の外から入ってこようとする雑魚はルイが蹴散らし、ジョルジオが詠唱をする二人を背にするように立ちはだかった。
「其は汝が為の光、其は汝が為の福音、其は汝を導く神の尊……《ホーリーライト》!!」
「迸れ雷光、吹き荒べ豪風、怒りは焔へ、焔は弓へ。我が敵を穿て、《エレクトロ・ブラスト 》!!」
ヴィヴィの杖から溢れんばかりの光が放たれ、竜の姿を飲み込んでいく。ミスティの放った雷炎がその後を追い、光ごと竜のいた場所を貫いた。さっきよりも近くで爆発が起こる。咄嗟に腕を上げて頭を庇い、爆風で吹き飛ばされそうになるのをなんとか耐えた。
「やったか?!」
ミスティとヴィヴィの盾になっていたジョルジオが空を見上げる。ルイもしぶとく残っていた魔物を斬り捨てて空を見た。
その時だ。
突如、爆発の中心部から真っ黒い泥が弾けるように広がった。まるで巨大な布を一気に広げたように、それは弾けた箇所を頂点として、地上へと流れ落ちる。
「なっ、……?!」
夜の帳が一瞬で降りたかのように、それは街を、人を、魔物を包み込んだ。空から地上を見れるものがいたとしたら、アルコの街が真っ黒なドームに覆われた様を目の当たりにしただろう。
ミスティたちはもろともに黒いそれに包み込まれた。
『中』に入った時、そこに音はなかった。光もなかった。そこには何もない。ただ、静かで、凪いで、動くものも、騒ぐものも、ひとつもなかった。
黒いドームは少しだけそこで静止した。
それから、消えた。
街一つを飲み込んでいた巨大なドームは、小さく小さく小さボール状に圧縮されて、しかも一瞬で、消え失せた。
建物も、人も、魔物も、何もかも消えてしまった。
更地だけがそこに残され、最初から何もなかったかのようにただ風が吹き抜けていった。




