危険な気配
旧タリア領主城。
領地再編によってフィス地方がタリア領から分離する前まで、使われていた城である。
旧タリア領は、フィス地方の北部と現在のタリア領の南半分を有していた。
現在のタリア領の北半分に当たる「旧ペンフリー領」がタリア領に併合された際に、あまりにも領地が広くなってしまったためフィス地方の広い農耕地を王家が直轄領として召し上げたのだ。
旧タリア領主の城はフィス地方に近いところに作られていた。フィス地方が王家直轄地となり北のペンフリー領側に領地が広がるとなると些か政務がしにくく、領主はより領地の中央に近いところへ居住を移したのだそうだ。
破棄された城は、森に囲まれていたことも相まってか急速に往来が途絶え、手入れをする者もおらず一気に廃墟化した。
広く開けていていつも明るい日差しの降り注ぐフィスの穀倉地帯の人々からしてみれば、領地の境を超えたすぐ先にある暗い暗い森は畏怖の対象だった。フィス地方側から森を抜けてまでタリア領へ行こうとする人間はいなくなり、今では魔物が棲みついているという噂もある。
しかも、誰一人として近づく人間がいないため、それが本当なのかただの噂なのかもはっきりしないという話だ。
「タリアの……ああ、あの森の城ですかい。あそこはここいらの人間は絶対に近付かない場所ですなぁ」
タリア領の旧領主城が一番怪しいとあたりを付けた一行は一度農園に戻り、農園主から領主城に関する情報を仕入れることにした。
ずんぐりむっくりとした恰幅の良い農園主は、話題にするのも恐ろしいと言わんばかりに大きな体を震わせた。どうやらそこについての話はこのあたりではタブーらしい。
近隣に住む者は子どもたちであっても絶対に近付かないのだという。うっかり森に入ったら最後、戻って来られないと言う迷信のような噂まであると言う。
「実際に何かが棲んでいるとか、魔物を見たという話はあるのか?」
「いやぁ……そんなもの見てたら、働き手がいなくなっちまいますよ。でも……鳥なんかよりももっとでっかい羽音がしただとか、真夜中に森の方から唸り声がしただとか言う奴は時々おるんですが……」
「羽音に唸り声か……」
まさしくジョルジオが当たりを付けたハーピィか、或いはワイバーンが潜んでいる可能性は高くなった。ハーピィは甲高い声になるので、どちらかと言えばワイバーンか。その程度であれば、魔竜を討伐した一行に倒せないほどの敵でもない。
「音を聞いたのはいつ頃かは覚えている?」
「いやぁ……ワシも聞いた話ですから……。ただ、そういうのは大体暗くなってからですなぁ。見回りの若い衆が聞いたとか、悪さして夜中に遊んどった子が言うとったとか……」
家畜の襲撃も夜間に起こっていると言うことは、同一の魔物の仕業である可能性は高い。ただ、タリア領主城が廃墟になったのは最近のことではない。もう数年は経っているはずなのだが、つい最近まで家畜の被害がなかったのは気になるところだ。
農園主が「滞在用に」と提供してくれた客室に戻り、一行は顔を突き合わせる。今後の動きについての確認と、おそらく確実に城にいるであろう魔物についての予測のためだ。
ミスティも、これまではそう言った話し合いには積極的に参加はしなかったのだが、流石に今回ばかりは自分の命運も掛かっているため真剣だった。
「どう思う、ジョルジオ」
「まあ……おそらくワイバーンなんじゃないかと思うが……」
ジョルジオは顎をさすりながらルイに答える。それにしては歯切れの悪い声色だ。
「煮え切らないわねぇ。ほかの可能性があるわけ?」
こういう時真っ先に口を出してしまうのがミスティだった。基本的に速戦即決を好む彼女は、作戦会議だの行動計画だので話し合うのは嫌いなのだ。
仕方なく参加しているが、あーだこーだと長引くのはそもそも性に合わない。
「うーん、系統は飛行型の魔物で合ってるはずだ。だがこう……襲撃のパターンがいまいち掴めなくてな」
ハーピィにしろワイバーンにしろ、基本は群れで行動し、狩りをする。今回の家畜の被害は、この農園が立ち行かなくなるほどではない。大きな群れではないとして、巣に持ち帰らずその場で殺されているものの説明がつかない。持ち帰ろうとして落としたか、何らかの衝動的な攻撃か、いずれにしても派手な外傷はできるはずだ。
「唸り声の話からして、ハーピィは候補から外してもいいかもしれないですね。それに、体格的にも……」
ヴィヴィが控えめに言う。ハーピィは上半身が人型なため、鋭い牙はあっても顎の構造的には魚や小動物の方が捕食しやすいだろう。集団で大きな獲物を狙うということも考えられるが、そのような例は少ないと思われる。
竜種のワイバーンであれば唸り声も不思議ではないし、山羊や羊くらい丸呑みにしたり引きちぎることも可能だろう。
一方で繊細な力の使い方なんてことは出来ないので、その場で食い散らかさずに行儀よく持ち帰るというところが引っかかる。
「じゃあほかの魔物ってことじゃないの? グリフォンとか?」
煮え切らない予想にミスティが溜息をつく。深く考えずに思いつきで例を挙げるところが彼女らしい。そういった話は嫌いだと言う態度が滲み出ている。
「その可能性もあるな。それに、何も飛行だけが対象じゃない、浮遊、って可能性もある」
ジョルジオが肩を竦めた。地面に形跡が何もなかったから飛行型だろう、という推測ではあったが、それ自体が覆ってしまうとせっかく候補を絞った意味がなくなってくる。
「ちょっと、アンタが飛行型って言いだしたんでしょ。はっきりしないわね!」
「そう言うなよミスティ。流石に判断材料が少なすぎだ。もう少し情報があればオレもある程度は絞れるんだが……」
ジョルジオはキャンキャンとうるさいミスティを軽くいなす。黙っていたルイが口を開いた。
「……もっと上位種の可能性はないかな? 例えば知能があるような……」
全員が動きを止め、ルイを見た。
知能がある。
それはすなわち、即座に高難度の依頼が確定となるということだ。知能の高い魔物に関しては、それぞれ固有名詞がついたり、特別な措置や道具が必要になってくる場合がある。相手が特定できない状況で戦うのは難しいだろう。
「……どうするのよ、もしそうだったら……」
いくらなんでも準備もなしでは動けない。この農園で様子を見るにしても、いざ敵が分かった時に準備が出来る環境でもない。一度街へ行き、態勢を整えるのが得策だろう。
「偵察に行くにしても、今のオレたちじゃあな……万が一エンカウントした時が心許ない」
実際にタリア領主城跡を偵察するかという話は出ていた。そのために農園主に情報提供を求めたのだ。それが逆に難しい状況になるとは、誰も思ってはいなかった。
ジョルジオのため息交じりの言葉は準備不足の今を嘆く何の気ない一言だったが、ミスティはカッとなって食って掛かった。
「何よ、アンタ今更バーチがいればとか言い出すんじゃないでしょうね?」
きつく吊り上がった目がジョルジオを睨みつける。
そう、バーチがいれば。彼の補助魔法で広範囲にソナー状に魔力を流して敵を感知したり、移動速度を速めた上で認識阻害魔法で隠密しながら行動することも可能だった。戦闘以外の部分で、バーチの恩恵はかなり大きかったのだ。
彼らがどんな強敵と戦っても勝てていたのは、かなり遠い位置からも敵の居場所がわかって、尚且つ鑑定や分析のスキルで弱点まで容易にわかっていたからなのだ。
「戦闘中のお荷物」「態度が気に入らない」「身分が最底辺」などと言った理由では、それこそ切り捨てられないくらいに。
「別にそんなことは言ってないが、今までなら出来たことだ。それは事実だろう」
「じゃあアルコの時点で連れ戻しとけばよかったじゃない! アンタだって最終的にはルイに言い包められたんだから今更グダグダ言わないでよ!」
「おいおいミスティ……何をそんなに怒ってるんだ? 別にオレは誰も責めちゃいない、ただ「今は出来ない」と言ってるだけだ」
「だから……っ」
「ミスティ、やめるんだ」
仲裁に入ったのはルイだった。ジョルジオの「やれやれ」と言いたげな表情を見るや、ミスティは拳を握りしめて歯軋りをした。
「ルイ! アンタも何か言ってやりなさいよ!!」
「いいんだ、ミスティ。バーチの追放を決めたのは僕だ。総合的に判断したが、相談しなかった非は僕にある。この依頼を受けた責任も」
「ルイ、オレはそういうつもりで言ったわけじゃ」
「ジョルジオ。そう言わないでくれ。偵察には明日の夜僕が行こう。皆は森の外で待機してくれ。何かあれば合図をする」
二人を押しとどめたルイは淡々とそう言う。恐らくミスティとジョルジオが口論になる前から、そのように考えてはいたのだろう。何も言わなかったのはそのせいだ。
しかし、正体不明の敵がいる森に単身で、しかも王子であるルイが行くなどもっての外だ。ジョルジオとヴィヴィが慌ててルイを止めた。
「待て、ルイ。そんな危険なことはさせられん」
「そうですよルイ、それは無謀です。相手の規模もわからないのに!」
しかし、ルイはどうも二人の話の聞く耳を持たない。彼は案外そういう、一度決めたら引かない頑固なところがある。ミスティは別にどちらでも構わないと思っていたのだが、これまでの死に戻りのパターンを考えると、ルイだけを行かせるとこっちが危険に晒される可能性がある。それは避けなければならない。
「そうよ。一人で出来ることなんてそう多くないんだから、ここでルイが無理する必要なんてないわ。期限が決まっているわけでもないし、準備してからでも遅くないわよ」
珍しくミスティまでそんなことを言ったものだから、三人が目を丸くしてミスティを見た。
「驚いたな、お前がそんなことを言うとは」
「どういう意味よ。……アタシだって仲間の自殺行為くらい止めるわよ」
仲間だなどと都合のいい時しか言い出さない女だが、ミスティはここぞとばかりに殊勝な態度をとる。
普段ならばジョルジオあたりがもっと茶化したかもしれないが、流石に今はルイを止める方が優先だった。
「そうだな……ルイ、何も今日明日中にケリをつけなきゃいけないわけじゃない。あくまでオレたちは「調査依頼」を受けてきたんだ。ギルドに人員を要請した方が良い」
「……だけど、実際にこの農園は被害に遭ってるんだ。のんびりしている場合では……」
「確かにそうですが、斥侯でもないのに単騎で偵察なんて無謀です。能力のある人を頼ることは、のんびりしていることとは違いますから」
懸命な説得によって、ルイの勢いも若干落ち着いてくる。明日ギルドに連絡して斥候を派遣してもらうことなり、一応の決着となった。押し問答をしているうちに、すっかり夜も更けてしまっていた。
「とりあえず、今のうちに情報の整理だけでもしておきましょう。斥候への共有も楽になりますから」
ヴィヴィがそう言ってメモを取り出した。農園主から聞いた話と、実際に農園を回った結果を書き出していく。
『被害は、山羊・羊等、中型の家畜が数頭。人的被害、建物被害なし。
最初の被害では、北の端の柵付近で血を流し倒れているのを発見。外傷はあまりなく、血を流していたが大量ではない。消息のわからないものは連れ去られた可能性がある。
地面に獣の足跡、地を這った痕跡はなし、地中の状態にも異常はなし。空からの襲撃の可能性大。
農園では鳥よりも大きな生物の羽音、タリア領側の森からは唸り声の情報があり。
推測:ワイバーン、ハーピィ、グリフォン?』
ヴィヴィの書き起こしたメモに、残りの3人が目を通す。ミスティは、特に書いてある以上のことは何も思わずソファにふんぞり返った。
「ほかに何か懸念事項はあります?」
「オレは問題ない」
「アタシも」
ジョルジオとミスティが早々に手を上げる中、ルイはまだ何か考え込んでいるようだった。
「ルイはどうですか?」
「そうだな……。あの城が使われなくなって数年は経つはずだろう。それなのに、これまでには
魔物の被害はなかった。ここ1ヶ月ほどで被害が出始めたところが気になるな。もしかしたら、最近になって魔物が住み着いたのか……或いは、人間の仕業という可能性もある。城を拠点に農園をターゲットにして家畜を捕まえて売り捌くか、もしくは食料確保のためか……」
「人間だとしたら組織だって動いているかもしれないですね。足跡を残さずに家畜をさらうとなると、浮遊や転移の魔術を使える相手がいるかもしれません」
対象を浮かせたり魔法陣を使って転移させたりする魔術は、補助魔術の中でも高度な部類だ。誰でも扱えるものではないため、使用できるとなればかなりの実力の持ち主だろう。農園の人間を遠ざけるために魔物の仕業に見せかけているという可能性もある。
「ギルド宛の書面にその懸念も書いておきましょうか。もしかしたらギルドや僕たちの管轄から外れるかもしれませんし」
ヴィヴィがそういいながら筆を走らせる。人間同士の場合は冒険者ギルドで裁くことはできない。そう言った場合は騎士団や各地の警備団の管轄になる。
「それじゃ、今日はもう休むか。みんな疲れてるだろ? ゆっくり休んだ方がいい」
ジョルジオの言葉で、話し合いは終了した。彼の言う通り、到着して農園主と話した後すぐに状況確認に行き、戻ってまた話し合いと動き詰めだった。合間に食事などもしてはいるが、ゆっくりと腰を落ち着けて寛いだわけではなく、疲労感は全員が感じていたことだろう。
3人は従業員用の大部屋を客室に改装した現在の部屋で、紅一点のミスティだけは別室に移動した。
一人になった途端ミスティは大きく息を吐く。まったくどいつもこいつも面倒だ。ここまできて結局ギルドに援軍を要請するなんて。そもそもギルドは何故調査依頼を放置していたのか。職務怠慢だろうが。
ミスティはイライラを残したままベッドに横になる。苛立ちで眠気などないと思っていたが、余程疲れていたのだろう、横になるとすぐに寝入ってしまった。
全員が飛び起きたのは深夜を回ったころだった。
複数の人間の悲鳴と、室内にいても耳元で聞こえたと錯覚しそうなほどの羽ばたきの音。想定外の何かが起こったことは間違いない。
慌ただしく装備を整え部屋を出ると、一行は農園主の部屋へと急いだ。
「どうした?! しっかりしろ!」
屋敷内はすでにパニック寸前で、従業員たちがあちらこちらへと走り回っている。駆け込んだ農園主の部屋は窓が派手に割れており、室内に破片が散らばっていた。
農園主と、複数の従業員が床に倒れ伏している。血が飛び散った様子はないが、ずんぐりむっくりとしていた農園主の体は、半分ほどの厚みになってしまったかと錯覚するほどに痩せ衰え、顔色は蒼白だった。他の倒れている従業員もほとんどが同様の状態だ。瘦せ細って、枯れ木のようになってしまっている者もいる。
「ヴィヴィ、回復を!」
「はいっ! ホーリーヒール!」
ヴィヴィが杖を掲げ、部屋全体がまばゆい光に包まれた。ジョルジオが農園主を抱き起こすと顔色は若干戻ってはいたが、体型は瘦せたままだ。
ヴィヴィの力をもってしても、言葉を発するほどの回復はしなかったようだ。枯れ木のようになってしまっている従業員は、治癒魔法を受けても全く動かない。ルイが脈を取ったが、首を横に振った。間に合わなかったようだ。
農園主はぜえぜえと荒い息を吐きながら震える指で窓の外を指さす。
窓の外から悲鳴は聞こえないが、不気味なほど風が吹き荒れている。それに、異様な気配だ。相手が人間ではないことは明白だった。
ミスティは顔を顰めた。この状況、おそらくルイは相手が誰かわからずとも追うと言うだろう。つまり寝る前に話していたギルドへの打診など全て無駄になったということだ。こんなことになるなら面倒な話し合いなどせずさっさと寝てしまえばよかった。睡眠を途中で邪魔されたことで、ミスティは頗る機嫌が悪い。
「ルイ、どうする」
「もちろん、追うさ!」
やはりだ。ジョルジオとルイのやり取りの予想通りの展開ぶりにミスティは小さく舌打ちをした。
窓から外へ飛び出す3人の後を追って、仕方なくミスティも外へ出る。全く、やってられない。周囲はまだ真っ暗だというのに。
「どこに行ったか目星はついてるの?!」
牧草地をまっすぐ横切って北へと走るルイの後ろからミスティは叫ぶ。全く、草が邪魔で走りにくいったらない。とくにミスティは冒険者らしからぬ高いヒールや長いドレスを好むものだから、よけいに走ったりするのは嫌いなのだ。
「ああ、見ろ!」
ルイは足を止めずに前方を指さした。暗い夜の中で一層真っ暗な森の奥、影を落とす古城周辺に青白い光が見える。
嫌な予感しかしない。ミスティはまた顔を顰めた。青白い光なんて、通常の魔物が出すような光ではない。
だが、今更仲間たちを止めることも不可能だ。
止まることなく進む一行の目の前には、まるで先の見えない未来を示唆するかのような、光のない真っ暗な森が広がっていた。




