第16話 『必要としてくれる人』
「ロザリエが…!」
悲鳴じみた声で少女はエルフの名前を叫んだ。
ロザリエがどうなっているのか、具体的にはわからないが良い状況ではないのは、薄っすらと聞こえるエレナの声で把握できている。
「まだ…か…」
フルデメンスの生み出す爆発によって地は揺れている。まるでそれは悲鳴、この太地が上げている悲鳴だ。
「あともう少しです!」
「早く…!」
早く塞がれとアヤトは願った。
現在進行形で爆発音はしている。つまり誰かが今なお自分たちの代わりに攻撃を受けているということになる。
(救えてないじゃないか…っ!)
あの人のようになるはずだった。だがまた誰かに助けられている。元の世界にいたころと何も変わっていないではないか。相変わらず必要のない存在のままではないか。
(そんなのは…、嫌だ…! 僕は…)
「塞がった!」
エレナの声を聞き、手の力を緩めた。
意志を強く握っていたためヒリヒリとした痛みが手に残っている。
「レイ! 返事をしてください!! ――――レイ…?」
応答がない。代わりに別の人物が楽しそうに声を発した。
「欠落姫など庇ったばかりに、そんな状態とは…。なんて悲しいことだろうか」
漂う死臭。血と鉄の匂いをアヤトは嗅ぎ取る。
「――フルデメンス」
「欠落姫、先ほどは挨拶もなしに失礼した。非礼を詫びよう」
「今更何を…!」
怒り。エレナの言葉には怒りが込められていた。
「――覚悟!!」
彼の背後、忍び寄るように近づいていたボロボロの騎士が剣を振り上げる。
完全に死角を突いた攻撃。
だがこれはフルデメンスには通じない。ロザリエが身をもって証明していた。
「デッドライン外だ。失せろ」
「ぁ……」
爆発と共に騎士の鎧も騎士自身も消え失せた。文字通りこの世界から、死という方法で存在を消した。
「――ふむ。これで最後のようだな」
フルデメンスは転がる鎧の残骸と肉片を見ると満足そうに口元に笑みを浮かべる。
「これは…。全員…殺したのですか…?」
視線をフルデメンスから、彼の後方へと向けたエレナ。
彼女が見たのは地獄だ。死屍累々とした、地獄の底。
数多の死の形を見た少女からは怒りは消え失せ、もはや唖然とするしかなかった。
「無論だ。百人弱は殺したか? この手の輩は鉄臭いから殺したくはないのだが、武器を向けられたのだから仕方あるまい。人を殺す理由を十分に満たしている。これなら我が神もお許しになられるだろう」
これほど人間を殺しておいてフルデメンスは平然としている。
例えば、虫を踏みつぶした時に人は申し訳ないと心の底から悔やみ、謝るだろうか。
否だ。
人の心にはその程度では何も響かない。
彼にとってはそれと同じなのだ。人を殺すのも虫を殺すのも変わらない。
「出払っている騎士たちが来る前に終わらせよう。…契約者よ、貴様も不運だな。恨むならその罪深き姫を恨め」
聞きとれない。そばにいるエレナの声しかアヤトに聞こえない。だから彼女が何も口にしていない今、アヤトには何もわからない。
「そして罪深き欠落姫。自分の罪を自覚したか? ならば心の底から許しを請うのだ。そうすれば我らの神はそれなりの慈悲を与えてくださる。死ぬことには変わりないが」
実に優しい口調。彼にとって、これはあくまで善意での提案だ。
自分の提案がどれだけ狂っているのか自覚のない狂人の笑顔は、恐ろしく、不気味で、恐怖感を覚える。エレナは俯いた。
「――私の罪…とは、なんですか?」
「…やはりそんなことも理解してなかったのか。本当に憐れだ」
心底呆れたように眉間を抑えながらため息をつく。そして言葉を続けた。
「欠落姫。貴様の罪、それは存在していることだ」
常識だろうと馬鹿にするように、彼は口にした。
「我らが神に害を為す禁じられた能力の一つを使用する貴様は、不要物でしかない。貴様は我らにとっての『終焉者』なんだよ」
「――なら貴方たちは、それらを討ち滅ぼす『神の使い』だとでも言うのですか?」
「その通りだ。我らは正義であり、貴様は消え去るべき悪なのだ」
力のない笑いをエレナ発する。
「そう…ですか。私は…」
横になっているレイの頭を撫でながら自潮気味に笑った。
「理解したようだな。貴様は我々ではなく他人すら不幸にする存在だ。見てみろ」
騎士達の肉片を、崩れ落ちた周囲の残骸を、目の前に倒れる女性を、彼は指し示す。
「その男もだ。これから貴様のせいで死ぬ」
これらがお前の罪の形なのだと、お前がいることによって生み出された結果なのだと、提示する。お前のせいだと叩きつける。
「理解できたか? 早急に消える方が世のためだろう」
何も少女は言い返せなかった。
決して認めたわけではない。けれど彼女がいなければこんなことになっていなかったのは事実でもある。
周囲を見渡した。つい数分前まで、愛する人と一緒にいた場所だとは到底思えない。あの時間を過ごした場所は気付けば地獄と化していた。
騎士だった者達の肉片を。
崩れ落ちた周囲の残骸を。
目の前に倒れる女性を。
目視をするほど考えてしまう。自分のせいなのではないかと。
そう思えば思うほど、胸が痛くなった。頬を小さな雫が伝っていた。
「――私は…いら、ない…」
何度か考えたことはあった。『リンク』もし自分になかったらどうなっていたかを。
必要とされるのは『リンク』だけ、他には何も求められたことはない。
『リンク』が彼女の存在儀であり、この世界に存在していい理由だった。
そして今、それすら否定された。それを持って生まれたお前は不要だと断言された。
自分が原因で起こった出来事を突き付けられた。
「私は…」
…手に温もりを感じた。目を向けると自分の手と誰かの手が繋がっているのが見えた。
「…アヤト」
潤んだ瞳を向け、涙声で名前を呼ぶ。
「エレナ………泣か、ないで」
ハッキリとしない意識の中、彼もまた名前を呼んだ。泣かないでと伝えた。
「…! アヤト、耳が…」
彼の耳から血が出ていることにエレナはようやく気付いた。レイのことばかり気にしていたため全く彼を見ていなかったのだ。
「私が…」
傷つけた。
自分と一緒にいなければ彼がこうなることもなかった。紛れもない事実だ。
彼女は軽視していたのだ。自分と行動を共にする者がどうなるかを。
「――ごめんなさい。ごめん…なさい」
謝ることしかできない。許されるわけがないとわかっていてもそれしかできなかった。
泣きながら、謝ることしかできなかった。
「ごめんな――」
「エレナ」
エレナの血を握る力を強めるとアヤトは再び名前を呼んだ。
「泣かないで」
「私は…っ!」
「いらないなんて…言わないで」
「――――!」
聞こえていた。アヤトの死にかけの聴覚はそこだけをしっかり聞き取っていた。
「ここに僕がいられるのは…エレナのおかげだから」
「でも私が…」
「僕が…エレナが君を助けるから」
「………」
「それに、…僕にはきっとエレナが必要…だから」
度重なる爆音でもはや耳は機能していない。
だから一方的にアヤトは伝えた。
伝えるべきことを口にした。
自分がここにいるのは君のおかげだと。
君を助けるのだと。
そして、君が必要な存在なのだと。
「ア、ヤ…ト…」
涙腺がおかしくなった。
自分を必要としてくれる人がいるとわかったから、好きな人が自分を必要としてくれているとわかったから、涙が溢れた。
エレナの目からボロボロと雫が零れ落ちる。
止まる気配がない。際限なく、涙は湧き出てくる。
「――気持ちが悪い」
二人のやり取りを侮辱する人物が一人いた。
「気持ちが悪い。…ああ、本当に気持ち悪い…気持ち悪い気持ち悪い気持が悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
目の前に広がるのは、とても彼が直視できるような光景ではなかった。
「――なんだそれは…。『物語』と異なりすぎている…」
「――――」
「なぜ嬉しそうにしている? 貴様は罪人だ。罪人に喜ぶ権利などありはしない!!」
怒号と共に空間が歪む。一切を消し去るべく彼は最大火力で爆発を起こした。
書庫は跡形もなく消え去った。残るものなどない。全てを吹き飛ばしたのだから。
「とんだ茶番だった」
天へと昇る煙を眺める彼の眼には未だ怒りの炎が滾っていた。
すぐにでもこの場から立ち去りたかったがそうもいかない。使命は最後まで遂行しなければならない。帰るにしても死んだかどうか確認してからだ。
燃え盛る残骸の上を通過する。煤など気にせず彼は小敵の死を確認しに向かう。
「この辺りのはずだが…」
煙の中、視界は悪いがどの辺りにいるかはわかる。そろそろ三人がいた場所のはずだ。
「肉片すら残らなかったか? 火力を出し過ぎ――」
黒き光が一閃し、煙を切り裂いた。
それと時を同じくしてフルデメンスの体から赤い血飛沫が勢いよく噴射する。
「が――ッ!」
切り裂かれた煙の中から姿を見せたのは純白の鎧を纏った騎士だった。
黒き剣、黒き髪とは真逆の鎧の女騎士。レイがフルデメンスを斬ったのだ。
「き、貴様ァッ!」
ふらつきながら後退するフルデメンス。追撃を加えようとするが兜の隙間から血が噴き出る。吐血したレイは、剣を支えにその場に膝をついた。
「な、何故貴様が生きている…」
「アヤトのおかげです」
「――っ! 欠落姫…」
銀髪の少女も、黒髪の少年も、レイ同様無事だった。
「エレナ様、申し訳ありません。これ以上は…」
「大丈夫ですよ。爆発から護ってもらっただけで十分です。あとは任せて、休んでいてください」
涙の跡はまだ残っている。けれどレイに向けられた笑顔は優しかった。
安堵したレイは黒器を握る力を緩め、視線を下に落とす。
「黒器使いめ、余計なことを…」
あらかじめかけて自らに刻んでおいた自己再生の魔術によって出血は治った。
だが怒りの炎はまだ静まらない。
自己再生は万が一のために仕込んでいた一度だけ発動する魔術だった。その万が一を使わせた彼らは実に不愉快だ。
「今度こそ…今度こそだ! 次はない。終わらせてやる!」
正気など端からない。冷静さも今の彼からは消えた。あるのは殺すという意思のみ。
「アヤト」
手を繋ぐ少年の名前を呼ぶ。もう涙声ではない。
今彼女に出うる限りの明るい声で彼を呼んだ。
「『リンク』を使いますね」
「…うん」
見えてもいないし、聞こえてもいない。でも彼女が何を言おうとしているのかは理解できた。聞こえずとも彼女の手と自分の手が繋がっていることによって伝わった。
「フルデメンス」
「………」
「あなたは私が周囲に不幸をもたらすと言いました。確かにその通りなのかもしれません。でも、必要としてくれる人がいるんです。だから私は戦います」
彼女の言葉を薙ぎ払うようにフルデメンスは手を横へ振るった。
「消し飛べぇ!!」
大地を揺るがすほどの爆発。間違いなく現段階のフルデメンスの最大化力だろう。
だが、
「な…に……?」
黒い衣を纏った少年は平然とその場に立っていた。




