第9話 『決着』
「それだ…。滾る命の炎だ」
今のガルノに余裕はない。それでも彼は楽しんでいる。彼の本能がそうさせるのだ。
『アヤト、ガルノを確実に殺します』
「どうやって?」
完全に切断されたはずの腕を再生させるような男だ。
正直アヤトは彼を殺すことはできないと思っていた。
『体を塵一つ残さずに消し飛ばします』
「できるの? そんなこと」
『おそらくできます。アヤトは至近距離で彼に手のひらを一秒間向けてください。そこからは私がやるので』
「一秒か…」
『一秒です。その時間がないと殺せません。逃がさないように捕まえてください。逃げられた瞬間私たちの負けです』
「………」
おそらくガルノにとって一秒もあればアヤトから距離をとることは容易い。短いようで長い時間、手のひらをガルノに向けた状態を保たないといけない。
「捕まえる、か…。わかった、やってみる」
アヤトには異常な再生能力を持ったガルノを殺す方法なんてわからないのでここはエレナに託すしかない。彼の仕事は一秒という――ガルノにとっては――長い時間を至近距離で手のひらを向けること。
「作戦会議終わりか?」
「――――っ!」
影の攻撃をいつの間にか突破して来ていたガルノの拳は、既に目前まで迫っている。
驚きはした。しかしこの状況は逆にチャンスだ。
実際にやったこともない真似事だがやるしかない。
「ハッ! いいガードじゃねえか。…でもまだ甘いなぁ。喰らえよ、メイアの付与魔術だ。《インパクト》!!」
「ぐ…ッ!」
声に呼応し、ガルノの右手に紫色の光が灯った。その光る豪速の拳をアヤトは腹部にくらう。
異常な力だった。黒い衣すら貫通して痛みがアヤトに伝わる。
――しかし、狙い通りだ。
「――あ?」
次の攻撃に移るために拳を一旦引こうとしたガルノは目を疑った。自分の拳が動かないのだ。
「――――――捕まえ…ましたよ。想像以上に右手が痛いですけど…」
「お前…っ!」
攻撃を成功させたと思わせるカウンター。
ガルノがアヤトたちにしたものだ。
「逃がさない! 絶対に!!」
いくら抜こうとしても拳が掴まれたまま抜けない。力ではガルノの方が上のはずなのに拳が離れない。
「何で抜けない…」
物を掴むという動作のために発達した人間の手が、今この時だけは絶対に離さないと彼の拳を捕らえている。
『手先まで衣があっても痛いものは痛いですね…。でもこれで終わらせられそうです』
二本の影の槍が出現し、ガルノを足の裏から串刺しにした。
「これで、終わりです。ガルノさん」
拳を離した。槍が刺さっていて、どうせもう動くことはできないからだ。
「終わり? 俺を終わらせられるのか? お前たちが」
「らしいですよ」
黒炎の鎧に包まれた少年は手のひらをガルノに向ける。
「ああ…なるほど。魔力放出か。お前のオドの量がどんなものか知らないけど、確かにそれなら殺せるな」
納得したガルノは笑う。
「――最後に聞きたいんだが、お前なんで俺を殺すんだ?」
わかりきった質問をガルノはしてきた。
意味不明だと思いつつも、アヤトは返答する。
「あなたが悪だからじゃないですか? ヘルトさんならこうしたでしょうし…」
「――そうか。理解したよ」
憐れむ目でガルノは少年を見る。
その瞳の意味をアヤトには理解できるはずがなかった。
「またな、アヤト」
「…死ぬんですよ? これから。それともガルノさんは何をやっても死なないんですか?」
死を前にしていてもガルノに焦る様子はなかった。
「死ぬな。でも終わりじゃない。また会うさ。必ず」
「――そうですか…。さようなら、ガルノさん」
手のひらから、これ以上ないほど黒く禍々しい、闇のような光線が放出された。
それは間もなくガルノを包む。
その瞬間でさえ、ガルノはアヤトを見て笑っていた。
光は彼という存在を跡形もなく蒸発させた。
*****
「終わった…よね?」
『アヤトもアビリティで感じ取ってると思いますが、完全に消滅しています』
「それならよかったけど…」
光線の威力は正面を見れば一目瞭然だった。あったはずの木々が消えているのだ。数十メートル先まで光線によって地面ごと抉られ何もかもなくなっていた。
「人を…殺したのか…」
自分の手を見る。決して血がついているわけではないが、人の命を奪った汚れた手だ。
『アレが人と言っていいのかはわかりませんけどね』
「――確かに」
腕を切断されも再生する人間なんているわけがない。彼を自分たちと同じ人間だと言っていいのかよくわからない。
(そもそも僕も――)
「――どうでもいいか」
そんなことよりも優先することがある。
アヤトは地面に横になっている人物の前へと歩き、膝をついた。
『衣は消しますね』
少女がそのように言うと、黒い衣はアヤトから剥がれ落ちて消滅した。
「………」
横たわったヘルトを体を顔が見えるように仰向けにする。
「この人がヘルトさん…」
自分を助けようとしてくれた人だ。
『やはり息はないようです。死んでいます』
死んでいる。
自分を救ってくれようとした人の命が消えている。
本当に残念だった。
彼みたいに自分を犠牲にしてまで他人を助けるような人には出会ったことがない。
そんな彼の生き方には憧れを覚える。
「必要とされる人間なのに…」
他人の命を救う。なんて素晴らしいことなんだろうか。
自分ではなく、この人のような世界に必要とされる人間に生きて欲しかった。
ならば――
『アヤ――』
「おい」
苦しそうにしている男の声が聞こえてくる。
そんな声を出すのはこの場にもう一人しかいない。
「――ネイトスさん。大丈夫なんですか?」
「動くことはできる。傷も自分で癒せるから何とかなるだろ」
ネイトスは視線を下へと落とした。
「ヘルトも…死んだか」
「…はい」
「そうか。まあいつ死んでもおかしくない奴だったからな。どうせまた他人を庇ったんだろ」
「……はい」
「やっぱりか…。昔からそういう奴だったよ」
しばらくヘルトの顔を見るとネイトスは彼の死体に背を向けて歩き始めた。
「どこに行くんですか?」
アヤトの問いを受けて、ネイトスは立ち止まった。
「そいつに頼まれたことがあるんだ。報告を済ませてしまえば、俺にはもうやることはないし、ちょうどいい」
歩行を再開する。
アヤトがかけられるような言葉はない。やれるのは彼の悲しげな背中を見送ることだけだ。
「待ってくれますか? ダルバチナさん」
男の声がネイトスの足を再び止めさせた。
アヤトはアビリティで感知できなかったことに驚きつつ振り返った。
「――ルーダス・ザガルレス…」
「お久しぶりです」
二本の剣を腰に携えた男は礼儀正しく頭を下げた。
「…隊長殿」
レイが立ち上がりながら、男をそのように呼んだ。
そう、彼はエレナの護衛としての任を受けた王国騎士団の騎士なのだ。
「レイさん。到着が遅くなりました。申し訳ありません。すぐに救護班が来るので少々お待ちください」
偽りなく騎士はレイのことを心配しているようだった。
「エレナ様はどこに?」
護衛対象のエレナがいないことに気がつくと彼女の居場所をレイに尋ねた。
「それと…なぜダルバチナさんが? その黒髪の少年も…」
アヤト以外とは見知った顔なのだろうが、レイは疲弊している。ネイトスはなにやら友好的な関係性ではなさそう。エレナは体の中にいる。この場合、話すべきなのは自分なのかもしれないと思いアヤトは口を開こうとした。その時だった。
「あ…れ…?」
光が失われていく。視界が黒に染まっていく。
いつも盲目の彼が見ている、見えていない景色だ。
視界がなくなり、足が安定しなくなってきた。ふらついているのが自分でもわかる。
「――アヤト…!」
自分の中からしていたはずの何よりも美しい人物の声が、今度はちゃんと耳から聞こえてきている。
「エ、レ…」
名を呼ぶことはかなわず。アヤトは地面へと倒れ、意識は深い海へと沈んだ。




