第48話 恋する放送室
最後の通常担当回の台本にも、相談は1通だった。
特別にたくさんの答えを用意するのではなく、届いた1つの問いを二人で考える。それがよいと、悠斗も琴音も思った。
2028年3月、青葉大学の学生会館には新年度の案内が少しずつ増えていた。2人はまだ2年生で、もうすぐ3年生になる。
部室の机では、白石が音を確かめ、理央が次の企画のメモをまとめている。藤堂と千紗も、4月の準備を進めていた。
悠斗は台本を二部取り、一部を琴音へ渡した。
「今日も、ここからでいい?」
彼が尋ねると、彼女は紙を読んでうなずいた。
「うん。相談を読んだ後、私から話してもいい?」
「もちろん」
彼は答えた。
最初の頃は、先に共感する人と、整理して提案する人が分かれているように見えた。今も得意な方向は違う。でも、いつも同じ順番でなければ話せないわけではない。
相手が何を言いたいか聞いて、その後に自分の言葉を返す。
いつもどおりの準備だった。その普通の中に、1年分の変化があった。
相談は、好きな人と考え方が違うとき、どうすればよいかというものだった。
予定を早く決めたい自分と、その場で選びたい相手。何かがあったとき、まず話を聞いてほしい自分と、すぐ方法を考えてくれる相手。
どちらかが悪いとは思わないが、一緒にいると疲れてしまうことがある。相性が悪いのだろうか、と最後に書かれていた。
琴音はその1行へ、すぐ答えをつけなかった。
「違う、というところまで分かっているのは、大事だと思う」
彼女が言い、悠斗はうなずいた。
「でも、何が困るかは、もう少し聞きたいね」
「うん。いつも予定を変えられるのが困るのか、決める前に相談がないのが困るのかでも違う」
悠斗は自分たちの衝突を思い出した。
相手を助けたかった。だから聞かずに決めた。優しさのつもりで、相手が選ぶ場所をなくしていた。
琴音も、仕事の問題として話すだけで、本当に一緒にいたかった気持ちを言えなかった。
違いがあったから苦しかっただけではない。何を望んでいるかを、互いに聞けなかったからだった。
彼は台本の余白に、聞く順番、と書いた。
琴音がそれを見て、自分の紙にも短い言葉を足した。
希望を伝える。
2つを並べると、今日話したいことが少し見えた。
ブースへ入る前に、白石が最終の確認をした。
今日録る音声も、公開前に全員で必要な部分を見る。収録が終わった瞬間に流れるわけではない。二人の私的な会話を残すための録音もしない。
当たり前になった確認を済ませ、悠斗は椅子へ座った。
琴音がマイクの位置を直し、台本を見やすいところへ置く。彼女が顔を上げ、彼を見る。
「大丈夫?」
「うん。琴音は?」
「私も」
名前を呼ぶ声は、もう自然だった。
白石が録音を始めた。番組の冒頭では名字を使い、今日の相談を紹介する。今は誰へ向けた言葉かが、二人とも分かっている。
悠斗が文章を読み終えると、琴音は少し間を置いた。
「考え方が違うだけで、すぐ相性が悪いと決めなくてもいいと思います。ただ、どちらかが我慢し続けてよいわけでもありません」
彼女は落ち着いて話した。
「相手の方法を知ることと、自分の希望を話すことは、両方必要なのではないでしょうか」
悠斗はうなずいた。
「相手がどうしてその方法を選ぶのか、聞いてみる。自分には分からなかった理由があるかもしれません」
彼は続けた。
「それでも困るなら、困ると伝えていいと思います。優しい理由があっても、今してほしいこととは違う場合があるので」
琴音がこちらを見た。
「たとえば、まず話を聞いてほしいのか、今すぐ案を一緒に考えたいのか。それを言葉にできると、相手も選び直しやすくなります」
「一度で全部、合うようにはならないですよね」
悠斗が問いを返す。
「うん。だから、確認し直していい。前はよかった方法が、今日は難しい場合もあります」
琴音はそう答えた。
悠斗は台本を少し脇へ寄せた。最後に言いたいことは、紙を見なくても分かった。
「違う意見を持つ二人が、一緒にいるために考え続けることはできると思います。どちらか一人が正しい答えを持ち続けなくても」
琴音はうなずいた。
「何を選ぶかは、その二人が決めることです。私たちは、そのための言葉や方法を、これからも一緒に考えていきたいです」
締めでは、4月からの新体制を紹介した。
理央と白石を中心に、新しい企画が始まる。相談を扱うときの原則は続け、自分たちは企画監修や不定期出演で関わる。
終わるものと、残るものと、増えるものを分けて話した。聞いている人に、全てがなくなると思わせる必要はなかった。
悠斗はこの1年、相談を寄せ、聞いてくれた人へ礼を言った。琴音も続けて、本人が選ぶための時間を作りたいという方針をもう一度伝えた。
最後の挨拶を言い終えると、白石が録音を止めた。
部室は静かになった。
それから理央が、小さく拍手をした。藤堂と千紗も続き、白石は音の保存を済ませてから手を打った。
悠斗は照れながら礼を言った。琴音も少し顔を赤くし、ありがとうと返した。
大きな舞台の最後ではない。いつもの小さな部室で、必要な確認をして作った1回だった。
その終わり方が、彼にはよかった。
片付けは全員で進めた。
次の担当者が使いやすいように、資料の場所を確かめ、説明が足りないところをメモへ足す。理央は新しい企画の最初の確認日を二人へ伝えた。
「この部分だけ、見てもらっていいですか」
彼女が言い、悠斗は予定を確認してから返事をした。
「うん。その時間なら」
琴音も自分が見られる日を伝えた。
白石はブースの椅子を戻し、機材を片付けた。
悠斗は机を一度見回した。最初の台本はもうそこにない。今日使った紙にも、互いの言葉を聞いて足した書き込みがある。
何度も変えたから、今の形になった。
彼は自分の台本を鞄へ入れ、琴音の分を渡した。
「今日も、よかった」
「うん。一緒に考えられた」
彼女は笑った。
部室を出ると、廊下へ春の光が入っていた。
悠斗と琴音は階段を下り、いつもの喫茶店へ向かった。収録の後に話す時間は、担当が変わっても続けたいと二人で決めている。
今日は何を話そうか。番組の反省は少し、次の企画についても少し。講座で学んだことや、新年度に行きたい場所の話も残っている。
彼女と話す理由を、一つに絞る必要はなかった。
外へ出ると、琴音が手を伸ばした。悠斗は自然に受け取り、隣へ並ぶ。
まだ少し冷たい風が吹く。彼女はマフラーを直し、歩く方向を彼と確かめた。
喫茶店で温かい飲み物を飲み、その後は時間があれば少し歩く。決まっているのは、そのくらいだった。
鞄の中で、今日の台本が少し鳴った。悠斗は持ち手を直し、隣を歩く琴音へ顔を向けた。
道の角で、悠斗は彼女を見た。
「琴音、喫茶店の後はどこ行きたい?」
彼女は少し考え、それから笑った。
「特に目的地は決めてない」
「珍しいね」
「でも、悠斗と一緒にいたいとは思ってる」
悠斗はつないだ手を持ち直した。
「……それ、俺も」
「じゃあ、決まりだね」
「何が?」
「今日も、一緒にいること」
悠斗は笑った。
「うん。そうしよう」
二人は同じ方向を向き、並んで歩き出した。




