第1話 無能の烙印と、最弱の相棒
「レン・アシュベル。鑑定ランク、測定不能。事実上の最低ランクだ」
審問官の声が、石造りの広間に冷たく響いた。
目の前には銀色の鑑定水晶がある。さっき手を置いた。結果は真っ白。数字も文字も、何ひとつ浮かばなかった。
「測定不能、ですが」
僕は顔を上げた。
「数値が出ないだけです。観察すれば、モンスターの進化条件は読めます」
「それは聞き飽きた」
中央に座る審問官マルケスが、書類をめくる。
「鑑定魔法は進化条件を数値で示す。数値の出ない者の『直感』を、ギルドは証拠と認めん」
「でも、実際に僕は――」
「過去三年、君が育てて進化させたモンスターの数は?」
言葉に詰まった。
ゼロだ。
僕が読んだ条件は、鑑定の記録と食い違うたびに「誤り」とされた。回されてくるのは、他の育成師が見限った個体ばかり。条件が合っていても、進化には時間がかかる。三年では足りなかった。
そう言い返したかった。でも、数字のない言い訳に意味はない。
こめかみがずきりと痛んだ。昨夜、弱った個体を夜通し見ていた目の奥が、まだ熱を持っている。
「育成師の価値は、育てたモンスターの強さで決まる」
マルケスは淡々と続けた。
「君には、それがない」
傍聴席の最前列で、金髪の青年が腕を組んでいた。
クロード・ヴァルトシュタイン。同期で、鑑定ランクは最上位のS。誰もが認める天才だ。
彼はこちらを見ていなかった。無関心なのか。それとも、目を合わせたくないのか。僕には分からなかった。
「よって、育成師レン・アシュベルの資格を――」
「待ってください!」
声が裏返った。
「まだ、何も証明できていません。機会を」
広間が静まる。
右端の痩せた審問官が、懐中時計を一瞥した。まだ僕の記録を読み終えてもいないのに、手元の判決文には、すでに署名のインクが乾いている。
……審問が始まる前に、書かれていた?
違和感が胸に引っかかった。けれど、確かめる前にマルケスが口を開いた。
「いいだろう。最後の慈悲だ」
ざわめきが起きる。
「資格剥奪は半年間、保留とする。ただし、ギルドから一匹だけ貸与する。半年以内に、鑑定に記録される成果を出せ。出せなければ、資格は剥奪。二度とモンスターに触れさせん」
「……分かりました」
「ギルド所属は本日付で解く。以後は追放扱いだ。辺境でやれ」
追放。
その二文字が、水晶の白さより重く落ちてきた。
「貸与個体は飼育棟の最奥にいる。連れて行け」
席を立つ。背後で、聞き慣れた声がした。
「レン」
クロードだった。やっとこちらを向いている。
「どうせすぐ戻ってくる。その時は、俺が推薦状でも書いてやるよ」
「……ご親切にどうも」
「本気で言ってるんだがな」
彼は肩をすくめた。笑っているのに、目だけが妙に硬かった。
---
飼育棟の最奥は、日の当たらない檻だった。
他の檻はどれも、育成師の名札で埋まっている。空いているのはここだけ。
その隅に、灰青色の塊がぽつんといた。
スライムだ。手のひらに載るくらいの。
名札には『E-4471 進化見込みなし 処分待ち』とある。
「お前だけ、残ったのか」
しゃがんで目を合わせる。目なんてないが、そう感じた。
他の檻のスライムは、窓から差す光に群がっている。スライムは光と熱を好む。そう習った。
でも、こいつは違う。
光から逃げるように、檻の影の濃いところへ寄っていた。
……なんで?
目の奥が、じんと疼いた。
視界の端に、淡い輪郭が滲む。【生態眼】だ。数字は出ない。ただ、見えてしまう。体の中の水分の巡りや、食べ物を探す動きの癖が。
その底で、何かが「引っかかった」。
懐かしい。
なぜか、そう感じた。見たこともないのに。
「……やめろ。今は使うな」
自分に言い聞かせて、目を閉じる。痛みが引くのを待った。
使うほど、視界は削れていく。それは昔から分かっていた。
目を開けると、スライムは僕の指先に、ぷるりと体を寄せていた。
「ひとりぼっちか。……ポッチ、でいいか」
返事はない。当たり前だ。
でも、ぷるぷると震える体が、少しだけ嬉しそうに見えた。
檻の底に、黒い小石がいくつか転がっていた。艶のない、鉱石のかけらだ。他の檻にはなかった。
気づけば一つ拾って、ポケットに入れていた。
観察癖だ。変なものは、とりあえず持ち帰る。
「おい、あれを選ぶ奴がいるのか」
「スライムだぞ。進化しても、せいぜいメタルだ」
通路から、嘲笑が聞こえた。
僕は何も言わず、ポッチを布袋に入れて立ち上がった。
---
辺境行きの乗合馬車は、揺れが酷かった。
膝の上の袋の中で、ポッチはおとなしい。
窓の外を、王都の城壁が遠ざかっていく。
――あの時も、こうして景色が遠ざかったんだ。
六歳の夜を思い出す。魔獣が家を襲った日。僕は、クローゼットの中で息を殺していた。
扉の隙間から、全部見えていた。
見ていた。ただ、見ていただけだった。
「……見ているだけの人間は、価値がない」
声に出したら、掠れていた。
だから育成師になった。モンスターを理解すれば、誰も両親のような目に遭わなくて済む。そう信じて。
それなのに、僕の「見る力」は、数字にもならなかった。
「間違いなんかじゃない」
袋の中のポッチに、小さく言う。
「僕は無能じゃない。……そう、証明する。絶対に」
ポッチは何も言わない。ただ、ぷるんと一度揺れた。
---
辺境の町ルーデンに着いたのは、日が落ちてからだった。
安宿の屋根裏が、僕の新しい住処になった。ベッドと机、小さな窓がひとつ。
「ここが、お前の家だぞ」
袋から出すと、ポッチは床をずるずると這った。
蝋燭の灯りから、離れていく。
「……やっぱり」
僕は椅子に座り、観察を始めた。
スライムの生態は、頭に入っている。光、熱、湿気。それと、有機物の食べ物。
ポッチはそのどれにも反応しなかった。
干し肉を置く。無視。果物。無視。水の入った皿。ほんの少し触れただけで、離れた。
「何が欲しいんだ、お前」
蝋燭の火を、そっと吹き消した。
暗闇が部屋を満たす。月明かりだけが、窓から細く差し込む。
その瞬間、ポッチの動きが変わった。
さっきまで迷っていた体が、一直線に部屋の隅の暗がりへ向かう。そこで、ぴたりと止まる。伸び縮みしていた体が、落ち着いたように静まった。
「暗闇、か」
メモに書き殴る。光を避ける。暗がりで安定。
スライムとしては、ありえない。
ポケットの中で、何かが触れた。
黒い小石だ。取り出して机に置いた。
その途端、ポッチが動いた。
月明かりの中を、まっすぐに机の脚を登ってくる。他の何にも見向きもしなかったのに。
「これ、か?」
小石を床に置く。ポッチは覆いかぶさるように包み込み――ゆっくりと、体の中に取り込んだ。
しゅう、と細い音がした。
鉱石が、溶けていく。
灰青色の体の中心が、黒く染まった。
「食べ物じゃないぞ、それは。……なのに」
息を呑んだ。
黒い塊の奥で、何かが揺れた。光のような、闇のような。底の見えない深さだった。
目の奥が、焼けるように痛んだ。
【生態眼】が、勝手に開く。
やめろ。使うな。視界が削れる。
分かっているのに、止められない。
滲んだ視界の中で、ポッチの体内の「流れ」が、一本の線になって見えた。
食べたものが血肉に変わる道筋。進化の枝分かれ。
普通のスライムなら、その先は決まっている。メタル、ポイズン、ウォーター。どれも、記録にある進化先だ。
ポッチの線は、そのどれにも繋がっていなかった。
「……記録に、ない」
声が震えた。
線は、さらに奥へ伸びている。暗い、暗い場所へ。
「こいつの進化先は……鑑定にも載っていない。誰も知らないパターンだ」
心臓が、強く打っていた。
怖い。でも、それ以上に――
高鳴っていた。
僕にしか見えないものが、ここにある。数字にならない、でも確かに存在する何かが。
痛む目を押さえながら、僕は笑っていた。
「……見つけた」
ポッチは黒く染まった体で、ぷるりと小さく揺れた。
「半年だ。お前の進化条件、全部解いてやる。それが僕の最初の仕事だ」
認められたい。ただ、それだけだった。
でも今は、少し違う気がした。
この子の見ている世界を、知りたい。
目の痛みが、ゆっくりと引いていく。
その時だった。
こつ、と窓を叩く音がした。
反射的に振り向く。
月明かりの窓の外。雨上がりの夜気の中に、人影が立っていた。
濡れた赤茶色のポニーテール。背中には弓。
少女だった。彼女は窓越しに、僕とポッチを、じっと見つめている。
「……あんた」
窓の隙間から、声が滑り込んできた。
「本当に、その子を育てる気?」
ご愛読ありがとうございます。
最弱から始まるモンスター育成もの、第1話をお届けしました。
鑑定も戦闘もできない主人公が、ただ「観察」するだけで常識外れの進化を引き出す物語です。
1週間は2回/日以上、2週目からは1回/日以上の更新予定です。
ブックマーク・評価・ご感想をいただけますと励みになります。
第2話で早速、最初のヒロインが登場します。
引き続きよろしくお願いします。




