第1話:そのオネェ、定時内につき
桃瀬蓮には絶対に譲れない信条がある。
定時は正義。
残業は悪。
何があろうと十八時には帰る。
それが彼――いや、昼間だけオネェになる男『レンちゃん』の生き様だった。
「やだぁ~! だから言ったじゃない! その踏み込みじゃ三流以下だって!」
午後五時五十分。
街頭演説中の要人へ突撃してきた男を、レンちゃんは華麗な体術で地面へ沈めた。
周囲から悲鳴と歓声が上がる。
「す、すごい……!」
「犯人を一瞬で……!」
「レンちゃんカッコいいー!」
黄色い声援に、レンちゃんはウインクを飛ばした。
「当然よ♡ アタシ、仕事だけは一流なの」
そして――。
ピピピピッ。
腕時計のアラームが鳴った。
十八時。
「あ、お疲れっした」
シュシュを外す。
途端に空気が変わった。
「桃瀬さん!? まだ引き渡しが――」
「定時です」
低い男の声。
「続きは明日で」
「いや無理ですよ!?」
「無理じゃないです。俺は今からビール飲むので」
そう言い残し、桃瀬は去った。
残された同僚たちは頭を抱えた。
いつものことだった。
◇◇◇
十八時三十分。
桃瀬が居酒屋へ向かって歩いていた時だった。
空が歪んだ。
「……は?」
巨大な光の裂け目。
次の瞬間、凄まじい引力が襲いかかる。
普通なら吸い込まれる。
だが桃瀬は違った。
元SPとして鍛え上げられた身体が瞬時に反応する。
地面を蹴り、引力圏から離脱。
本来ならそれで終わるはずだった。
しかし――。
『ちょ、ちょっと待ちなさいよ!?』
頭の中に女の声が響く。
『なんで召喚を避けてるの!?』
「知らん」
『普通は避けないのよ!』
「普通じゃないんで」
『ああもう面倒くさい! 出力最大ァァァ!!』
「は?」
世界が白く染まった。
◇◇◇
「……なるほど」
目覚めた桃瀬は空を見上げた。
見知らぬ森。
知らない植物。
スマホは圏外。
「異世界か」
驚きはしなかった。
前世で読んだ小説知識がある。
状況証拠も十分だ。
「まぁいいか」
どうせ帰れないなら仕方ない。
問題は今後の生活である。
その時だった。
「うぅぅぅ……」
近くの茂みから情けない泣き声が聞こえた。
覗き込む。
そこには神々しい美少女がいた。
頭に巨大なたんこぶ付きで。
「……誰?」
「ひゃっ!?」
少女が飛び上がった。
「あなた桃瀬蓮よね!?」
「そうだけど」
「なんで平然としてるのよ!?」
「むしろなんでお前はたんこぶ作ってるんだ」
「あなたのせいよ!」
理不尽だった。
話を聞くと、自称女神ルミナは桃瀬を召喚した張本人らしい。
しかも召喚に抵抗された結果、自分まで巻き込まれて落ちてきたらしい。
「馬鹿なの?」
「神様に向かって馬鹿って言った!?」
「言った」
ルミナが泣いた。
面倒くさい。
◇◇◇
しばらく歩いていると悲鳴が聞こえた。
「誰か! 助けてください!」
若い少女の声だった。
桃瀬は反射的に走り出す。
ルミナが後ろで何か叫んでいたが無視した。
街道へ飛び出す。
そこには盗賊に囲まれた馬車があった。
そして。
馬車の中には一人の少女。
金髪に、毛先だけ淡いピンク。
人形のように整った美少女だった。
盗賊が少女へ手を伸ばす。
その瞬間。
桃瀬の中でスイッチが切り替わった。
「ちょっとあんたたちィィィ!!」
甲高い声が街道へ響く。
盗賊たちが固まった。
桃瀬はシュシュを取り出し、ピンク髪を結い上げる。
現在時刻。
十三時。
営業時間内である。
「オカマだと?」
「失礼ねぇ。よろず屋のレンちゃんよ♡」
にっこり笑った。
盗賊たちがなぜか一歩下がった。
その直後。
レンちゃんは消えた。
「え?」
一人目の顎が跳ね上がる。
二人目が宙を舞う。
三人目は地面に突き刺さった。
数秒後。
立っていたのはレンちゃんだけだった。
「やだ、弱すぎない?」
盗賊たちは泣きながら逃げ出した。
◇◇◇
静寂の中。
少女が馬車から降りてきた。
震える声で言う。
「あ、ありがとうございました……」
レンちゃんは優しく微笑んだ。
「怪我はない?」
「はい……」
「良かったわ♡」
少女の頬が真っ赤になった。
そして名乗る。
「私はエレオノーラ。この国の王女です」
「王女?」
「ですが……どうかエリーと呼んでください」
真っ直ぐな瞳だった。
まるで憧れの英雄を見るような。
レンちゃんは少しだけ笑った。
「よろしくね、エリーちゃん」
こうして。
ポンコツ女神ルミナ。
王女エリー。
そして異世界へ飛ばされたオネェ。
後に異世界中を振り回す『よろず屋』の物語は、この日から始まったのである。




