正体不明の異邦人 6(※辺境伯視点)
部屋から全員出て行ったのを確認すると、ユスティネ王女は部屋の真ん中にある椅子に座った。
「デメトリア姫を助けるわ」
単刀直入に切りだされる。前後の会話から予想はついていたが、やはりそうきたか。
私は彼女の隣ではなく、対面にある長椅子の方に注意深く座る。
「彼女を王位につけたいという意味ですか? それはさすがに難しいのでは」
「そうじゃなくて、王位継承権を放棄した後の話よ。今の評判が悪いままのデメトリア姫じゃ、ウラガノに送られることは間違いないから」
「先ほどもそのような事を言っていましたね。ですがまだそうと決まったわけではないでしょう」
「決まってるのよ。これは王家の特別な諜報機関から仕入れた情報なの」
いくら王家といえども、長年外交を任されているバルテリンクで掴んでいない情報を本当に仕入れることができるのだろうか。疑問に思わないでもないが、王女は不確かな情報を騒ぎ立てるような愚か者ではない。それに彼女は時折、まるで見てきたかのように未来を言い当てる。
「彼女は決して、噂どおりの人物だというわけではないわ。実際に会ってみて、それがわかったの。それどころか彼女はオリバー子息を信頼して、自ら悪役を演じているだけなのよ」
王女はデメトリア姫との会話を話して聞かせてくれた。姫は『ティーネ』を一介のメイドだと油断して秘密をもらしたのだろうが、まさか辺境伯である自分に伝えるとは思っていなかっただろう。
いや、もし話したとしても信じないだろうと高をくくっていたのかもしれない。実際、伝えてくれたのがユスティネ王女ではなかったのなら、話半分にも聞かなかっただろう。
「オリバー子息は噂に聞くほど有能な人物ではないと不思議に思っていました。彼を王位につけるため、デメトリア姫自らが自分を下げていたのなら納得です」
「彼女はオリバー子息と幼馴染らしくて、すごく信頼しているの。なのに彼は密かに裏切るつもりなのよ」
「信頼させておいて騙し打ち。なるほど、彼ならいかにもやりかねない」
私の目から見たオリバー子息は、顕示欲の固まりのような男だった。
「オリバー子息の父、シャーフォード公爵は現国王のまた従兄弟でした。当時の国王とは王位をめぐり、熾烈な争いをくりひろげていたと聞いています。公爵自身に王位継承権がないのは、その時に敗れたためなのです」
シャーフォード公爵もまた、強い顕示欲と権力欲の持主だったという。特に王位には相当執着していたらしい。輝かしい王座に座る、それは親子二代の悲願なのかもしれない。
「王位をめぐる熾烈な争いって、あの死んだ目をした魚みたいな王様が? そんなイメージじゃないわ」
王女の的確かつ、大変失礼なものいいに思わず吹き出しそうになった。
「現国王は当時、とある下級貴族の女性と熱烈に愛し合っていました。王位を目指したのは、権力を手中に入れて誰にも文句を言わせずに彼女と結婚するためだったと聞いています」
「ますますイメージから遠いわね」
「彼が変わってしまったのは、そこまでして国王の座につきながら、結局は祖父の企みによって半ば強引に別の令嬢と婚約を結ばされてしまったからです」
それがデメトリア姫の生みの母である、前王妃殿下だという。
「相当に抵抗したようですが、当時の政治情勢では政略結婚を避けられなかった。おそらく恋人だった女性は聡明だったのでしょうね。外国の貴族との縁談を決め、自分から彼の元を去ったのです」
ネス国王を裏でふぬけだと笑い、馬鹿にする貴族は多い。私もかつては彼を責任感のない人間だと思っていた。
(だけどもし、ユスティネ王女が自身の心変わり以外の理由で、別の誰かに嫁いでいったとしたら)
それでも正しく振る舞うことを忘れないと、本当に言い切れるだろうか……。
考えてもきりのない問題から頭を切り替え、目の前に座る王女に意識を戻す。
「それで、具体的にはどうするおつもりですか?」
「決まってるわ。デメトリア姫が本当はいい子なんだってわかってもらえばいいのよ」
王女は自信満々で言いきる。だが、一旦悪いイメージが浸透した人間の評判をあげるのは容易いことではない。ましてや王女は建国祭には王位継承者が決められると確信している。
たった二日でどこまでやれるだろうか。
「ふふっ! 評判が最悪なら、いっそひっくり返すのは簡単よ。誰にも知られてない存在よりもずっといいわ」
「本気ですか?」
王女は自信満々で自分を指さした。
「かつてのバルテリンクで、この私自身が証明してみせたでしょう? なんでか人って、いい人よりも悪い人間だと思いこんでいた人間の善行の方がずっとずっと強烈に印象づけられちゃうのよね!」
それは威張っていい事なのだろうか。疑問に思わないでもないが、まあ彼女が気にしていないのならそれでいい。
「それに、アプローチならもう考えているの。実はね……」
彼女は楽しそうにこれからの計画を語った。その計画は実に驚くべきもので、それこそそんな情報をどこで知ったのかと問いただしたくなった。
しかしなにより驚いたのは、彼女がそれを私に話してくれたという事実そのものだった。
「どういう心境の変化です?」
「えっ、なんのこと」
「気がついていませんか。貴方が事前に私に相談してくれたのは、これが初めてですよ」
これまでは『任せなさい』の一点張りで細かなすり合わせなどしたことがない。そのせいで対応が後手になるのはいつものことで、今回もそうなるのだろうと半ば諦めていたのに。
「そう言われればそうね。どうしてかしら? だって計画にはリュークの協力が必要不可欠だし……。でもそれは、これまでだって同じよね。ううん、なんだろう」
ユスティネは不思議そうに首をかしげた。
「わからないけど、リュークにはちゃんと言わなきゃって思ったのよね」
これまで思い立ったら好き勝手に行動していた王女は、にこっと笑ってそう言った。何の気なしに喋っているのだろうが、その言葉は信頼と愛情の証のように思えて胸が熱くなった。
今、彼女が手の届く範囲にいたら抱きしめてしまっていたかもしれない。いや、絶対そうしていた。自分の用心深さに感謝しこっそりと息を吐く。
無意識下の行動という現象を、自分なりに分析した結果はこうだ。
まずユスティネ王女以外には発生しないこと。気をつけるのは、彼女に対してのみでいい。
そしてこれまでは身体が近しい状態か、彼女自身に危険があるときに起こっている。
後者に関してはどうしようもないが、前者は物理的な距離をとることで回避できるだろう。その仮定が正しいことは、今なにも起こっていないことで証明している。
(単純だが、効果的な方法だ)
二人きりで話したいと言われた時には不安を感じた。しかし安全を確認できたのは、むしろ良かったのかもしれない。今日からは枕を高くして寝られそうだ。
「だから今日からは毎晩、一緒に寝るようにしましょう!」
「どうしてそうなるのです?」
「聞いてなかったの? だから『バルテリンク辺境伯の愛人』作戦よ。手っ取り早くリュークの虎の威を借りれるもの!」
ただのメイドでは取れる行動に限りがある。わずかな日数で自由に行動するためには、デメトリア姫が勘違いしたように『権力者の愛人』という立場が一番都合がいいと主張した。だが、私は了承するとは言っていない。
「そもそも、ラウチェス王国は中立だと説明したはずです。表立ってどちらかに肩入れするような真似は……」
「お願い。ちょっとぐらい、いいでしょ?」
形勢不利と思ったのか、王女は一旦立ち上がると隣に座りなおしてきた。
説得をするには直接目を見て会話することが有効だ。あっている。だが今の私には適切な対応とは言い難い。すぐ隣に、綿菓子を材料にして作ったのだろうかと疑うほど軽い体が密着した。
「もう少し離れていただけませんか」
「いいって言うまでここを離れないわ。ねえ、リュークだけが頼りなの。静かにしてるし仕事の邪魔もしない。中は見えないのだから、部屋の隅っこをちょっと間借りさせてくれるだけでいいのよ」
その場限りのしおらしい態度だということはよく理解していたが、今の私にとってなによりも重要なのは彼女の身の安全と、自分の心の平安だった。まさか自分が、後の事は後で考えればいい、などという唾棄すべき考えに縋る日がくるとは思ってもみなかった。
「なんでもいいですから、今すぐあちらの席に戻ってください!」
「やったあ! なら話はこれで終わり。またね、リューク」
王女は飛び上がらんばかりに喜ぶと、今日一番の笑顔で部屋を出ていった。
(……嵐のようだな)
夜になったら一緒に寝るという約束までとりつけられてしまったと気がついたのは、それから大分時間が経ってからだった。
次回より新展開です!




