06.その男の執着
ギィ、パタンッ
背後から聞こえた扉の開閉音に、朝食を済ませて午後の勉強の時間までまったり過ごそうとソファーに座っていた私は、振り返って、そして固まった。
振り返った先には、ゾッとする程綺麗な冷笑を浮かべたヴァルが立っていたからだ。
「ラクジット様、何か私に隠している事はありませんか?」
冷笑を張り付けたまま問うヴァルは、真っ直ぐソファーまで歩みを進める。
今にも腰に指した剣を抜いて襲いかかって来そうな雰囲気に、私の側に立つメリッサまで体を緊張させる。
「な、何の事?」
怖い。
滅多に見せない、ゲームのスチルを彷彿させる冷笑を浮かべているヴァルは、静かに怒っていらっしゃる。
怒らせる理由に心当たりが有りすぎて、顔をひきつらせた私は逃げようとして腰を浮かす。
悲鳴を上げなかっただけ私はエライ。悲鳴なんぞ上げたら、更に怒られる。
「ありますね」
「な、ないよっ」
不味い、動揺しまくりの声は若干震えていて、これでは隠し事があるってバレバレじゃないか。
幼子の頃より、ヴァルに仕込まれた条件反射で、「ごめんなさい」と謝って白状してしまいそうになる。
「貴女は本当に素直で、分かりやすいですね」
圧力に負けてなるものかと、下唇を噛んで堪える私の頭を大きな手のひらが一撫でした。
「ヴァルンレッド様、」
「黙れ」
泣きそうな私の様子に、見かねたメリッサがヴァルの名を口にした瞬間、氷の様に冷たい風が室内を吹き抜けた。
ひいっ怖い。
感情を排除した硬質な声と鋭い視線、私に向けられた訳でも無いのに怖くなった。
凶悪な圧力を直に向けられたメリッサの体が、小刻みに震えているのが分かる。
このままじゃメリッサが危ない。
逆らうことは許されないと本能は告げるが、私は勇気を出してソファーから飛び降りた。
ヴァルの視線からメリッサを庇うために二人の間に立つ。
「駄目っ!」
勇気を奮い起こしてヴァルを睨んでやったのに、彼はフッと私の勇気を鼻で笑うと片膝を床に突いて屈んだ。
「さて、隠し事は何ですか? 正直におっしゃらないのであれば、暫くの間、オヤツ抜きにしますよ」
目線を合わせて意地悪な事を言う、ヴァルの口元は笑みを形作っているのに、濃紺の瞳は全く笑ってはいない。
「ラクジット様?」
とっとと降参して白状しろと、意地悪な騎士は言外に私を促す。
「ヴァルの馬鹿っ」
ぽろりっ
圧力と恐怖に耐えられず、私の瞳から涙が一滴零れ落ちた。
涙に気を取られたヴァルの圧力が緩んだ隙に、私は彼の脇を走り抜けて、ベッドの下から隠していた藤で編まれた箱を取り出す。
「内緒で練習して、上手に出来たらヴァルにあげようと思ったんだよ。なのに......」
箱の蓋を開けて、取り出したのは我ながら下手くそな花が刺繍された白いハンカチ。
内緒だったのに、と呟けば、涙がぽろぽろ蒼色の瞳から零れ落ちた。
涙とハンカチを目にしたヴァルの瞳が大きく見開かれる。
「ラクジット様、貴女は、本当......」
怖いヴァルンレッドの冷笑ではない、何時ものやわらかい笑みを浮かべたヴァルは、微笑みながら息を吐いた。
私の目前まで歩み寄ると、二度、片膝を突いて跪く。
「可愛い私の姫君。泣かないでください」
くすぐったくなるくらい甘く囁くと、片手を伸ばして私のスカートの裾を持ち、そっと口付けを落とした。
驚いた様にメリッサは口元を手で覆って、ポカンとする私を見ている。
「ヴァル、大丈夫? 調子が悪いの?」
怖くなったり優しくなったり、今は上機嫌なヴァルの変化についていけずに、私は彼が怒って変になったのかと心配になった。
「いえ、私の姫は本当に可愛いと、改めて思ったら目眩がしただけですよ」
よく分からない冗談を言うヴァルに、私は「えー?」と涙混じりで笑う。
ともあれ、危うかったがギリギリのところで、アレクシスの事がバレるのと、オヤツ抜きの危機は回避されたのである。
「ーって、事があってね。バレたかもって冷や冷やしたけど何とかなったんだよ」
へらりっ、と笑う私とは対照的に、アレクシスは間違って酸っぱい物でも食べてしまったみたいな変な人でも見ちゃったような、微妙な表情を浮かべる。
「あ、うん......大変だったね。何て言うか、ヴァルンレッドのイメージとは違いすぎて吃驚した」
今日は、朝からヴァルが王宮へ出掛けたのを見計らって、アレクシスは離宮に姿を現していたのだ。
アレクシスの話では、10日に1回、王は睡眠を取っているらしくその眠りを妨げないように、黒騎士達は王の住み処を守るため集まっているのだという。
お互いの護衛騎士の目が外れるその日を、私達の密談の日としてアレクシスは離宮へ忍び込むようになっていた。
「そうだねーヴァルンレッドって、 ゲームだと冷たいイメージがあったけど、前世の記憶を思い出した時は、ヴァルは過保護で優しいからヴァルンレッドと似た顔の別人かと思ったの」
怖くて優しい私の護衛騎士は、黒騎士ヴァルンレッドじゃない別人だったら良かったのになと、何度も思ったし今でも思っている。
「過保護で優しい? 過保護なのは凄い伝わってきたけど優しい?......ダリルが聞いたらひっくり返るかもな」
腕組みをしてアレクシスは唸る。
優しくて過保護なヴァルは、アレクシスの護衛騎士、おっさん枠のダリルという黒騎士にも見せていない姿なのか。
「実は、ラクジットの行方を調べていた時、直ぐ離宮に居ることは分かったんだ。でも、離宮周辺に何重にも張り巡らされている結界が厄介で、ヴァルンレッドに察知されず侵入するのに凄い時間がかかったんだよ」
「結界ってヴァルが張ってたの?」
目を凝らして見ても、見えたのはアレクシスが張った遮断の結界のみで、それらしき物は全く分からない。
「国王の結界だったら、血を継いでいるから解くのはそう難しく無かったけど、ヴァルンレッドの結界は色々絡ませたり複雑にされていて入るのが大変でさ。無理矢理破ったらバレるから侵入に3ヶ月以上かかったんだ。おかげで俺のレベルアップは出来たけど、最初侵入した時、バレるかバレないか際どかったかも」
がんじがらめに施された結界は、内部から出るのは容易いが外部の者はヴァルンレッドに許可された者以外は、易々侵入出来ない複雑で強固なものだった。
そんなに強固な結界を作ってまで、ラクジットを守ろうとするヴァルンレッドの想いは何なんだろう。
「逃亡計画も慎重にやらないと、ヴァルンレッドから逃げるのは大変だぞ」
鈍くてお気楽なラクジットは全く気付いてはいない様だが、王のために彼女を護っているというよりヴァルンレッドは何か別の思惑、強い執着があって護っているのではないか。
ぶるりっ、アレクシスは急に寒気を感じて身震いした。
ヤンデレ気味な騎士の話。