03.乳母と黒騎士
赤子の時に、血筋と内包する強い魔力によって国王陛下の花嫁に選ばれた私は、物心つく前から離宮で俗世とは切り離されて育てられた。
親類縁者とは完全に引き離され、数名の侍女と乳母のメリッサ、そして護衛騎士のヴァルンレッドが私と関わる人達、離宮の敷地が私の生きる世界。
名前すら知らない母親は、出産時に難産の末、亡くなったとメリッサから聞いた。
乳母のメリッサと母親は、仲の良い乳兄弟だったらしい。
亡くなった母親と、自分の前世の記憶とが重なって涙が零れ落ちる。
我が子を抱けなかったのは、我が子を残して逝くのは、どんなに無念だっただろうに。
命をかけて生んでくれた母の心を想うと、是が非でも私は生き延びなければならない。
「よしっ」
パチンッと両頬を両手のひらで叩いて、気合いを入れる。
侍女に頼んで用意してもらった手帳に、私はこれから自分がやるべき事をさらさらと書き出した。
前世を思い出してから書けるようになった日本語。
この世界の文字とは異なる日本語の、キーワードだけなら、例え手帳を落として誰かに見られても、この世界の者は文字の意味は分からない筈だ。
『私のやるべき事』
①見極める
この先、逃亡しようとする私を裏切らず、味方となってくれる存在を見極める。
これは比較的簡単だった。
離宮で隔離されて生活している私と、関わりのある者は限られているからだ。
「ねぇメリッサ」
「はい、何でしょうか?」
髪を結ってもらっていた私は、鏡越しに栗色の髪を一纏めにし、ロング丈のエプロンドレスを着た女性を見上げた。
鏡の中の乳母メリッサは、髪と同じ栗色の瞳を優しく細める。
世話をしてくれている侍女は、私に情が抱かないようにと上から申し送りでもされているのか、離宮の侍女達は入れ替わりが早く、そこまで親しくはなれない。
侍女とは違い、赤子の頃から私を育ててくれているメリッサなら、きっと味方でいてくれる筈。
「私は、大人になったら死ぬの?」
「はっ?」
思いもよらなかっただろう問いに、メリッサは驚いて動きを止めた。
「そんなことはありませんっラクジット様は、絶対幸せになれますよ」
「幸せになれるの?」
無邪気を装って問えば、メリッサの顔から一気に顔から血の気が引いて、蒼白となる。
「私は、ずっと生きていられるの? お母様みたいに、死なない? 私は、陛下に、殺されない?」
「っ!?」
ヒュッとメリッサの喉が鳴る。
やはり、彼女は知っているのだ。
国王陛下の花嫁として、待ち受けている私の未来を。
「いいえ、ラクジット様、何があろうと私が貴女を御守りいたします。大事な私の娘を死なせはしません」
目の縁に涙を溜めて、メリッサは小刻みに震える腕を広げて、後ろから私をぎゅうっと抱き締めた。
***
「よっと」
メリッサが側を離れた隙に自室を抜け出した私は、離宮の外れにある木をよじ登り、一階の張り出した屋根へと跳び乗った。
此処は、壁の影になって目立たないため隠れるのには最適で、なだらかな屋根は日向ぼっこするために寝転がれるし、吹き抜ける風は気持ちいい。
小脇に抱えた枕を屋根の上に置いて、私は枕に頭を乗せてコロンと横になった。
乳母のメリッサは、味方としてほぼ合格だろう。
彼女の実の子どもは生後直ぐに亡くなって、その一月後に私の乳母となったと、以前いたお喋りな侍女から聞いた。
子を亡くしたばかりでつらかっただろうに、家族から離れて私の世話をしてくれて、実の娘のように真剣に叱り案じてくれている。
母のように慕っているメリッサが手のひらを返して接してきたら、正直ショックで壊れると思う。
乳母のメリッサの次に親しい人は、護衛騎士のヴァルことヴァルンレッド=ウェスパー。
彼はゲームにも出てくる、敵キャラである。
ゲーム内のヴァルンレッドは、護衛騎士ではなく国王直属の部下、黒騎士と呼ばれる三人の騎士の中でも最強の実力を持つ強敵だ。
登場する場面は少ないが、彼とはラスボス戦前の中ボスとして必ず戦う相手である。
会話時の立ち絵と、中ボス戦前に表示される、氷の冷笑を浮かべてヒロインの行く手を阻むヴァルンレッドのスチルは、彼の冷たい美貌が完璧に描かれていて、敵ながら人気が高いキャラだった。
黒い軍服や黒い鎧を纏い、黒に近い紫紺の短髪と濃紺色をした切れ長の瞳と大人の色気を持つ美形で、丁寧な口調で紳士な物腰ながら射るような冷たい眼差しを向けてきて、強い敵キャラときたら女の子はキュンッとなるのも仕方ない。
前世の私もスチル見て「かっこいいなー」とニヤニヤしたものだ。
彼の強烈なインパクトは、美形な外見だけでない。
ラスボス戦直前のヴァルンレッドとの戦闘は、苦戦を強いられる。生半可なレベルではあっという間に全滅させられてしまうくらい彼は強い。
魔法を纏わせた剣を手にヒロイン達と戦う彼は、一対多数というのにやたらと強いし、強力な全体攻撃に回復魔法が追い付かず、何度か戦闘をやり直した。
彼の強さもそうだが、2のメインヒーローである王子を痛め付けて瀕死にさせたり、ヒロイン達を助けた村を見せしめとして焼き払ったりと、私の傍に居る過保護なヴァルからは想像出来ないくらい、なかなか鬼畜なキャラだった筈だ。
過保護であろうと鬼畜であろうと、此処から逃げるのにはヴァルが最大の難関となるのは確実で。
冷笑を浮かべて攻撃してくるヴァルを想像すると......かなり怖い。
赤子の頃から傍に居てくれたヴァルと敵対......嫌だ、戦えない。
もう逃げるのを諦め来世に期待して、陛下に娶られる前に自殺した方が楽かもしれない。
寝転がっていた体を起こして、屋根の上にから下を覗く。
この程度の高さなら死なないが、離宮の一番上の屋根からなら死ねるかも。
ごくりっ、私は唾を飲み込む。
......やっぱり怖いし死にたくない。
万が一、自殺しても死にきれずに捕まったら、それこそ逃げないよう意識は奪われ、体だけ、胎だけは生かされ続ける存在にされるだろうな。
(死ぬのは、最終手段だ)
では、陛下を受け入れてみるのはどうだろうか。
外見は人外の美貌だし、ラスボスとか出産後の事は考えずに、陛下を愛するよう努力してみたら何かが変わるかもしれない。
(うわぁ! 愛するとか、もっと無理だ)
三百年の間、生に執着し、子を妻を道具にしか見ていない者の考えを矯正するなど、私には出来ない。
闇にまみれた暗黒竜を愛するなどと、頭の中がお花畑になった聖女様くらいしか出来ないんじゃないか。
(生まれながら魔力が強いのなら、戦って勝てばいいのでは? いや、)
無理だ、と直ぐに打ち消した。
魔力が強かろうが才能があろうが、聖剣も無ければ勇者や聖女のような特別な能力を持たない私が、どう足掻いたとしても三百年の間、竜の血と魔力を凝縮してきた暗黒竜には勝てない。
第一、私は魔法も剣も扱えないのだ。
力で抵抗しようとも、笑い話にもならない無理な話だった。
息を吐いて、二度、私は屋根の上へ寝転がる。
目前に広がる青空には雲が点在し、数羽の鳥が飛んでいるのが見えた。
サクッ
寝転がる私の下から、綺麗に整えられた芝を踏む誰かの足音が聞こえた気がして、私は首だけを動かして音がした方を見やる。
「此処にいるってよく分かったね」
予想通りのタイミングで来た事がおかしくて、私はあははっと声を出して笑う。
「姫様が居なくなったと、メリッサが慌てていましたよ」
先程まで考えていた相手、ヴァルンレッドが屋根のすぐ下に居て、私の近くに来るまで気配を消して近付いたんだなと理解した。
「ヴァルも慌てて探したの?」
「いえ? 私はラクジット様が何処にいらっしゃっても分かりますから」
しれっと言うヴァルに、私は唇を尖らした。
「えー魔法? 何か嫌だなぁ?」
よっと、勢い良く私は上半身を起こす。
探索魔法でも使ったのか、だとしたら逃亡するのはしっかり対策を考えなければならない。
「魔法など必要ありません。此処に隠れるのは何度目ですか? 私はラクジット様の隠れ場所は全て把握済みですから」
「むうっ」
離宮内に数ヵ所ある隠れ場所には、ローテーションで行っていたから直ぐには見付からないと思っていたのに。
私はムスッとなって屋根の上からヴァルを睨む。
「それで、何をなさっていたんですか?」
「鳥か雲になりたいなぁって思って空を見ていただけだよ」
サァー......吹き抜けた風に煽られた銀髪がふわりと広がる。
「鳥......ですか? そろそろ降りて来てください。降りられないのならば、私がお迎えに行きますよ?」
「やーだよっ」
べっと舌を出して、私は屋根の上に立ち上がる。
「とうっ」
掛け声を上げて、屋根から飛び降りた私は着地を決め......られなかった。
素早い動きで移動して腕を伸ばしたヴァルが、ふんわりと私を受け止めたのだ。
「ちょっと! 離してよー」
「駄目です」
手足をじたばた動かして、ヴァルの腕の中から逃れようとする私の体を、彼はガッチリと抱き締める。
「手を離したらラクジット様は飛んでいってしまうでしょう」
「飛んで行きたいもの。私もヴァルみたいに外に出て、いろんな場所へ行けたら幸せなのになぁ」
子どもっぽい仕草だと思いつつ、頬を膨らませて私は横を向く。
前世だったら痛い仕草だけど、今の体は子どもだから許されるだろう。
フフッ、耳元でヴァルが笑う声が聞こえた。
「いつか......私がお連れしますよ」
「本当に?」
吃驚して横を向く顔を戻した先には、濃紺の瞳を細めて微笑むヴァルの顔があった。
「ええ。貴女の幸せが、私の幸せでもあるのですから」
縦抱っこで私を腕の中へ閉じ込めたヴァルは、メリッサが待つであろう離宮内へと歩き出す。
やわらかい笑みを見せて私を甘やかすヴァルが、冷徹で無慈悲な黒騎士ヴァルンレッドと同一人物には思えなくて、私は何だか泣きそうになった。
メリッサ→お母さん
ヴァル→半分くらいお母さん と、ラクジットは思っています。