10.期限付きの自由
一章終了となります。
絶対に逃げてやる!なんて息巻いていたのに、アッサリと、しかも全然知らない相手に捕まるだなんて。
このまま戻ったら監禁されるだろうし、気を失ったメリッサも酷い目に合わされてしまう。
何とか逃げられないかと、私は二の腕を掴んでいる男を腕の中から脱出しようともがく。
細身の体なのに男の力は強く、私を拘束する力は全く緩まない。むしろ、強くなっていく。
「さて、行きましょうか」
抵抗は全て無した男が、私の腰を軽々抱える。
城へ戻るための転移陣を発動しようと、男は一歩足を踏み出して......止まった。
チャキッ
金属が擦れる音がすぐ側から聞こえる。
ピタリッと動きを止めた男の喉が上下に動き、全身の筋肉が強張るっているのが触れている部分から伝わり、私は顔を上げた。
「そこまでだ。その娘から離れろ」
男の背後に突然現れた第三者の声。
男に抱えられているせいで、私の視界は彼の胸元で隠されて後ろの様子は見えない。
低い、殺気混じりの冷たい声。
でも、この声には、確かに聞き覚えがあって、涙でグショグショになっていた私の瞳は二度じわりと潤んでいく。
「...離れろ、と言ったのが聞こえないのか」
背後の人物が放つ殺気は更に膨れ上がり、直接向けられていない私の背中がざわざわ粟立つ。
ギャア!ギャア!
尋常じゃない殺気に恐怖した鳥達が、鳴き声を上げて木々から一斉に飛び立った。
「...っ」
鳥達が恐怖して逃げ出すほどの殺気を直に浴び、顔色を青から白へ変化させた男は、小刻みに震える体でずり落としかけながら私を解放した。
よろめきながらも私は男の脇をすり抜け、先程までの恐ろしい殺気を綺麗に霧散させた人物の、胸目掛けて飛び付いた。
「ヴァル!」
勢い良く飛び付いた私を易々と受け止めて、ヴァルは「やれやれ」と苦笑した。
「全く...困ったお姫様だ」
ぎゅうっと抱き付く私を腕に乗せて、縦抱きにしたヴァルの手のひらが背中を撫でる。
何時もなら、小さい子扱いは止めてと文句を言うところだけれど、今はただ彼に甘やかされるのが嬉しかった。
「無茶をしたら、首輪と鎖を用意すると申し上げたのに」
不穏な響きが混じった低い声が聞こえて、爽やかな柑橘系の香りがするヴァルの首筋に顔を埋めていた私の全身が、ビクッと反応する。
「...ヴァル...怒ってる?」
恐る恐る顔を上げた私は、ひっと小さく呻いた。
「私から逃げられると、思っていたのですか?」
ヴァル、いや黒騎士ヴァルンレッドは、迫力満点のどす黒い笑みを浮かべていたからだ。
「何で?」
何故、ヴァルはこんなにも早く来たのか。
何故、此処が分かったのか。
「不思議ですか?絶対に何かやらかすと思って急いで戻れば、あんな置き手紙と可愛らしい贈り物があったら、私でなくとも全力で貴女を探すでしょう」
空いている方の指で頬を撫でられて、私はムッと頬を膨らました。
急に姿を消すのは、事件に巻き込まれて浚われたかと騒ぎになるのも嫌だと思ったから『しばらく家出します。探さないで下さい。あと、いつもありがとう。ラクジット』と、書いた置き手紙、ヴァルンレッドの名前と剣モチーフを刺繍したハンカチをテーブルの上に置いておいたのだ。
「ラクジット様とアレクシス王子が、何やらやっているのは分かっていましたよ」
縦抱きにされて目線が近いため、私の首筋にヴァルの吐息がかかる。
アレクシスと会っていたのはバレていたのかと、私はぐしゃりと顔を歪ませた。
「私の張った結界を、予想より早く王子が掻い潜って離宮へ辿り着いたのは意外でしたが、自主的なご兄妹の交流も必要かとダリルと共に静観していました...が、まさか家出するとはね」
至極愉しそうにヴァルは目を細めて、クツクツ喉を鳴らした。
「本当に、貴女は楽しませてくれる。...で、ラクジット様、どうして家出など考えたのですか?理由によっては首輪と鎖は免除しましょう」
「だって...だって、嫌だったんだものっ!」
「人参とピーマンを残さずに食べなければオヤツ抜き、と言ったのが?」
家出の理由をただの反抗程度しか思い付かず、子ども扱いをするヴァルに苛立ちって、私は手のひらをぎゅうっと握り締める。
「違うっ!王の花嫁になりたくないのっ!私は好きな人と結婚して好きな人の赤ちゃんを生みたいっ!お母様みたいに酷い扱いをされたくない!」
「ラクジット様」
「王の花嫁にされるなら、死んだ方がマシよ!」
感情の高ぶりによって、止まっていた涙がぼろぼろと零れる。
ヴァルの片腕の上に尻が乗る形で抱っこされていたのが、背中にも腕が回されてぎゅうっと抱き締められた。
背中に回ったヴァルの手が、まるで慰めるみたいに私の後頭部を優しく撫でる。
「くっ、小娘が!陛下を対して無礼な口を叩くな!」
怒りを帯びた声が静かな森に響き、私はまだ黒騎士リズリスの部下の男が側に居たのを思い出した。
騎士らしく、丁寧な口調と物腰だった男が目を剥いて唾を飛ばす叫ぶ姿に、怖くなった私はヴァルの腕にしがみつく。
「ヴァルンレッド様、この娘は私が...ぐあっ!?」
私に手を伸ばそうと近寄る男を、ヴァルは容赦無い力で蹴りつけた。
「近寄るな」
しがみつく私の頭を一撫でして、ヴァルは刃のように鋭い視線と殺気を含んだ低い声で言い放つ。
「貴様程度が触れてよい方では無い」
「なっ、乱心されたか!?」
警告を含んだ殺気に屈せず、噛み付いた男が狼狽えた声を上げる。
男がどんな表情をしたのかは、背中を向けている私は分からない。ヴァルの喉が上下して、彼が楽しそうに口角を上げたのが見えた。
「乱心?我が姫に触れようとするなど、身の程を弁えぬ愚か者が。私に向かって乱心だと?」
ザワリッ、明らかにヴァルを包む空気が不穏なものへと変わる。
「ルアー」
「はっ、ここに」
音も無く、黒尽くめの影が現れてヴァルに向かって膝を折り、跪いた。
体型と声からして男性だろうルアーと呼ばれた彼は、口迄を覆う黒い布で目元しか見えない。
黒尽くめの格好は暗殺者みたいだな、と私は呆けた頭で思った。
「姫様が、泣いて“死ぬ”と言う程追い詰められているならば、息抜きに外へ連れ出して差し上げなければならないだろう。陛下が目覚める前には戻るから、五月蝿いリズリスを黙らせていろ。後は任せる。と、ダリルに伝えろ」
「はっ」
返事と同時にルアーは消えた。まるで、最初から存在しなかったように。
「ヴァ、ヴァルンレッド様!貴方は!どういうつもりですか!?」
「喧しい男だな。貴様はリズリス直属の部下であろう。黒騎士である私に、意見して良い立場では無い。...それを理解出来ぬほどの阿呆なのか」
嫌悪感を露にして、ヴァルは溜め息混じりに言った。
背中に回されていた腕が離れ、私は首を動かしてリズリスの部下の顔を見る。
彼は、最初の余裕綽々な表情とは一変した、今にも倒れそうなくらい血の気が引いた表情となっていた。
顔色を無くした男の視線の先を追って、私はハッと気付く。
嫌悪感と殺気を放つヴァルの手が、腰に挿している剣の柄へと伸びていたのだ。
「貴様の首が胴体と繋がったままでいたいならば、五月蝿いリズリスを何とかしろ」
「お、お待ち下さい」
「消えろ」
感情のこもらない声で、ヴァルは短く命じる。
男が口を開く前に、彼の姿は煙のように消え失せた。
「ヴァル...」
対峙していた騎士と部下に見せた威圧的で恐い顔は、“ヴァル”では無く、“黒騎士ヴァルンレッド”としての顔。
恐いヴァルンレッドのままでいたらどうしよう、と私は眉尻を下げて彼を見上げた。
「お見苦しいモノをお見せしましたね」
口調も表情もやわらかくなった“ヴァル”は、いつも通り目尻を下げて微笑む。
「ラクジット様、私が貴女を死なせませんよ」
「どうして...?ヴァルは、黒騎士でしょ?」
陛下の花嫁となって役目を果たせば、私を待っているのは死ぬ結末だ。
陛下に忠誠を誓っている黒騎士の彼にとって、私の命よりも、時代の陛下の器を生ませる事が優先じゃないのか。
「以前、外へお連れすると約束したでしょう」
問いには答えずに、ヴァルは私をぎゅうっと抱き締めて、耳元へ唇を寄せた。
「陛下が目覚めるのは、3年半後としました。それまでに強くなりなさい。......王の力に抗い、私を倒せるくらい強く」
甘い響きさえ含んだ低い声で、ヴァルは私の耳元で囁く。
驚きで、目を見開いて固まる私の頬へと、彼は軽く触れるだけの口付けを落とした。
三年半の、期限付きの自由を貰いました。
ヴァルの真意は、次章以降で分かるはず...です。




