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ユウタは、満足そうに今日買ってきたファッション雑誌を閉じた。この前のファッションショーの記事が載った最新号だ。ユウタは、ミツルに招待され、初めてファッションショーを見に行った。音楽と光がきらびやかに混ざり合う中、ミツルはランウェイを闊歩していた。最新の衣装を身にまとい、堂々と歩く姿は、いつもユウタの隣にいるミツルとは別人のようだった。背が高くガッシリとしているがスラリとスタイルのいいミツルは、何を着てもよく似合った。自信に満ちた顔は彫りが深く、それでいて愛嬌があり、時折振りまく笑顔に会場が沸き立った。まさに、モデルはミツルにピッタリの仕事だと思った。ユウタは、顔を輝かせて、すでに用意してあったカッターナイフを手に取ると、再び雑誌を開いた。ミツルの載っているページを、慎重にカッターで切り離し始めた。
「なんだよ、もう切っちゃってんのかよ?」
キッチンから台ふきんを持って、ミツルがユウタの手元を覗き込んだ。
「だって、本田くんの写真しかいらないし。」
「ひっでぇー。俺なんかより、有名なモデル載ってんのに。」
と言いつつも、顔は笑っているミツル。
「ほら、こんなにたまった。」
たった今切り取ったページを丁寧に差し込んだファイルを、嬉しそうに見せるユウタ。ファイルには、ミツルが載っている雑誌の切り抜きがたくさん入っていた。
「おー、結構あるな。」
自分の事なのに、切り抜きの量に驚くミツル。実際、ミツルへの仕事のオファーは増えていた。例のブランドのモデルに抜擢された事もある。だが、やはり、ミツルのモデルとしての魅力が目を引いているという事が一番だろう。ちょっと前までヒマつぶしに寄っていた事務所も、今はほぼ毎日通っている。以前とは比べものにならない程の仕事量になったが、ミツルは、一日以上家を空ける仕事は、しないようにしていた。それはもちろん、ユウタが心配だからだ。ユウタには話していないが、それを理由に断った仕事もあった。
「また、ファイル買ってこないと。」
ユウタが、楽しそうに言った。その時、ミツルのスマホが鳴った。
「おっと、電話だ。」
発信元を見て、ミツルは舌打ちをした。
「事務所からだ。」
ミツルは、慌てて廊下へ出た。部屋のドアを閉めて、電話に出る。仕事の電話だ。ミツルは、小声で応えた。
「…それ、断ってください。はい。…いや…わかってますけど…長く家を空けるのは、ちょっと…。はい。申し訳ないですけど…。すみません。失礼します。」
電話を切り、一人頷く。
「よし。」
部屋のドアを開けると、ユウタが立っていた。
「うわッ!なんだよ!びっくりしたぁ。」
ミツルは、大げさに驚いてみせた。ユウタはそれに構わず、怒った顔をしている。
「仕事、断ったの?」
「ん?ああ。」
ミツルは、ユウタの横をすり抜け、部屋に入った。ユウタは、ミツルの後を追いかける。
「何で?何で断ったの?」
「あ?まあ、俺に合わない仕事だったんでさ。」
ミツルは、ソファーにふんぞり返った。
「嘘でしょ。」
ユウタの声が、いつになく低い。ミツルは、すました顔でユウタのファイルを手に取り、
「嘘じゃねぇよ。」
と、ページをめくる。ユウタは、ミツルに歩み寄ると、ミツルの手からファイルを奪い取った。
「ちょ…何すんだよ。」
ミツルは、笑いながら顔を上げた。険しい顔のユウタ。
「僕のせいでしょ?」
「は?」
「僕がいるから、仕事断ったんでしょ?今までもそうだったの?僕のせいで、たくさん仕事断ったの?」
「いや…。」
ユウタの剣幕に、戸惑うミツル。ムーも、落ち着きなく、ソワソワと部屋を動き回っている。
「違うって。俺が、仕事を選んでんだよ。お前が気にかける事じゃねぇよ。」
ユウタは、拳を握りしめる。
「…本田くん…出ていってよ。」
「はぁ?」
「もう、住むとこ見つけられるでしょ。」
「おい、何言ってんだよ。落ち着けって。」
「いいから、出てってよ!」
ユウタは、持っていたファイルを壁に投げつけた。ファイルが、開いたままグシャッと床に落ちた。ムーが驚いて飛び上がり、ミツルに駆け寄ると、ぴったりくっついた。これにはミツルもついにキレた。
「何だよ!何が気にいんねぇんだよ!」
立ち上り、初めてユウタに本気で怒鳴った。しかし、ユウタは怯まない。
「仕事を断る本田くんだよ!」
「は?そんなん、俺の勝手だろ!」
「調子に乗ってるんじゃないの?」
「はあッ⁉」
「仕事が増えてきたからって、調子に乗ってるって言ってるの!」
「…んだよ!俺は、お前のために、断ってんだぞ!今の電話なんて、京都に一週間だぞ?そんなに、お前一人にできっかよ!」
途端に、ユウタの顔から、スッと怒りが消えた。
「…やっぱり、僕のせいなんだね…。」
ミツルは、ハッとした。まんまとユウタの挑発に乗ってしまったのだ。
「いや…。」
ユウタは、微笑んだ。今までの怒りが嘘のように。いつもの穏やかな、でも、少し悲しい笑みだ。
「…もう…僕と一緒にいない方がいいと思う…。」
息を吸い込み、やっとの思いで言葉をつなげるユウタ。
「僕はもう、本田くんに迷惑ばっかりかける事になるから…。」
ユウタは、うつむいた。ミツルの答えは…。
「いやだね。」
キッパリと、ミツルは言った。ユウタは、眉を上げる。
「本田くん、ふざけないでよ。」
「ふざけてなんかいねぇよ。」
ミツルは、まっすぐにユウタを見つめる。
「俺は、ずっとここにいるって、決めてんだ。」
ユウタは、ミツルから目を反らした。そして、震える声で言った。
「…僕は…いてもいい…なんて言ってない…。」
こう言われたら、ミツルは何も言えなくなる。ただ、悲し気にユウタを見つめるだけだ。ユウタは、沈黙に耐えきれず、声を絞り出した。
「…ごめん…違う…嫌なんだ…。」
ユウタは、唇を噛み締めた。
「…嫌なんだ…僕…僕のせいで、本田くんがチャンスを棒に振っちゃうのが…嫌なんだ…。」
伏し目がちに、床に落ちたファイルを見るユウタ。
「せっかく、モデルとして認められ始めたのに…。」
突然、ミツルがフンと鼻を鳴らし、威勢のいい声で言った。
「俺を、誰だと思ってんだよ。」
ユウタは、驚いて顔を上げる。ミツルは、ニッと笑ってみせる。
「お前、知ってるだろ?俺の仕事っぷり。」
ミツルは、床のファイルを拾い上げ、ユウタにポンと手渡した。そして、ソファーに勢いよく腰を下ろす。
「仕事少し減らしたくらいで、ダメになるようなモデルじゃねぇんだよ、俺は。」
長い足をスマートに組み、顎に手をあて、ニッコリ笑う。ただのスウェットとシャツなのに、物凄いブランド感があるように見える。
「俺は、本気で仕事してんだ。絶対、ダメになんかならねぇ。」
その目は、覚悟をした目だった。今、自分の周りにある全てのものを受け入れて生きていこうと決めた目だった。
「…なんて、偉そうな事言ってっけど。俺がこんな風になれたのは、お前のお陰なんだぜ?」
「え?」
「お前と会わなかったら、俺は今でもテキトーに生きてたよ。お前がいてくれたから、俺は生まれ変われたんだ。」
「本田くん…。」
「そして、お前がいてくれるから、俺はどんな事でもやってやるって思えるんだ。」
ミツルは、立ち上がった。
「だからさ…出てけなんて言わないでくれよ…。」
その声は、今にも泣きそうな声をしていた。あんなに自信たっぷりに自分を表現していたのに、今は捨てられた子犬のようだ。
「頼む…ユウタのそばにいさせてくれ…。」
ミツルは、そっとユウタの手をとった。その手は、震えていた。
「本田くん…。」
ユウタは、ミツルの手をギュッと握った。
「…いいの?僕…足手まといになっちゃうよ…?」
「足手まといなんて、言うな。お前が、俺に仕事させてくれてんだから。…ありがとな。」
「…。」
ユウタの瞳が、潤み出す。ミツルは、パッと手を離した。そして、頭を掻いて、フーッと息を吐き出し、ユウタに告げた。
「最期まで、そばにいさせてほしいんだ。頼む。」
もうミツルに、ユウタと出会った頃の迷いは無かった。俺にはユウタが必要だし、ユウタには俺が必要だ。今までの暮らしの中で、確信が出来上がっていた。ミツルは、ユウタに微笑みかけた。ユウタも、ミツルに微笑み返す。
「ありがとう…。」
ユウタはそう言って鼻をすすった。そして、ヘヘッと照れくさそうに肩をすくめると「クーン」と悲しそうな声がした。ソファーの一番隅っこで、耳をペタンと倒したムーが二人を見上げていた。
「あー、ごめんね、ムー。ビックリしたねぇ。」
ユウタが、慌てて抱き上げた。ムーが、しっぽを振ってユウタの顔を舐める。ミツルも、笑いながらムーの頭を撫でた。
「悪かったな。もう安心していいぞ。俺達は、大丈夫だから。」




