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 退院祝いと称して、ミツルが食事に行こうと言い出した。賑わう土曜日の夜の街へ、二人で繰り出す。一軒の店の前で、ミツルが足を止めた。

「ここだよ。」

ミツルの馴染みの店でいい所があるというので、ただついてきたユウタだったが、その店の入り口を見つめて固まった。

「…ここ?」

それこそモデルがウジャウジャいそうな、お洒落なイタリアンバルだ。

「そっ。ここ、ピザがうめぇんだよ。」

「へ、へぇー…でも、僕、ピザじゃなくても…。」

「よし、行くぞ。」

戸惑うユウタの腕を掴み、ミツルは店に引きずり込んだ。

「おっまたせー!」

女の子が二人座っているテーブルに、手をあげて近づいていくミツル。

「え…。」

ユウタは、ただ引っ張られていく。

「おっそーい!」

おかっぱ風のヘアスタイルをした女の子が、口を尖らせてミツルを指差した。

「わりぃ、わりぃ。」

ミツルは、片手で謝る仕草をしながら、テーブルの傍らに立った。

「こいつ、俺の同居人で、鈴木ユウタってんだ。」

ユウタの肩を抱き、二人の女の子に紹介する。

「よろしく。私、リョウコ。」

おかっぱ頭の女の子が、頬杖をついてニッコリ笑う。隣に座っている女の子は、ミカというらしい。サラサラの長くて黒い髪が、赤ちゃんのようなすっぴん肌を引き立てている。どちらの女の子も、タイプは違えど、スラッとしていてファッションセンスがいい。ミツルのモデル仲間だ。いつものようにミツルと二人で食事をすると思っていたユウタは、むりやり椅子に座らせようとするミツルに、小声で言った。

「何?これ…。」

「ん?たまには、大勢で食べんのもいいだろ。」

ミツルは、椅子に腰掛けながら、すまして答えた。

「えー…。」

ユウタが戸惑っている間に、飲み物が運ばれ、乾杯が済むと、ミツルが切り出した。

「こいつ、小説家!すごくね?」

そう言って、ユウタを指差す。ユウタは、飲み物を吹き出しそうになる。

「えー!すごーい!」

「でも、そう言われれば、そんな感じかもー。」

「言えてるー。」

女子が、盛り上がる。申し訳なさそうに、ユウタは弁明する。

「いや…まだ小説家って訳じゃないんだ…。」

「でも、賞もらってんだよ。で、今、作品を執筆中なんだよ。な!」

必死のユウタの弁明を、ミツルがぶち壊す。

「どんなお話書いてるんですか?」

ミカが、興味あり気に尋ねてくる。

「いや…そんなたいした物じゃないから…。」

「ベストセラー作家の卵だぞ!」

ミツルが、空になったグラスを掲げて得意そうに言う。

「もぉ…やめてよ!」

ユウタは、いたたまれずに、ミツルの背中を叩いた。ミカが、クスッと笑った。

「鈴木さんて、優しそう。」

「おッ!ミカちゃん、いいところに気がついたねッ!」

膝をポンッと叩いて、ミカを指差すミツル。

「こいつ、住むとこ無くなった俺を、家に泊めてくれてんだぜ。」

「えー、うそぉ、優しい。」

「優しいんだよ、こいつは。」

ミツルは、御機嫌にピザを頬張る。

「じゃあ、動物とか好きですか?」

と、ミカがユウタに尋ねる。

「犬、飼ってるもんなー。」

ミツルが、嬉しそうに答える。ミカが、少し引きつった笑顔をミツルに向けてから、ユウタの方を向いて尋ねる。

「どんな犬ですか?」

「スピッツだよ。真っ白でフッワフワ!かわいーぜー。」

と、ミツル。ついにリョウコが、

「あんたに聞いてないって!」

と、突っ込んだ。

「へ?あ、ああ、わりぃ、わりぃ。」

ミツルは、咳払いをし、椅子に座り直した。ミカが、クスクスと笑う。リョウコも、プーッと吹き出した。それまで何も言えなかったユウタも、つられて笑い出す。それからは、四人とも打ち解け、楽しい飲み会になった。偶然にもミカは文学少女だったらしく、さすがのユウタも話題に困ること無く、二人は小説の話で盛り上がった。楽しく笑いながら話す二人。見た目は、学生カップルだ。二人の目の前には、輝かしい未来が広がっている。そんな風に見える。それくらいユウタは、ミツルが用意してくれたこの時間を楽しんでいた。


 「あー、楽しかった!」

女の子達と別れた帰り道。ユウタは、大きく伸びをしながら言った。

「そうか?」

「うん。ピザ、ホントにおいしかった。お酒も飲んじゃったし。おいしいお酒だったなぁ。」

ユウタが、うっとりと夜空を見上げた。ミツルが、フフンと笑って、

「ミカちゃんと、話が合ってたみたいだな。」

と、ユウタを突っついた。

「え?うん。ミカちゃん、文学に詳しいんだよね。」

「なんか、いい感じだったぞ。」

ユウタの顔が、一瞬固まった。

「何言ってんの?もう。」

「まぁまぁ、いいじゃん。」

「うん。大勢でお酒飲むなんて、久しぶりだったし。楽しかった。ありがとう。」

ミツルが、真面目な表情になった。

「…余計な事かなとも思ったんだけどな。」

ユウタは、静かに微笑んだ。

「そんな事ないよ。嬉しかった。」

「…なら、よかった。」

ミツルは、ポケットに手を突っこみ、街をぐるりと見渡した。

「どうする?ラーメンでも食ってくか?」

ユウタが、笑い声をあげた。

「さっきまですごいお洒落だったのに、急にラーメン?」

「もう、気取らなくてもいい二人になったからな。」

そう言って、ユウタの肩に腕を回した。ユウタは、笑いながら胃を押さえた。

「でも、ごめん。ちょっとラーメンは、パスかな。調子に乗って、ちょっと飲み過ぎちゃったみたい。」

「え?大丈夫か?」

慌てるミツルを安心させるように、ユウタは、胃を軽く叩いて、

「大丈夫、大丈夫。帰って寝ちゃえば治るよ。」

と、笑ってみせた。ミツルは、安堵のため息を吐いた。

「そんじゃ、おとなしく帰るか。」

ユウタの肩に再び手をかけて、ミツルは歩き出した。ユウタの歩調に合わせ、ユウタを支えるように。


 ミツルは、浮かない顔でスマホを見つめた。この前の快気祝いと称した合コンでユウタと意気投合したミカから、連絡があったのだ。「ユウタに会いたい」と。「何の用か?」と尋ねたら「とにかく会いたい」と返信があった。

「まいったなぁ…。」

これはもう、ミカがユウタを好きになったに違いない。ミツルは、直感した。まさか、会っていきなり告白する気か?いや、それほど積極的な子には見えなかった。多分、お友達から、というつもりだろう。

「でもなぁ…。」

ミツルは、ため息をつく。また会って親好を深めても、ミカの描いている未来は絶対にやって来ない。そう。まず、ユウタが、ミカを受け入れることはないからだ。ミツルには、わかっていた。だから、ミカには「ユウタは会わない」と、返信した。

「仕方ねぇよなぁ…。」

ミツルは、顔をしかめて頭を掻いた。それきり、ミカからの連絡は無く、ミツルはスマホをポケットにしまい込んだ。家に帰って、ミカの話をしたものかどうか悩んだが、思い切ってユウタに話してみた。ユウタは、少し驚いた様子だったが、

「もし、ミカちゃんが僕に好意を持ってくれてるとしたら…だけど。僕も断ったよ。ありがとう。」

と、穏やかに礼を言った。そして、

「病気の事、話してもよかったのに。」

と、言った。

「そこまで言わなくても、諦めたみてぇだぞ。」

ミツルが無遠慮にからかうと、ユウタは、

「本田くんは、断っても断っても女の子が諦めなくて苦労してる、って言いたいんでしょ。」

と、鼻に皺を寄せて、笑った。


 その翌日、ミツルは事務所の入り口を抜けて、ギョッと足を止めた。ミカが、受付の横に立っていたのだ。ミカはすぐにミツルを見つけ、走ってきた。

「よ、よお…。」

平静を保てないミツルに、ミカは頭を下げた。

「すみません、こんな所まで押しかけて。」

切羽詰まった顔をしている。ミツルは、胸が痛んだ。

「あの…あれか?ユウタの…事、か?」

「はい。」

さっと真剣な顔つきになるミカ。

「どうしても、ユウタさんに会わせて欲しいんです。」

ミツルも真剣な面持ちになり、ミカに尋ねる。

「もしかして、ミカちゃん、ユウタに惚れてる?」

ミカの白い顔が、パッと赤くなった。更に尋ねる。

「付き合いたいとか、思ってる?」

頬を染めたまま、ミカがゆっくりと頷く。その姿に、ミツルの心は痛む。ミツルは、真顔でミカを見つめた。あまりにも見つめ続けるので、ミカが、

「あの…。」

と、声をかける。ミツルは、頭を掻きながら言った。

「ミカちゃんさ。」

「はい。」

「俺、今から大事な話するけど。」

「は、はい。」

「落ち着いて聞けよ。」

「はい…。」

ミカは緊張したのか、胸に手を当て、息を詰めた。ミツルは、深く息を吸い込んだ。そして、告げた。

「あいつは、もう長く生きられない。」

「…え…?」

「…ガンなんだ。」

ピンク色だったミカの頬が、スッと白くなった。大きな目を見開いたまま、ジッとミツルを見ている。ミツルは、直視できずに、目を逸らす。

「あの飲み会の時には、もうわかってたんだ。俺が、ユウタを楽しませようと思って、リョウコに声かけたんだよ。リョウコの友達なら、ユウタに合うような雰囲気の子がくると思って。だけど…こんな展開になるなんてな…思いもしなかったな…。」

ミカは、動かずずっとミツルを見つめていた。その視線は、ミツルの方を向いているけれど、どこか遠いところを見ていた。

「…まぁ、そういう事だから。ごめんな。」

ミツルは、優しくミカの肩を叩いた。ミカは、まだ遠いところを見ている。

「おい。大丈夫か?」

ミカの顔が、少しずつ下を向いていく。泣かれる…ミツルは、身構えた。ところが、ミカは、威勢良く顔を上げた。

「それでも、私は会いたいです。」

「は?」

「ユウタさんに、直接言いたいです。」

ミカが、ミツルを見つめる。今度は、確かにミツルを見ていた。ミツルは、唇を噛んだ。恐らく結果はわかっている。でも、よく考えたら、ミカはユウタに好きだと言わないまま、振られてしまっているのだ。「それでも」と、ミカは言った。「僕も断っていた」と、ユウタは言った。けれど、人生、どうなるかわからない。こうなったら、ミツルが間に入って妨害している場合じゃない。ミツルは、腹をくくった。

「わかった。」

ミツルは、事務所を出た。ミカが、慌てて後に続く。

「今から、ユウタに会わせる。」

ミツルは、歩きながら言った。

「えっ?」

ミカは、小走りでミツルの横に並び、ミツルの顔を見上げた。口を一文字に結び、まっすぐ前を見て歩いている。

「あ、あの…。」

ミツルの歩幅に負けないよう、小刻みに足を動かしながらミカが声をかける。

「私…そんな、急に…。」

「言うんだろ、ユウタに。」

前を向いたまま、ミツルが言った。

「え…?」

「ユウタに、直接言うんだろ。」

歩いているせいか、ミツルの声が少し震えて聞こえる。ミカは、奥歯を噛み締めた。

「はい!」

そして、前を向き、ミツルと共に歩いていった。


  「あれ?」

部屋に入ってきたのが、ミツルだけではない事に気付き、ユウタはパソコンの前から立ち上がった。

「あの…おじゃま、します…。」

緊張した顔つきで、ミカが頭を下げる。

「あ、ミカちゃん、こんにちは。この前はありがとう。」

ユウタは、ミカに微笑んだ。

「いえ、こちらこそ。楽しかったです。」

ミカは、再び頭を下げる。ミツルが、咳払いをする。

「ミカちゃんが、"それでも"お前と話がしたいんだと。」

ユウタは、僅かに目を見開き、ミカを見た。ミカの体に緊張が走る。それでも、瞳はユウタを見つめていた。ミツルは、ムーを抱き上げた。

「じゃあ、俺、公園にでも行ってくるわ。」

早口にそう言うと、そそくさと出ていった。ユウタは、ポカンとした様子でミツルの出ていったドアを見つめたが、すぐにミカに目を向け、微笑んだ。

「まぁ、座って。」

ソファーに座るように言い、

「コーヒーいれるから。」

と、キッチンへ向かった。

「まだいれたばっかりだから。」

ミツルのためにおとしておいたコーヒーを、ミカの前に置いた。

「ありがとうございます。」

恐縮するミカ。ユウタは、少し離れて隣に腰かけた。部屋には、ユウタが小説を書きながら聞いていたポップスが流れている。二人とも黙ったままだ。ユウタは、慣れない展開に、人差し指で頬を掻いた。

「えーと…。」

ミツルがいれば、色々と盛り上げてくれるだろうに、今はいない。

ユウタが、小さなため息をついた時、ついにミカが口を開いた。

「私、ユウタさんと、どうしても会いたくて。」

「え?あ、うん。」

「私、あの…私…。」

なかなか切り出せないミカ。

「あの…お付き合い…した方っています?」

緊張のため、とんでもない質問をしてしまった。

「…え?」

「あーッ!いえ!なんでもないです!ごめんなさい!やだ、私、何へんな事聞いてんの!」

両手をバタバタさせて謝るミカ。その姿に、ついにユウタの顔に笑みが戻った。

「大丈夫、大丈夫。うん、いたよ。」

律儀に答えるユウタの言葉に、ミカの動きが止まる。

「あ…そうなんですか…。」

「でも、振られちゃった。」

肩をすくめ、笑うユウタ。

「デートの約束してたのに、小説を夢中で書いてて、行くの忘れちゃったんだ。」

「え…。」

絶句するミカに、

「だよねぇ。彼女も、すっごい怒っちゃって。それで、振られちゃった。」

と、舌を出して笑った。その笑顔を見て、ミカは、自分に確認するようにつぶやいた。

「でも…好きな人が好きな事に夢中になってるんだから、私はいいと思う。」

「でもさ、一回だけじゃないんだ。何回もそんな事してるんだよ?」

ユウタが、情けない顔で言った。ミカは、ユウタを見た。

「でも、私はいいと思う。」

ユウタは、飲み会の時、自分の好きな作家についての持論を曲げなかったミカを思い出した。

「ミカちゃんらしいね。」

そう言って、頬笑む。ハッと我に返り、ミカはうつむいた。部屋に流れる曲が、スローなラブソングに変わった。まるで、ミカを後押ししているように、女性シンガーが、情熱的に歌い上げる。うつむいたまま、それを聞いていたミカだったが、やがてゆっくりと顔を上げ、ユウタを見た。

「好きです。」

ユウタは、優しい瞳でミカを見つめている。

「私と、お付き合い、していただけませんか?」

ユウタが、微笑んだ。それは、ミカが初めて見る息を飲む程の美しい笑みだった。体全体を包み込まれているような感覚に、ミカは心臓がはち切れそうになる。けれど、優しくミカを見つめる瞳は、陰り始めた。

「…ユウタさん?」

たまらず、ミカは名前を呼んだ。ユウタが、微笑みを湛えたまま、薄い唇を開く。

「僕はもうすぐ死ぬから付き合えない、って言ったら、君は、それでもいい、って言うんだろうな。」

「え…?」

ユウタは、微笑んでいる。けれど、もう息を飲むような美しさは消えていた。優しいけれど、悲しい笑みだ。

「僕は、君の事は友達としか思えない。病気だから、長くは生きられないから、とかじゃなくて、単純にそんな気持ちは無いんだ。だから…。」

ユウタを見つめるミカの瞳が揺れた。

「ごめんね…ミカちゃん。」

ユウタはうつむき、もう一度言った。

「ごめん…。」

なんてキレイな横顔なんだろう…首筋も真っ白で細くて男の人とは思えない…。この非常時に、ミカはそんな事を考えていた。だけど、それ以上にこの人の心はキレイで…それを知ったら、誰だって側にいてあげたくなるに決まってる…。

「ユウタさん…。」

ミカは、ユウタの手を握った。驚いて顔を上げたユウタに、ミカは顔を近づけた。そっと…でも、ありったけの思いを込めて、ユウタにキスをした。握ったユウタの手は、動かない。流れていたラブソングが、終わった。ミカは、ゆっくりユウタから離れた。お互いに見つめ合う。ユウタの瞳が、全てを物語っていた。ミカは、静かにユウタの手を離した。そして、ソファーから立ち上がった。

「帰ります。」

ユウタは、ただミカを見上げている。ミカは、ユウタを見おろして笑ってみせた。

「ユウタさんに会えて、よかったです。」

ペコリと頭を下げ、もう一度ユウタに笑顔を見せると、歩き出す。部屋のドアのノブを握った時、

「ミカちゃん!」

ユウタが、ミカの名を呼んだ。ノブを握ったまま、ユウタを見る。

「僕も、君に会えてよかった。本当にありがとう。」

いつもの優しい笑顔だ。ただ違うのは、眉毛が下がっていること。ミカの視界が、みるみる滲み出す。

「えへッ。」

やっとそれだけ声に出すと、勢いよくドアを開け、部屋を飛び出した。


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