幕間 《 エルフの胸の内 》
今回はイラとルカの視点です。
トントントンと厨房に響く包丁の音。
踊るようなリズムでかろやかに奏でる演奏者は張りきって調理していた。
イラ・ルプス・エオロ。今年で351歳になる婚期を危ぶまれるダークエルフ。
しかしその実、一族を代表してハイエルフに仕えることを許された、確かな腕を持つ戦士。200代の頃は冒険者として名をはせ、ゆくゆくは妖精艦のクルーとして働けるようにと、教育も受けたエリート中のエリートだったりする。
そんな彼女も今では立派にメイド服姿が板についた料理人だ。50年も平和だったせいか今ではとくに疑問もない。
森での狩りでは戦士としての腕をふるうまでもなく、メイドとしてのスキルのみが上がり続けた。もともとロマンチストで乙女チックな性格であったがため、家事労働はいずれ出会うであろう運命の旦那様に奉仕するための修行であると考えていたので、とくに不満も抱かなかった。そして……。
その待ちに待った出会いは数奇な運命に導かれてとうとうやって来た。
イラの思考は手元の調理には向けられておらず、もっぱら将来の旦那様をロックしていた。
しかし出会いは最悪であった。まさか主人が800年も待った者が人族だったのだから仕方がない。そしていきなり妖精族の誇りを侮辱したのだ。殺意がわかないわけがない。しかしその後に語った彼の言葉はイラの胸をついた。
神族を滅ぼすことは一族の悲願であり、あの黙示録にかかわった全ての種族の大望でもある。800年の時がたち風化されつつあるが、神災が起こり続けるかぎり忘れることは許されない。
それでも彼は戦うなと説いた。今にして思えば赤の他人である彼が、そこまで真剣に考えてくれたことを嬉しく思う。
見知らぬ地を訪れて、雨露をしのぐこともままならない遭難者が、保身に走らず本音で戒めてきたのだ。器が違うと思った。
思えばあのときから惹かれていたのだろう。そして初めての実戦でおたおたするイラに的確な指示を出す姿は凛々しかった。これが選ばれし者の強さなのだろう……。
そんな方につい勢いで体を捧げるなどと言ってしまった自分が恥ずかしい。
しかし後悔はしていない。今盛りつけているいる料理だって彼のことばかり考えて作ったものだ。
「イラーまだですかー? もうおなかぺこぺこです!」
「もうまもなくでございますよ、お嬢様。さあ、彼を――提督様を呼んできて下さいまし」
主人は敬礼して飛び出して行った。あれだけ走れるのだからお腹の減り具合はそれほどでもないと長年の付き合いでわかる。
うれしいのだ。彼女も彼と食事ができるのが……。
イラは二人分の配膳を済ますとテーブルから離れた。厨房にはいつでも配膳できるように自分の分を用意して、将来の旦那様が来るのを待ち続けた。
◆
久しぶり感じる母の温かみに抱かれて甘えていた。
それが夢だと気づいていても、目が覚めるまで短い腕でしがみついていた。
ルカ・トゥルーデ・フロージ。亡国の姫君にしてアルフハイムの遺産を受け継いだリンフルスティの艦長である。幼い外見に見合わない年齢のハイエルフは800年もの間、この艦のなかでその存在を隠されたまま生かされた。しかしその長い眠りからようやく目を覚ますことができた。使命を果たすために……。
目が覚めるとそこは見なれた天井だった。
『おはよう。ルカちゃん』
「おはようございます」
まだ日が昇りはじめたばかりで窓の外は薄暗い。ちょっと早く起きすぎたようだ。それ以外はいつもどおりの朝だった。
いつものように語り掛けられ、語り返す。決してルカから話しかけることはない。なぜならこの声は自分にしか聞こえないのだから……。
まだ100歳に満たない頃のこと、当時面倒を見てくれていたメイドたちが、ときおり独り言を呟いているように見えたルカのことを大いに心配した。声の話をすればますます心配されて、ずいぶんと気まずい雰囲気になったのだ。
後になってそういう病気があるのだと聞かされた。
それ以来、自分から語り掛けることをひかえるようになり、声もあまり聞こえなくなった。
それでも「おはよう」と「おやすみ」は欠かしたことがない。まるでいつでも側にいると主張するように……。
ルカもその気持ちがうれしくて必ず返事をかえした。
そんな日々が永遠に続くかのように思われたが、数日前からその均衡は崩れた。
『もうすぐ提督が現れます』
「!」
『歓迎してあげましょう』
久しぶりにあいさつ以外の声を聞いたと思ったら、とんでもないことを言いだした。
しかしルカも我を忘れて声に語り掛けた。もちろん話題は提督について。
声の語る提督はそれこそ物語の英雄などかすんでしまうような優秀な人物だった。
高揚感で胸がいっぱいになるなんて何百年ぶりだろう。思い出すのもおっくうなほど長い間忘れていた感情だった。
そしてその人は唐突に現れた。
誰かの声に起こされて、目が覚めると聞き慣れない目覚まし時計が鳴っていて、感情をぶつけたら静かになった。そして――。
『提督がいらっしゃいました』
声が教えてくれるまでもなく、振り向いた瞬間、その存在をたしかに認識した。
ルカは数日前から考えておいた歓迎の挨拶も忘れて泣いてしまった。
それがアスカとの初めての出会い。その後のことを思い出すと少し辛い……。
浮かれるルカの気持ちをバッサリと切り伏せたのだ。
しかしあのときの言葉の意味も今ならわかる。
アスカは決して意地悪であんなことを言ったのではないと。自分たちが相手にしようとしていた敵が、途方もない存在なのだと身にしみた今ならはっきりとわかる。
なんとか撃退はできたものの、うれしいとはこれっぽっちも思わなかった。
良くやったとアスカはほめてくれたが、うまくやれたのは実力じゃない。
どんなときでも冷静に的確な指示を出してくれたアスカが側にいてくれたからだ。
感謝してもしきれない。こうして生き残ることができたのはアスカのおかげなのだから。
『そろそろ朝食の準備が整うころですよ。提督を起こしに行きましょう』
「ぴしッ!」
思えば起こされるばかりで起こした経験は少ない。しばし考えてからルカの顔に笑みが浮かんだ。
それは小さな悪戯心。なのにとても楽しい気分になる。
それが家族ではなく恋人に抱く感情だと気づくのはもう少し先の話だった。
お告げはルカが考えた作り話でした。提督の来報を告げたのはメッセージさんです。
次回 第 2 章 第 10 話 《 ニートと皮算用 》




