第41話「おとなの再会」
大人になった海斗と菜々子が、思い出の公園で再会する本文です。
ぼくは、菜々子ちゃんに、電話をかけた。
「あー、菜々子ちゃん」
「海斗くんが、帰ってきてますよー」
「あの公園に、行ってみたら、どうですー」
それだけ、言って、きった。
自分では、動かない。
動かすのは、いつも、相手。
ぼくには、わかる。
あの二人の色は。
ゆっくり、近づいて、いく。
でも。
それ以上は、言わない。
あとは、自分たちで。
あー。
めんどくせぇ。
◆◇
——菜々子
海斗くんが、帰ってきた。
五年ぶり。
リーグが、しばらく止まっているらしい。くわしいことは、わからない。
でも、帰ってきた。
慈恩さんから、電話があった。あの公園に、行ってみたら、と。
私は、十八歳になっていた。音大の、一年生。
もう、子どもじゃ、ない。
画面ごしには、ずっと見てきた。世界で走る、海斗くんを。
でも、本物に会うのは、二〇一五年の空港以来。
あの、見送りの日、以来。五年ぶりだった。
私は、公園へ向かった。あの、植え込みのある公園。すべてが、はじまった場所。
胸が、鳴っていた。
子どものころの、ぱくっ、じゃなくて。もっと大人の、鳴り方で。
◆◇
——海斗
僕は、ベンチで、待っていた。
公園は、あの頃と、あまり、変わっていなかった。
植え込みも、ある。
僕が、くずれかけていた、あの場所。
やがて。
向こうから、人が、歩いてきた。
僕は、立ち上がった。
そして。
息が、止まりそうに、なった。
ななちゃん、のはずだった。
でも。
僕の、知っている、ななちゃんじゃ、なかった。
僕の、中の、ななちゃんは。
六歳で。
それから、十三歳で。
見送ってくれた、あの子だった。
でも。
目の前の人は。
大人の、女性だった。
背が、すらりと、して。
まなざしが、静かで。
僕は。
うまく、その二つを重ねられなかった。
同じ人の、はずなのに。
違う人みたいで。
不意をつかれた。
僕は。
初めて。
ななちゃんを。
「今」の姿で、見た。
胸の、奥が。
変な、ふうに、動いた。
これは、なんだろう。
わからなかった。
僕は、少し、間を置いて。
やっと言った。
「ななちゃん」
「……ひさしぶり」
「うん」
「ひさしぶり」
僕は、続けた。
うまく、言えないけど。
これだけは。
直接、言いたかった。
「ずっと」
「見てて、くれて」
「ありがとう」
五年前にも、空港で、言った。
でも。
あのときより、ずっと重く。
僕は、リュックを下ろした。
中から、一つ、取り出した。
古い、お茶の缶。
空っぽの、缶。
へこんで、色も、あせている。
「これ」
「ずっともってた」
僕は、それをななちゃんに、見せた。
十二年。
ドイツにも。
世界の、どこへでも。
ずっと一緒に。
多くは、言わなかった。
僕は、口下手だ。
でも。
この缶が。
全部、言ってくれる、気がした。
◆◇
——菜々子
私は、その缶を見た。息をのんだ。
あの、缶だった。
六歳の私が、植え込みの奥の海斗くんに、差し出した、お茶の缶。
それを、海斗くんは、十二年、ずっと、世界中もって歩いた。
へこんでも、色あせても、捨てなかった。
私の見てきた七年や、十二年が、海斗くんのなかにも、同じだけ、あった。
それが、この缶に、つまっていた。
胸が、いっぱいになった。
そして、私は、顔を上げた。目の前の、海斗くんを見た。
大人の、海斗くん。二十七歳。
これまで、私は、海斗くんを憧れとして見てきた。
見る相手として。書く相手として。画面の向こうの人として。
でも、いま、目の前にいる海斗くんは、違った。
同じ人なのに、胸の奥が、これまでとは違う鳴り方をした。
新しい、なにか。名前のつかない、なにか。
私は、それがなんなのか、まだ、わからなかった。
「ななちゃんは?」
海斗くんが、聞いた。
「いま、なにをしてるの?」
私は、どきっとした。
ずっと私は、見るほうだった。しょうにん。人を見て、書くほう。
でも、いま、海斗くんに、見られていた。まっすぐ。
見られるほうになるのは、慣れていなかった。
私は、少し、どぎまぎしながら、答えた。
「……フルート、やってる」
「音大に、入った」
「へえ」
海斗くんの目が、やわらかくなった。
「きかせてよ。ななちゃんの、フルート」
私は、すぐにはうなずけなかった。
まだ、自分の音を探している、途中だから。
「……いつか」
そう、言った。いつか。また、いつか、だ。
◆◇
——海斗
短い、時間だった。
すぐに、それぞれの、帰る時間が、きた。
でも。
何かが。
変わっていた。
僕は、駅へ、歩きながら。
考えていた。
こんな気持ちは。
初めてだ。
あの子が。
いや。
あの、人が。
僕の、中で。
大きく、なっている。
うまく、言えない。
また、会いたい。
すぐに。
これは。
なんだろう。
僕は、立ち止まって。
空を見た。
日本の、やわらかい、空。
わからない。
でも。
悪く、ない。
むしろ。
◆◇
——菜々子
私も、帰り道で、同じことを考えていた。
これは、なんだろう。
海斗くんに会えて、うれしい。それだけじゃ、ない。
胸の奥が、まだ、鳴っている。
名前をつけたら、たぶん、もう、もどれなくなる。
だから、まだ、つけない。
でも、次に会うのが、楽しみで、少し、こわい。
家に帰って、神棚の前に立った。
二礼、二拍手、一礼。パン、パン、と、手を鳴らした。
海斗くんが、元気で。
それから、言葉にならない願いをひとつ。
日記帳をひらいた。ななちゃんの、しょうにん。
その下に書こうとして、ペンが、止まった。
今日のことは、まだ、うまく書けなかった。
名前のない、なにかは、言葉にならなかった。
私は、いつも、人を見て、書いてきた。
海斗くんを。慈恩さんを。町のみんなを。
外側から見て、言葉にしてきた。
でも、これは、私のなかにある。
一番近くて、一番見えない。
しょうにんなのに、自分のことだけは、まだ、見えない。
私は、ペンをおいた。それでも、いい、と思った。
いつか、名前がつくときが、くるかもしれない。そのときに、書こう。
窓の外は、春の夜。新しい季節の、匂いがした。
まだ名前のない気持ちを抱えたまま、二人の時間が静かに動き出します。




