表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とまらない三姉妹の日常。―最新AIとの共作。そこに魂は宿るのか。心は揺れるのか。その目で見届けて。―  作者: 古咲一和


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/29

まだ梅雨は明けていなかった


 午前中から降り続く雨は、午後になると細かくなった。

 音もなく降っているようでいて、実際には傘に絶えず当たり続けている。

 アスファルトは黒く濡れ、静かな雨が落ちるたびに、水たまりの細い波紋が静かに揺れていた。


 3人で並んで帰っていた。前を歩くのは結菜。その少し後ろを、真奈と私が並んで歩く。


「いいよ、うん、それって夏休みに入ってから? 初日からやるの――」

 

 結菜の背中は、いつも通りまっすぐだ。傘の角度も一定で、迷いがない。電話の会話に集中して前しか見ていないんだろうな、と思う。


 狭い路地に入る。行く手には大きな水たまりができていた。歩道はない。嫌な感じがする。


(あ、これ……)


 足が自然と緩む。結菜は、そのままの速さで進んでいく。


 そのとき、背後からエンジン音が近づいてきた。雨のせいで音が反響し、距離がつかみにくい。


 振り返ると、白い車。思ったより速い。減速の気配がない。このままだと、結菜が水たまりの脇を歩くタイミングと、車が通るタイミングが重なってしまう。


(来る)


 結菜、気づいてる……?


 気づいてない――。


 声をかける時間はなかった。真奈と目が合う。ほんの一瞬。それだけで十分だった。


 2人で同時に踏み出す。結菜の横に体を寄せ、傘を傾けて側面を覆う。


 次の瞬間、タイヤが水たまりに突っ込む音がした。

 ばしゃっ、という湿った音とともに、冷たい水が跳ね上がる。カーディガンの袖が一気に重くなり、スカートの裾に水が叩きつけられた。顔にも髪にも水が掛かった。


 車は、そのまま何事もなかったように走り去っていく。

 

 佳奈は小さくこぼす「もう本当に最悪」文句の一つや二つ言いたくなる。

 

 結菜は無事だった。服も靴も、ほとんど濡れていない。スマホを顔に当てたままの結菜が、振り返り少し遅れて目を見開く。


「……え、なに?」


 その顔を見て、私は小さく息を吐いた。やっぱり気づいていなかった。


 真奈は無言でスマホを取り出す。私は傘を戻し、真奈を見る。


「ねぇ、今の見た?」


「ばっちり。ナンバー覚えた」


 真奈は画面を操作しながら言う。


「警察に電話する」


「え、えっ?」


 結菜はまだ状況が飲み込めず、私たちを見比べている。


 真奈が少し離れた場所で通話を始める。私は結菜に向き直った。


「結菜。もう少し、周り見たほうがいいよ」


「……はい?」


「さっきの車、結菜は泥はねされるところだった」


 自分の袖を示す。濃い色のカーディガンが、さらに暗くなっている


「ほら。私と真奈、びしょ濡れでしょ。しかも顔も髪まで」


 結菜はようやく状況を理解したように、私たちを見る。制服の色が変わっていることに、遅れて気づいた顔だ。


「結菜が前を歩いてたから」


 私は続ける。


「このまま行ったら、結菜も同じになってた」


 結菜は少し黙ってから、小さく言った。


「……ごめん。前しか、見てなかった」


 その言葉に、怒る気にはならなかった。分かってやっていたわけじゃない。ただ、視界が狭くなっていただけだ。


 悪いのはあの車だ。路地をあんなスピードで走るなんて非常識だ。


 真奈が通話を終えて戻ってくる。


「通報はした。場所と時間も伝えた」


 それから結菜を見る。


「怪我なくてよかった」


 私もうなずいた。それが一番だ。


 3人で歩き出す。今度は、結菜が少しだけ歩く速度を落とした。


 家に着く頃には、袖の冷たさがじわじわと体に染みてきていた。



 玄関で靴を脱ぐと、やっぱりひどい。水たまりの跡がそのまま残っている。


「……これは、撮っておかないと」


 真奈が言い、スマホを構える。2人で濡れた靴と制服を撮影する。


「証拠、ってやつ?」


 結菜が不安そうに聞く。


「念のため」


 真奈は淡々としている。


 私はそのまま洗面所に向かい、タオルで顔と髪を拭き、濡れた服を脱いで着替えた。


「お風呂、沸かすね」


 スイッチを入れると、湯張りの音声が家に広がる。それだけで、少し気持ちが緩んだ。


「冷えるから。結菜も、あとで入って」


「……うん」


 キッチンでは、真奈が濡れた制服のままコーヒーを淹れている。タオルで拭いたとはいえ、まだ湿っている。湯気と一緒に、苦い香りが立ち上った。


 カップを手に取り、ミルクを入れて一口飲む。体の内側から、ゆっくり温まっていく。


「落ち着くね」


 ぽつりと言うと、真奈が小さくうなずいた。


 結菜は、少し迷ってから口を開く。


「……私さ、ほんとに気づいてなかった」


 私と真奈は、黙って耳を傾ける。


「水たまりも、後ろから来る車の音も。前しか見てなくて……」


 私は、そっと注意を促した。できるだけ優しい声で。


 お風呂が沸いた音が鳴る。

 先に被害の大きかった真奈が入り、その後に私が続く。


「次からは、自分で気づけるようにね」


「……うん」


 脱衣所で服を脱ぎながら、私は結菜の顔を思い出す。

 結菜は、きっと次からは気をつけるだろう。

 それでいい。



 結菜は、最後にお風呂に入った。

 脱衣所に入り、自分の制服を見る。ほとんど濡れていない。

 シャワーのお湯を手に当てると、温かさに肩の力が抜けた。


(もし、2人がいなかったら)


 考えてしまって、少し怖くなる。

 湯船に浸かりながら、結菜は思い出す。迷いなく前に出てきた姉たちの背中。


(守られてたんだ)


 今まで、そんなふうに意識したことはなかった。

 前を向いて歩くのは、悪いことじゃない。

 でも、周りが見えていないのは、危ないことなんだ。


(佳奈ちゃんもまー姉も、濡れちゃったのに)


 誰も怒らなかった。

 ただ、次は気をつけてねと言ってくれた。

 お風呂から上がる頃には、胸の奥が少しだけ落ち着いていた。


(次は、ちゃんと見よう)


 背後の音。足元の感触。前だけじゃない、路地のすべて。

 それは、怖がるためじゃない。

 最悪からこの身を守るためだ。

 結菜は、タオルを握りしめながら、静かに思った。


 ――ちゃんと、ひとりでも歩けるように。


 脱衣所を出ると、リビングから佳奈と真奈の声が聞こえた。

 いつも通りの、穏やかな会話。

 私は、その方へ歩いていく。

 

 雨はまだ降っているけれど、世界は、さっきより少し広く見えるように感じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ