「お弁当は」持ってきた
朝のリビングは、いつもより少し慌ただしかった。
母は夜勤明けでまだ寝ていて、父は書斎にこもったまま。
三姉妹はそれぞれ自分の準備に追われていた。
「佳奈、水筒持った?」
「持った持った。大丈夫」
佳奈はカバンの重さだけで、「お弁当も入っている」と勝手に安心していた。
結菜も同じように、水筒をぽんと放り込んで家を出た。
ただひとり、真奈だけは落ち着いていた。
「2人とも、お弁当ちゃんと入れた?」
「入れたよー」
「入れた入れた」
その返事を、真奈は半分信じていなかった。
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2時限目の終わり
数学のノートを閉じた佳奈は、喉が渇いて水筒を取り出そうとした。
その瞬間、胸の奥がざわっとした。
「……あれ? お弁当、入れたっけ?」
カバンの中を探る。
教科書、筆箱、水筒、ハンカチ……
お弁当あった!
しかし、持ち上げた瞬間に気づく。
軽い。
「……やば」
「ごはん入れ忘れてる」
佳奈はすぐ近くの席の結菜に身を乗り出した。
「結菜、お弁当持ってきた?」
「持ってきたよー。ほら」
結菜はお弁当箱を取り出す。
しかし、軽い。
「あれ、なんか軽い」
「ちょっと開けてみて」
「うん?」
パカッ。
二段目はしっかりおかずが入っていた。しかし一段目のご飯ゾーンが空っぽ。
「……まー姉、入れ忘れた?」
「いや、これは……私たちが入れ忘れたんだよ」
佳奈は頭を抱えた。
「どうするの、佳奈ちゃん」
「購買部で買うしかないね。結菜、財布持ってきた?」
「持ってきてないよ」
「だよね……。じゃあ私が建て替えるから」
佳奈は結菜の肩をぽんと叩いた。
「結菜、頼んだ。4時限目終わったら、全力で購買部に走って」
「任せて!」
結菜の身体能力は、佳奈よりもずっと上。
ここはもう、妹に託すしかなかった。
⸻
4時限目が終わるチャイムが鳴った瞬間、真奈は自分のカバンを机から引き寄せた。中には、自分でしっかりと詰めた白飯が入ったお弁当箱がある。
「……さてと」
真奈は、朝の2人の顔を思い出していた。
水筒の重さだけで満足げだった佳奈。
返事だけは威勢のよかった結菜。
(たぶん……というか、十中八九入ってないわね。ご飯)
彼女たちのことだ。おかずの準備だけで精一杯で、主食というパズルの最後の一片を忘れてきたに違いない。
真奈の心にあるのは、7割の心配と、3割のいたずら心だ。
もし2人が空っぽのお弁当箱を前に絶望していたら、自分のご飯を半分ずつ分けてあげよう。そんな「頼れる姉」を演じる準備はできている。
でもその前に、あの2人がどんな顔をして途方に暮れているのか、ちょっとだけ拝んでやりたい。
「ちょっと、下の階に行ってくる」
⸻
チャイムが鳴った瞬間、結菜は椅子を蹴るように立ち上がった。
「行ってくる!」
地面を蹴り、教室を飛び出す。
廊下を駆け抜け、階段へ。
梅おにぎりにしようか、それともパンか。
いや、両方買えばいい。佳奈ちゃんのぶんもある。
考えながら階段の最後の段差を蹴って、結菜は一気に飛び越えた。
「はっ……!」
一階に着くと、すでに4、5人が購買部前に集まっている。
さらに後ろからも生徒が走ってくる。
「負けない!」
結菜は上履きを鳴らしてダッシュ。
人だかりはどんどん増えていく。
それでも、なんとか10番目くらいに滑り込んだ。
「……ふぅ、間に合った!」
⸻
お昼休み
佳奈の机に、結菜が誇らしげに袋を置いた。
「買ってきたよ、佳奈ちゃん!」
「ありがとう、結菜……! ほんと助かった」
佳奈の主食はツナマヨおにぎり。
「白ごはんでもよかったけど……家で食べられるしね」
佳奈はさらっと理由を述べた。
結菜は心配して尋ねる。
「それで足りる?」
「おかずはあるし、なんとかなるよ」
結菜の主食は梅おにぎり、そして小さめのライ麦パン。
「佳奈ちゃん、これね、糖質ちょっと少ないやつだったよ」
「ほんとだ……そうゆうのも売ってるんだね」
「うん! 梅おにぎりも軽いし、ちょうどいいと思って」
2人はおかず弁当を並べ、買ってきた主食を添えて、ようやく昼食にありついた。
「……なんか、これはこれで楽しいね」
「うん! 走ったからお腹すいた!」
そこへ、真奈がふらりと顔を出した。
「2人とも、ちゃんと食べてる? やっぱりご飯を忘れてたね」
「うん。まー姉だけは、ごはんを忘れてなかったんだね」
「まあね。2人は絶対忘れてると思ってたけど」
「なんで教えてくれなかったの」
佳奈が真奈の方に目を合わせず言う。
「朝慌ただしかったし、お弁当持ったって答えてたしね」
真奈は妹たちの机を見て、目を丸くした。
「……なんか豪華じゃない?」
「たまにはいいでしょ」
と言いながら佳奈はおにぎりの封を切る。
「主食だけ買ったの」
「結菜がめっちゃ走った」
「うん! 階段飛んだ!」
真奈は思わず吹き出した。
「……ほんと、元気だね」
⸻
母は夜勤明けの仮眠から起き、麦茶を飲んでいた。
そこへ三姉妹が順番に帰ってくる。
「ただいまー」
「ただいま」
「ただいまー!」
結菜だけ声がひときわ元気だ。
「おかえり。今日はどうだった?」
佳奈と結菜は顔を見合わせ、結菜が胸を張る。
「お母さん、聞いて! 今日ね、佳奈ちゃんと私、お弁当のご飯忘れたの!」
「……いきなりの報告ね。胸を張るようなことなの?」
母は呆れ半分、笑い半分。
「でね! 4時間目終わった瞬間に、私が購買部まで走ったの!」
「階段飛んだんだよ」
「階段を飛ぶってなに……? あまり危ないことしないでね」
母は少し間を置いて、湯飲みをテーブルに戻した。
「……まあ、ちゃんと食べられたんなら、いいか」
そう言いながらも、口元がゆるんでいた。
「うん、梅のおにぎり、ライ麦パンどっちもおいしかった」
「私はツナマヨのおにぎり」
そこへ真奈が帰ってくる。
「お母さん、2人ね、絶対忘れてると思ってた」
「真奈は忘れなかったの?」
「もちろん」
母は真奈の頭を軽く撫でた。
「さすが長女ね」
佳奈が静かに口を開く。
「……結菜。今度からさ、ご飯を先に入れてから、おかず入れよう」
「うん! いいねそれ。それなら絶対忘れないよね」
母は湯飲みを置き、静かに微笑んだ。
「いいじゃない。自分たちで気づけたんだから」
⸻
翌朝
佳奈と結菜は昨日の反省を胸に、早めにキッチンに立った。
「よし……まずはご飯」
白いご飯を3つの弁当箱にふんわりと詰める。
佳奈は小さくガッツポーズをした。
「よし、ご飯完了」
そこへ真奈が入ってくる。
「何か手伝おうか?」
「うん、真奈。ピーマンとしょうが、細切りにしてほしい」
「細切りだけなら任せて」
真奈は包丁を手に取り、ピーマンとしょうがを細く、均一に切っていく。
「まー姉、今日もプロっぽい」
結菜は、冷凍の唐揚げを電子レンジに入れる。
佳奈は卵焼きを仕上げながら、横目で真奈の手元を見ていた。
「ほんとに細い……」
「ふふん。切るのは私の得意分野だから」
結菜はその具材を使って、フライパンでピーマンのしょうがきんぴらを仕上げた。
「できた!」
「色もきれい」
「おいしそう……!」
佳奈は昨日決めた順番を守りながら詰めていく。
「もうご飯は入ってる……おかずは、卵焼き、唐揚げ、ピーマンのきんぴら、入れて……あとブロッコリーとプチトマトだね。二段にして……箸入れ確認して……」
「よし!」
結菜も詰め終え、真奈も自分の弁当を並べる。
テーブルの上には――
真奈の弁当、
佳奈の弁当、
結菜の弁当。
3つがきれいにそろっていた。
そこへ、キッチンの入り口に母が現れた。
寝癖のついた髪のまま、目を細めて3つの弁当箱を見ている。
「……あら」
それだけ言って、静かに戻っていった。
でも、その背中は少しだけ笑っているように見えた。
少し遅れて、父も通りかかった。
コーヒーを淹れようとしてキッチンに入り、テーブルの上の3つの弁当箱に気づいて、足を止める。
「昨日ね、ご飯入れ忘れたから、今日は気をつけて作ったの」
結菜が振り返って言う。
「ほう」
父はそれ以上何も言わなかった。
ただ、コーヒーメーカーのボタンを押しながら、もう一度だけ弁当箱を横目で見た。
「なんか、そろってると気持ちいいね」
「うん! 今日のきんぴら、絶対おいしいよ」
「まー姉の細切りのおかげだね」
「えっ……いや、2人の味付けがよかったんだよ」
三姉妹は顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれた。
今日のお弁当は、昨日よりずっとおいしい。
そして少しだけ、誇らしい。




