5
イチコたちは、都にある王宮に案内された。
人々の暮らす街を通り抜けた先に、巨大で絢爛豪華な建物があって、威厳を放っている。
屋敷に入ると、一人の男性に出迎えられた。頭を角髪に結わえ、両端に尖った左右の口髭と、あご髭が特徴的だ。体格はがっしりしていて肌つやもあり、髪もまだ黒々としている。だが、案外初老ぐらいの年代かもしれない。
「ようこそお越しくださった。私は、このクニの宰相を務めるキグラといいます。どうか、よろしく頼みます」
キグラの言葉は丁寧だが、口調や態度には威厳がにじみ出ている。
「早速ですが、皆さんには、これから女王に会っていただきます。女王も皆さんに会うことを心待ちにしておりました。さあ、行きましょう」
キグラが先導して歩きだす。イチコたちはそれに続いた。広く長い廊下を歩いてゆく。方々に、土器や工芸品、ガラス細工などの装飾品が、目移りしてしまう勢いで飾ってあった。中には、大陸からもたらされたと思われるものもある。文化・文明が相当進んでいることを思わせた。歩きながらキグラが言った。
「実は、わが女王は、私の姉君でもあります。このクニでは、かつて男の王が代々君臨していましたが、他のクニとの争いが絶えず、内乱も度々起こって、内政がかなり不安定な状態が続いていました。しかし、姉君を女王として立てたところ、ぴたりと争いは収まり、平和なクニになったのです。私は、宰相としてそんな姉君を支え、政治を取り仕切っているわけですな。ははは」
キグラはなぜか豪快に笑ってみせた。それ以降も、話を続ける。女王は巫女であり、祈祷によりこのクニの繁栄をもたらしてくれているということ。さらにその具体的な実例などを自慢気に喋っていた。まるで、自分のクニの女王がいかに偉大な人間なのかを、誇示しているようだ。
キグラの話を聞かされながら歩いていると、奥に大きな襖が見えてきた。その前で立ち止まると、キグラは改めて一行を振り返った。
「さあ、この先が女王のおられる場所になります。襖を開ける前に先に申し伝えておきますが、部屋に入っても、頭を低くして、なるべく女王の方は見ないようにお願いします」
唐突に制約を言いつけた後、キグラが襖を開ける。広々とした木目調の空間。左右には各十名ほどの護衛が並び、奥の壁の一面には、巨大な神棚が備えつけられている。その手前には階段があって、その上には格子状の区画があった。その前面は簾がかかっていた。奥に人影のようなものがのぞく。どうやら、あれが女王のようだ。
「皆さん、頭を低くしてお入りください。女王の御前まできたら、そのまま腰を落として、ひれ伏してください」
釈然としない気持ちを抱えながらも、イチコをはじめとした使者たちは彼の言葉に従い、中へと入っていった。首を垂れたまま歩いていき、女王の御前で腰を落とし、その場にひれ伏した。その時――。
「頭が高いぞ、貴様!」
突然叫び声がしたと思うと、数名の護衛が飛び出してきて、トワリを取り押さえた。
「トワリくん!?」
イチコは思わずがばっと上体を起こした。
「頭を上げるな!」
護衛がイチコにも叫ぶ。イチコは再びその場にひれ伏した。
「いってーな、放しやがれ……!」
とトワリが叫ぶ。イチコは状況をすぐに察知した。彼は、キグラの指示に従わなかったのだろう。それで護衛に取り押さえられたのだ。はねっかえりな性格のトワリらしいといえばらしい。
だが、そうであったにしても、仮にも客人に対して、なんという仕打ちだ。
「おほほ、元気のよいことだ」
ふいに、壇上から声がした。年季の入った女性の声だった。どこかこちらを見下しているような、傲慢な響きのある声だった。
「あれは私の夫です。放してあげてください」
イチコは床に顔を近づけた格好のまま、押し殺した声で言った。
「それがどうした。そなたの夫だからといって、なぜ放さねばならない。それとも、そなたは私に意見できるような立場の人間だというのか。名は何という」
「イチコです」
「イチコ――とな。そうか、そなたが噂に聞く、祈祷師のおなごか」
イチコの噂は女王にも届いているらしい。襖の奥の影が、さっと片手をあげると、護衛たちは途端にトワリを解放した。トワリはその場にへたりこんだままで、荒い息をついている。イチコはほっとした。
「わが護衛が手荒なことをした。わがクニには、一般の人間は、王の姿を直接見てはいけないことになっている。故に、王に謁見の際はその姿が見えぬように頭を下げる。これがこのクニの作法なのだ。――弟よ」
「何でしょうか、姉君」
奥に控えていたキグラが返事をする。
「そなた、この客人たちに、事前にきちんとわがクニのしきたりについて教えたのか」
「はっ、一応話したつもりではありましたが、意図が伝わり切ってはいなかったかもしれません」
「そこは、理解できるよう、丁寧に話しておくべきだったのではないか」
「申し訳ありません」
キグラはその場で90度腰を曲げて女王に謝罪をした。だが、二人とも、使者たちを完全に見下したような物言いである。イチコは胸に怒りがこみ上げるのを何とか抑えた。
「まあよい。――ヒノイリノクニの使者たちよ、驚かせて悪かった。私がこのヒノデノクニの女王だ。名前までは勘弁してほしい。わがクニでは、王は自らの姿と名は、公に知らせぬことになっておるのでな」
ふいに、女王は手を前に出して、イチコの方を指し示した。
「その者、イチコとか言ったな。近くへ参れ」
イチコはその言葉に従い、腰を落としたままで女王の方へと近づいた。
「顔を上げよ」
イチコは三つ指をついて、床をなめるくらいに下げていた上体を起こした。
「ふぅーむ。簾ごしだと姿がよく見えんな。――おい、簾を上げてくれないか」
女王が側近に銘じる。「姉上。良いのですか」とキグラが訊いた。
「かまわぬ。この者も私と近しい力をもつ人間だ。はるばる来てもらった礼は尽くさんとな」
側近が簾を上げてゆく。膝元から徐々にその姿があらわになった。純白な下地に朱の模様が施された着物、首には翡翠・水晶・琥珀……色々な種類の宝石でそれぞれ作られた首飾りを何重にもかけ、金製派手な頭飾りをしている。髪には白髪が混じり、顔はおしろいが塗りたくられているが、皺を隠しても隠しきれない年輪を感じさせられた。
ヒノイリノクニの使者たちは頭を下げたままだし、ヒノデノクニの護衛や側近たちは皆、見たら目がつぶれるとでも言わんばかりに、みな顔を伏せ、自らの手で目をふさいでいる。この場で、女王の顔を目の当たりにしているのは、イチコとキグラだけだった。
「そなた、ずいぶん若いの。いくつになる」
「28になります」
自分が果たして若いのかどうかは疑問だ。だが、少なくとも、目の前にいる女性よりははるかに年下なのは間違いない。
「偉いものだ。その若さで、私と同じく、クニのまつりごとを担っているとは」
「担っているのは私ではありません。私のクニでは、まつりごとは王の一族を筆頭に、それぞれの政治部門の役人たちが分担して行っています。私の役目は、クニの繁栄と人々の幸せを神に祈り、神からのお告げを政府に伝える――それだけです」
「やけに謙虚じゃな。では、そなたは神どのような存在だと思う」
「神様とは、この自然すべてをお創りになられた存在。生きとし生けるもの皆に富や恩恵をもたらしてくれる、偉大なお方です。ただ、私たちひとりひとりに、見せている姿は違うものかもしれません。それぞれが、自分の心を通じた神の形を信じ、崇める――それがその人なりの信心なのではないか、と私は考えています」
「なるほど、それがそなたの考え方か」
女王は静かに言った。口ぶりから、イチコの見解に同意したわけではなさそうである。
「――女王様は違うのでしょうか」
と、今度はイチコが訊ねてみた。
「私はな、神とは天にいてこの世界を司る、絶対的な存在だと考える。そして、そんな神に近づけるのは、ごく一部の選ばれた人間のみであって、大多数の人間は、その存在に近づくことも触れることも許されない。選ばれた者こそが、絶対的な神の姿を他の者たちに教え、その力をもって正義を行使する。――それが私、ひいてはわがヒノデノクニの信義だ。実際に、わがクニのまつりごとは弟のキグラに任せておるが、私の神のお告げは絶対に守らせている。そこから外れた方針を打ち出すことは許さん」
神こそが正義であり、そんな神に近いところにいる女王の力は絶対的なもの――そんな思想がこのクニにははびこっているらしかった。女王は目を細めて言った。
「イチコとやら、私はそなたの若さがうらやましい。だが、だからこそ、歯がゆさも覚えてしまう」
「――どうしてでしょうか?」
「そなたには力があるようだが、そのような考えでは、有意義に発揮することはできんだろう。もっと権威を誇示しても良いのではないか。そなたなら、多くの人間を従えることができるであろうに」
「……自分はそんなたいそうな人間じゃありません。ただの巫女です」
「強情なものよのぉ」
女王は呆れたようにつぶやいた。
「――まあよい。使者たちよ、お疲れであろう。客室を用意してあるから、しばらく休むとよい。その後、わが都を案内しよう。案内役の者が参るまで、しばしゆっくりと過ごされるがよかろう」
女王はそう言ってこの場を締めた。彼女の真ん前にひれ伏しながらも、イチコは思っていた。この人と私とでは、根本的に考え方が違う。この女王からは、神を利用して、他の人間を支配しようとする意志がみえる。クニとして統制をとるために、ある程度は神や信仰を利用しなければならない――というのは分からないでもない。だが、本来の信心とは、そういうものではなく、もっと個々人の自由な解釈に委ねてもいいものだとイチコは思っていた。それこそ、トワリのように、信仰とは違う視点で、真実を見極めようとする人間がいても良いのだ。
同じ神を崇める立場でありながら、まったく相容れない信条をもつ女王を、イチコはあまり好ましくは思えなかった。




