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ヒノデノクニの第一次使節がヒノイリノクニにやって来たのは、まだイチコがハナドリを身ごもっている頃だった。故に、両国が交流をはじめてから、かれこれ4年ほどになる。それ以来、ヒノデノクニからは度々使者がやってきて、ヒノイリノクニの視察と文化交流を行ってきた。
ちなみに、アリアケがシラナミと婚約したのは、彼が第三次使節としてやってきた時のことだった。
やがて、互いの名産品を交換する交易も行うようになった。互いの良いところを認め合い、分け合って、両国の関係は良好にみえた。
ところが、イサミは最近、ヒノデノクニの動向に疑問を覚えるようになったという――。
「私がまず疑問に思ったのは、互いに使節が遣わされる回数です。あちらのクニからの使者の来訪はすでに十を超えているそうです。ところが、わがクニからの使節はわずか数回。交流というにしては、均衡がとれていません」
「なるほど。次の使節には、俺とイチコも参加するけどな。――出発はいつだっけか」
トワリが振ってくる。イチコは呆れたように答えた。
「1週間後だよ。こういう大事なことはちゃんと覚えとかないと」
「そっか、もうそこまで迫ってるのか……」
と、トワリは独りごちた。
「えー、とっととかっか、どっかに行っちゃうの? やだー!」
ハナドリが不満顔で声を上げた。確かに、幼いハナドリを置いて遠方に赴くのは、イチコもトワリも心配なところではあった。前回使者参加の打診があった時は、ハナドリが生まれて間もないという理由で断ったのだが、クニからの命を二度も反故にするのは具合が悪い。ぐずつくハナドリに、イサミが優しく語りかけた。
「心配ないよ。じきに帰ってくる。父さんと母さんがいない間は、私の家で一緒に暮らそう」
「えっ、イサミと一緒にいられるの? やった! とっとにかっか、ばいばーい!」
「いや、出発はまだだから……」
あっさりと態度を翻すハナドリに、トワリがやるせない顔でツッコんだ。それから、また真剣な顔になって、イサミの方に向き直る。
「だが、確かに言われてみりゃ、妙な話だな。なぜそこまで回数が違うんあるんだろうな」
「聞いた話だと、政府は度々、ヒノデノクニの使者たちが来る度に、あちらへの訪問を申し出ているのですが、『わざわざ来ていただくのは忍びないから』などと言われて、はぐらかされてしまうのだそうです」
「なるほど――。気になるのはそれだけか?」
「他にもあります。ヒノデノクニの使者たちは、視察の際、わがクニの至るところまで、見て回っている印象があります。文化や技術、山や海の様子や地形まで……まるで、ヒノイリノクニのすみずみまで調べつくそうとしているようです。一方で、過去に我々の側が使者を送った際には、見せてくれたのは都周辺の姿だけだったとか。この点も、公平であるとは私には思えないのです。あとは――」
「まだあるのか」
「これは飽くまでも私の感想でしかないのですが」
「構わない。公に発しているわけじゃないんだから。思うように話せばいい」
「では――。最近の使者たちの様子です。先日来た使者たちを見たところ、粗暴な振る舞いやぞんざいな態度が目立って、胸を借りるという気持ちが感じられないように私には思えてしまうのです」
「――なるほど。それでお前は疑問を感じてしまっているというわけだな」
「はい。ですが、これまで誰も私の疑問について、共感してくれる人はいませんでした。父上にも、『あまりそのように人を穿った目で見るものじゃない』と言われてしまって――」
ここでいう“父上”とはヒブリのことである。イサミは戸籍上の父と母であるヒブリとキミのことを“父上”、“母上”、そして生みの親であるイチコとトワリのことを“イチコ母さん”、“トワリ父さん”と呼び分けていた。
「それで俺にも話を振ってきたというわけか」
イサミはこくりとうなずいた。
「どうでしょうか。やはり、私の見方や考え方が間違っているのでしょうか……?」
「いや、俺はそうは思わねえな」
トワリがそういうと、イサミの曇っていた顔が明るくなった。ここにきて、ようやく味方ができたような感覚になったのだろう。だが、トワリは釘をさす。
「勘違いすんなよ。お前の話を信じるってわけじゃねえ。自分の意見をもち、主張するのは悪いことじゃないといってるだけだ。だが、それで意見の異なる相手に不満をもったり、批判したりはするな。何の意味もねえからな」
数年前、同じ件でひとり反対意見を言って、周りをかき回したのは誰だったっけ――とイチコは内心思ったが、余計なことは言わないことにした。彼は彼なりに、息子に自分が身をもって体験し学んだことを教えようとしているのだろう。実際、トワリの指摘に、イサミは神妙な面持ちになって「それは、分かっているつもりです」と応えた。
「しかしだ。違和感があるのなら、その感覚は大事にした方が良いかもしれない。気のせいだと思い込んで、自分の気持ちや今の状況から目をそらすな。その要因について考え、探り続けるんだ」
「分かりました」
イサミはしっかと応えた。いささか勇気づけられたようである。トワリはイチコの方を向いた。
「俺たちも、ヒノデノクニに行ったら、少し気を付けて連中の動向を見といたほうがいいかもしれないな」
「そうね」
イチコは短く答えた。トワリとイサミ、父子そろってヒノデノクニに疑念を抱いたという点は、イチコにとっても気になるところだった。イサミは父からの論理的思考力を受け継いでいる。あるいは、母であるイチコからも――。
ふと、イチコはイサミの様子が気になった。少し身体をこわばらせて、もどかしそうに口をつぐんでいる。まだ何か言いたいことを隠しているのだろうか――と思った。
その時、突然ハナドリが大きな声を出した。
「とっと、おしっこいきたい!」
「さっき行ってきたばかりだろ」
「ざんにょーかんがきた。もれちゃう!!」
膝の上でじたばたと暴れるハナドリ。トワリは少し弱り顔で、「分かった、分かったよ……」と、再び彼女を抱えて立ち上がり、厠の方へと走っていった。慌ただしいなぁ――と、父娘のやりとりをイチコは微笑ましく見つめた。
「イチコ母さん」
ふいにイサミが声をかけた。イチコはイサミへと顔を向け直す。
「どうしたの?」
「実はもう一つ、気になっていることがあるんです」
やっぱり――とイチコは思った。あえて、このタイミングで言ってくるということは、トワリには話しづらいことなのだろう。案外、ハナドリが尿意を訴えたのも、本能的にそのことを察知してのことだったのかもしれない。
「何なの? 話してごらんなさい」
「これこそ私個人の感覚のものでしかなく、父さんの前では馬鹿にされてしまうかもしれないと思っで言いだせなかったのですが――」
イサミは一瞬言葉を止めたが、意を決したように話しだした。
「私は昔から、ヒノデノクニの使者たちを見ると、なぜか胸騒ぎを覚えるのです。不穏な気持ちになってしまうというか。勝手な思い込みかもしれません。でも、どうしても嫌な予感がしてしまうのです」
イサミの告白に、イチコは内心驚いた。イサミは本当に、イチコの神秘の力も受け継いでいるのかもしれない。頭だけでなく、魂のレベルでヒノデノクニに警戒心を抱いているのだとしたら……。
ふと、数年前にイチコ自身の脳裏に浮かんだ場面を思い出した。絶望と悲しみに包まれた人々の光景。あれ以来、あそこまで衝撃的な場面は浮かんでいないが、イチコは今までずっとひとり気に病んでいた。あれは、自分たちの未来を言い当てているのではないか――と。さっきのイサミの告白で、イチコはその疑念をより一層強くすることとなった。
「……イチコ母さん?」
黙っているイチコに、イサミがおそるおそる聞いてきた。イチコははっとした。
「ごめんなさい。それは、気になってしまうでしょうね。――でも、あんまり思いつめすぎないでね?」
彼女はあえて笑顔を取り繕って、何でもない風に応えた。だが、本来の心の内は揺れていた。




