第十二章『掟と契り(五)』
太鳳と別れた成虎は、見失ってしまった朱雀派の女と志龍を捜して月餅湖の周りを疾走していた。
(……思い返してみりゃあ、志龍の野郎はアイツの姿を眼にした途端、血相を変えて追い掛けて行きやがった。まさか、こいつぁ…………)
言い知れぬ不安を感じた成虎はますます速度を速めるが、二人の姿は一向に見当たらない。
(チクショウ! 月餅湖ってのぁどんだけ広えんだ⁉︎ もしかすっと、もうここを離れて内陸の方へ言っちまったんじゃあ————)
ここまで考えが及ぶと、成虎は脚を止めて雑念を振り払うようにブンブンと頭を振った。
(いや! 落ち着け! アイツは月餅湖の警備担当だって太鳳が言ってただろい! 絶対まだ、この辺りにいるはずだ!)
気を取り直した成虎は再び走り出し、舟に乗った対岸付近まで辿り着こうとしていた。すると、男女のものと思われる二つの影が激しく交差しているのが視線の先に見えた。男の手には白刃が閃き、女の動きは身体にまるで重さというものが無いように軽やかである。
(————いやがった! 奴らに間違いねえ!)
成虎はますます脚を速めて二人の男女に近づいた。その時、男の白刃が女の首筋に当てられ、二人の動きが止まった。どうやら勝負が決したようである。
わずかな月明かりで照らされた男の顔は、やはり黄志龍であった。しかし、女は成虎に背を向けており顔は見えない。女は髻に刺した髪飾りを手に取ると、何やら弄った後、男に手渡そうとする。
「————ちょいと待ったぁッ‼︎」
胸騒ぎを覚えた成虎が女の行動を制止しようと大声を上げると、女がゆっくりと振り返った。
決して絶世の美女というわけではないが、見る者を惹きつける不思議な魅力。この数年の間、思い焦がれていた女————朱凰珠の姿が確かにそこにあった。
凰珠は成虎の姿を認めると数回まばたきをした後、柔らかな笑みを浮かべた。
「…………あら、あなたは以前にここで勝負をした大きな虎さんね? 確か……岳————そう、岳成虎さん!」
名前を覚えてもらえていたことに内心喜んだ成虎は、凰珠の姿をまじまじと眺めた。数年前から比べると背も幾分か伸びており、少女から大人の女性へと成長を遂げてはいるが、天真爛漫な笑顔は少しも変わっていない。
「お、おう……、久しぶり……」
太鳳や他の女相手であれば浮ついた台詞が口をついて出る成虎だったが、何故か凰珠を前にしてしまうと口が上手く回らなくなってしまう。照れ臭そうに右手をわずかに上げて応えた。
「本当に久しぶりね。それにしても不思議だわ。数年前に出会った二人と同じ場所で同じ日に再会できるなんて」
「————何⁉︎」
凰珠の言葉を聞いた成虎は一瞬考えた後、志龍へ顔を向けた。成虎と眼が合った志龍はバツの悪そうな表情で顔を逸らせた。
「……こんのムッツリ野郎が。おめえも凰珠と知り合いだったんじゃあねえか!」
「ち、違————いや、すまぬ。貴殿のことを思うと言い出せなかった…………」
「……あれ? 二人は知り合いだったの⁉︎ スゴい偶然だね!」
空気の読めない凰珠が無邪気に割って入ると、成虎はフンっと鼻を鳴らして腕を組んだ。
「……凰珠、俺とコイツ、どっちが先におめえさんに会ってたんだ?」
「え? うーんと……志龍さんがちょっと先だったかな」
「…………‼︎」
自分が後発だったと知るや、成虎は分かりやすく落胆した。
「岳どの、そう落ち込むな。私も以前、彼女に後れを取っていたのだ」
「…………」
成虎は「そういうことじゃあねえよ」と言う視線を送ったが、志龍は首をひねるばかりである。
「……そいつぁ奇遇だが、さっきの様子を見るに一本取り返したようじゃあねえか」
「あ、ああ、うむ……」
以前負けた相手に勝ちを収めたというのに、志龍は何故か咳払いをして浮かない表情になった。
「……? どうしてえ? 嬉しくねえのかい?」
「い、いや……、勿論、嬉しい……」
言葉とは裏腹に志龍の表情は沈んだままである。
「……嬉しくないの……?」
悲しげな表情を浮かべて凰珠がつぶやくと、志龍は血相を変えた。
「————そんなことはない!」
「じゃあ、受け取ってくれる?」
「ああ……!」
志龍の返事を聞いた凰珠は輝くような顔つきになり、持っていた髪飾りを二つに分けた。この髪飾りは以前、凰珠が自分に勝った男に譲ると言っていた鳳凰を象った物である。それが二つに分かたれ、一人の男に手渡されようとしている。先ほど感じた時よりも強い胸騒ぎで成虎の心臓が波打った。
「ちょいと待ちねえ!」
「え?」
成虎が待ったを掛けると、凰珠は少し驚いた様子で手を止めた。
「……凰珠。以前におめえさん、自分に勝ったら、その鳳凰の髪飾りを譲るって言ってたな」
「うん」
「それじゃあ、その髪飾りを受け取ることにどういう意味があるんでえ?」
「それは…………」
成虎に質問された凰珠は頬を赤らめ口をつぐんだ。
「どうしてえ? 大丈夫かい?」
「……成虎さん。知ってる? 鳳凰って雄と雌の区別があるの」
「あん?」
思っていた答えとは違う切り出しに成虎は思わず訊き返した。
「鳳凰の雄を『鳳』と言って、雌は『凰』と言うの」
ここまで聞いて凰珠の手中にある鳳凰を見遣ると、二つに分かたれたそれは確かに雄と雌のように見える。
「これは私が自分で彫った物よ。小さい頃から誰かに『鳳』を受け取ってもらいたかったの……」
「————つまり……、『鳳』を受け取った野郎と添い遂げてえってことかい……?」
「…………」
凰珠はますます頬を赤くしてゆっくりうなずいた。そのどこか幼さすら感じさせる凰珠の姿を見ながら成虎は思案する。
(……鴛鴦の契りたぁ聞いたことがあるが、こいつぁ鴛鴦ならぬ鳳凰の契りだな。自分より強え野郎に『鳳』を贈りてえってのぁ、朱雀派の掟から外れちゃあいねえようだが…………)
掟と契り————二つの誓いは並び立っても一見問題はないように思えるが、相反する部分を成虎は感じ取った。
「……凰珠。朱雀派の掟ってのぁ、自分に勝った野郎の子種を受け入れるってモンだよな」
「————なんだと……⁉︎」
成虎の言葉に志龍が反応したが、成虎は構わず続ける。
「その男と添い遂げてえってのぁ、朱雀派の掟に反することじゃあねえのかい……?」
「…………」
成虎と志龍、二人の男に視線を向けられた凰珠は長い沈黙の後————、
「……そうよ。私は師門に逆らってでも『鳳』を贈った相手と終生添い遂げたいの。これは私が自分に課した掟よ————!」
固い決意を秘めた表情で力強く言い切った。
———— 第十三章に続く ————




