第十三章『追想(一)』
————己の望んだ相手と終生添い遂げたいという凰珠の掟は到底許されるものではない。それが、実の親以上の存在と言える師門に逆らうものであるならば尚更である。
「……凰————朱姑娘、そ……それは…………」
動揺した様子で志龍が声を上げると、凰珠は再び『鳳』の髪飾りを差し出した。
「志龍さん。あなたは私に勝った強い男よ。受け取ってもらえるかしら?」
「…………ッ」
志龍は逡巡した。これを受け取れば数年来、恋焦がれた女と終世を共に出来るが、それは同時に愛する女を師門に逆らった不届き者にしてしまうことになる。掟に厳しい青龍派の門人として、そのような振る舞いは許されない。
「志龍さん。やっぱり受け取ってくれないの……?」
「う、うむ…………」
躊躇している志龍の様子に凰珠が悲しげな表情を浮かべると、横から髪飾りがかっさらわれた。
「————おめえが要らねえなら、俺がもらってやるぜ」
髪飾りを手中に収めたのは成虎であった。生来、風来坊気質の成虎は門派の掟や慣習といったものにさほど頓着がない。逆にそれを破ろうという考えの凰珠をますます気に入ったのである。
「成虎さん……?」
「……凰珠。俺は以前におめえと月餅湖で出逢った時から、おめえのことが忘れられなかった。『鳳』を俺に預けちゃあくれねえかい……?」
真正面からの成虎から告白を受けた凰珠は恥ずかし気に頬を赤く染めた。
「……あなたのその気持ちは嬉しい……。でも…………」
「俺はおめえの義姉の太鳳に勝った男だぜ? 『鳳』を受け取る資格は十二分にあるんじゃあねえのかい?」
「————凄い! 姉さまが大きな男の人に負けたって聞いてたけど、あなたのことだったのね!」
興奮して問い掛ける凰珠に成虎は笑みを以って答える。
「おうともよ。自慢じゃあねえが、俺ぁ腕を上げた。証として、これからおめえともう一回立ち合っても良いぜ」
「うん……でも、良いの? 姉さまとは…………」
「そいつぁ朱雀派の掟だろい。俺にゃあ関係ねえ。おめえの掟なら従うがな」
「…………」
成虎は言葉の最後を志龍に向けて発した。しかし、志龍はうつむいたまま何も語らない。その様子を見た成虎は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「————さあて、口先だけじゃあねえってところを見せようかい。『鳳』は一先ずおめえに返すぜ」
「うん」
凰珠は『鳳』を受け取ると、成虎から間合いを空けて構えを取った。志龍はやはり足に根が生えたかのように動けずにいる。
(……私は…………)
うつむいて逡巡する志龍の脳裏には数年前の出来事が蘇っていた————。
————修行を兼ねて紅州を巡っていた時、神州最大の湖である月餅湖に立ち寄ったところ湖面に映る満月の美しさに眼を奪われた。自然の神秘に感動した志龍が月下で剣を振るっていると、突然背後から声を掛けられた。
『————綺麗な舞いね。剣舞ってものかしら?』
ゆっくりと志龍が振り返ると、一体いつの間に現れたものか、岩に腰掛けた一人の少女が両手で小さな顔を支えて興味深そうにこちらを眺めているのが見えた。
(何者だ、この少女は……⁉︎ この私がこの距離で気配を感じぬとは……!)
心中では大いに驚きつつも、表情には微塵も見せず志龍は口を開く。
『……姑娘、これは鍛錬です。舞いではありません』
『ごめんなさい。気を悪くしちゃった……? でも、あなたの剣捌きがすっごく綺麗だったからついね』
『いえ……、こちらこそ語気が強かったようです。申し訳ありません』
志龍は少女の立ち居振る舞いから武術の心得の無い一般人だと判断した。
(ただの素人か。余りに邪気が無いため気配を感じなかったようだな)
志龍は一礼して少女に背を向けると、鍛錬を再開する。
『どうして青龍派のあなたが、こんなところにいるの?』
『…………』
再び振り返った志龍は剣を構えたまま問い掛ける。
『……何故、私が青龍派の門人だと……?』
『うーん、姉さまが聞いたら怒りそうね。「質問を質問で返すんじゃないよ」ってね』
少女に正論で返された志龍はハッとして剣を消すと包拳して見せた。
『これは失礼しました。私は青龍派の黄志龍。武者修行で紅州を訪れ、噂に名高い月餅湖に参った次第』
丁寧に答えた志龍は眼で少女に質問の答えを促した。少女は小さくうなずくと微笑みを浮かべた。
『謝謝、志龍さん。師父から聞いたことがあるの。真氣で創った兵器を振るう青龍派という門派が東にあるってね。あとは、あなたがとても綺麗な青い長袍を着ているから』
服のことを指摘された志龍は改めて少女の容姿に眼を向けた。まず鮮やかな紅い衣が一際眼を引く。
『……もしや、貴女は朱雀派のご門人でしょうか?』
『そう、私は朱凰珠。朱雀派の門人よ』
『…………!』
不思議な雰囲気の少女————凰珠の返答に志龍は驚いた。眼の前の天真爛漫な少女が朱雀派の門人だということ以上に、初対面の男に名まで告げてしまう振る舞いにである。
(若い娘が初対面の男に名を告げるとは。朱雀派は世間のしきたりなどは気に掛けぬのか……?)
『……ねえ、志龍さん』
『なんでしょう』
『あなたってどのくらい強いの?』
『…………⁉︎』
全く脈絡のない質問に志龍は言葉に詰まった。
『ねえ、青龍派の同世代だとどのくらい? 私は姉さまの次くらいかな』
『……どうでしょう。私は青龍派の末端に籍を置く者。上には上がいると思いますが』
志龍は謙遜して言ったが、この時点ですでに同世代はおろか上の世代でも相手が務まる者は数えられるほどであった。
『そうなんだ。じゃあ、あたしと勝負してみない?』
『————は?』
無自覚ではあるが、この時すでに志龍は凰珠に惹かれていた。およそ人とは自分に無いものを持った人間に惹かれるものである。




