第48話「魔王は倒した、精算は残った」
国庫の窓口で、俺は33120ルーンを返した。
係員が袋の封を確かめ、俺が開ける。
イグナスは隣で待った。
勇者が見ているから数えずに受け取る、とはならない。
種類ごとに並べ、枚数を合わせ、返納の受領証へ金額を書く。
俺は一桁ずつ確かめた。
その下に、隊の会計の番号がある。
最初に渡された帳面と、同じ番号だった。
「残高は、これでゼロですね」
係員が言った。
「はい」
俺は答えた。
金が尽きた、という意味ではなかった。
必要な仕事を済ませ、残った分を返した。
そういうゼロが、ここにもあった。
王都へ戻ってから1週間が過ぎた。
借りた器具の返却と、薬の引き継ぎ、軍の記録との照合が揃った。
未確認の費用を、そのまま戦功の下へ隠したわけではない。
国庫へ戻した33120を、最後の出金として記す。
残った現金はゼロ。未精算もゼロ。
元から持っていた剣や鎧が消えるわけではない。
今後使う装備は、正式な管理の記録を引き継ぐ。個人の報奨金は、別の通知で受け取る。
俺がこの帳面を閉じるために、皆の道具を全部売る必要はなかった。
委任された活動の資金を、ここで締める。
俺は受領証を入れる場所を確かめ、紙を折らずにしまった。
窓口の係員は、勇者へ一度だけ顔を向けた。
「お疲れさまでした」
イグナスは礼を言った。
そのあと俺にも、同じ言葉が来た。
俺は少し返事が遅れた。
剣を振る人と、金を数える人の仕事は違う。
同じ窓口で、二人とも仕事を終えたと言ってもらえることが、思ったより嬉しかった。
外へ出ると、ガルドが階段の下で待っていた。
「空いたか?」
俺の袋を指している。
「金の袋は空いた。紙は増えた」
「いつも通りだな」
彼は俺の荷を勝手に持たず、隣へ並んだ。
身体の大きさだけでなく、俺が持つ物の意味も少し分かっている。
俺も、彼の盾がただ重い荷ではないと知っている。
監査院で、ゼフィナへ受領証を渡した。
彼女は前の決算と照合し、最後の欄へ印を押した。
これで返納を含めた総額が一致する。
受け取り276600に、活動の支出243480と、返納33120。
帳面の最後に、差額はない。
俺は赤い線を引いた。
誤りを隠す線ではなく、この下へ別の仕事を足さないための線だ。
「今後の任務が決まった場合は、新しい委任で」
ゼフィナが言う。
「同じ5人でも、別の会計にします」
俺は答えた。
終わることを決めれば、次に始めることも分けられる。
全部を続けっぱなしにした方が楽に見えても、何の金が残っているか分からなくなる。
最初の残高8420を見た日の俺へ、今のこの線を見せたかった。
彼女は帳面の原本を預かり、隊へ保管用の写しを渡した。
俺が全部抱えて寝る必要はない。
記録の保管先と、照会する相手が決まった。
ゼフィナが最後に、欄の端に残った小さな字を指した。
帰還5名。
「最初に書いたのですね」
「はい」
「費用の報告には、通常は支払額から書く人が多いです」
「計算する前に分かっていた結果なので」
俺は答えた。
彼女は何も直さず、紙を閉じた。
そのままで、正式な報告になった。
リシアとエレナは、神殿で待っていた。
共用薬の箱を次の担当が使っているという。
休憩済みの欄も、ちゃんと埋まっている。
エレナは担当者の説明を聞き、今後の薬の補充は神殿の手順で進むことを確かめた。
戻ってきたからといって、自分へ全て返してもらわない。
「これからも相談はできます。でも私がいない日も、使ってください」
彼女は箱へ手を置いてから離した。
リシアは、薬の説明の字がまだ大きいことを確認した。
ガルドは持ち手を見たが、持ち上げて耐久を試すことはしなかった。
使う人が、今ここで使えている。
俺は最初の箱の購入記録を思い出した。
払った日だけで終わらない仕事が、他の人の手で続いていた。
そのあと、ハルゼの店へ行った。
修復された鎧と剣の、帰還後の確認が済んでいる。
必要な手入れの一部は、これからの装備管理へ移る。今閉じた討伐の会計へ、理由もなく追加する物ではない。
ガルドは盾を台へ置いた。
裏の5本の線を、ハルゼが見た。
「消すんか」
「考える」
ガルドは答えた。
王都へ戻ったら消すと言っていたのに、まだ迷っている。
ハルゼは工具を出さず、本人の返事を待った。
少しして、ガルドが首を振った。
「残す。次に5人で行く時、また線を増やすと狭くなるがな」
「別の所へ刻め」
ハルゼはあっさり言った。
記録を残す場所は、一つでなくてよかった。
ガルドは盾を持ち上げた。
5本の線は、予定ではなく帰還の記憶になった。
昼食は5人で食べた。
店に注文したのは、いつものように机と椅子と、食事だった。
店主はガルドを見て、丈夫な椅子を1つ持ってきた。
「こちらをどうぞ」
ガルドは先に礼を言い、脚を確かめてから座った。
今日は椅子も無事だった。
俺たちは個人の報奨金から、それぞれの食事代を払った。
国庫へ返した袋は使わない。
イグナスが肉を増やしても、それは彼の注文だ。
リシアが温かい飲み物を選んでも、術式の予算とは関係ない。
エレナはゆっくり食べ、ガルドはゆっくり食べるつもりで、普通より少し速かった。
俺は帳面を広げなかった。
イグナスが、次の旅の話をした。
軍の戦いは終わったが、北の村には道の修復と、荷の通行確認が残っている。
討伐隊としての次の依頼を、王国が正式に出す予定だという。
魔王が倒れたら、一度に全部の人の暮らしが元通りになるわけではない。
ただ、今回の帰路と同じ予算を、そのまま持っていけばよいわけでもない。
「正式な文書を見てから、引き受ける範囲を決めよう」
俺は答えた。
「剣で斬れば直る道じゃないだろう」
「そう。俺がいた方が、通りやすくなる所はある」
イグナスは自分のできる範囲を話した。
リシアは壊れた術式の点検、エレナは救護の相談。ガルドは重い物を運ぶ時の護衛を挙げる。
俺には、契約と負担と、必要な金を確かめる役目がある。
魔王のいない仕事でも、5人は同じ能力にならない。
違うままで、また一緒に行ける。
食事のあと、俺は新しい帳面を買った。
これは個人の金で買う。今後公用の記録帳として必要になれば、その購入をどう扱うかは新しい契約で確かめる。
最初のページは白い。
残高を書く欄も、人物の名を書く欄も、まだ空いている。
俺がこの世界へ来た日には、他の人が払った金と、使った物と、まだ確かめられていない記録が待っていた。
今日は自分で、始める前に確かめられる。
イグナスが俺の手元を見た。
「真っ白なのに、嬉しそうだな」
「これから全部を間違えないって意味ではない。ただ、最初の金がどこから来るかは聞ける」
「俺も、買う前に聞ける」
「聞くのを忘れたら、そのあと正直に言え」
彼は、分かった、と答えた。
間違いがない仲間になる約束ではない。
間違えたら一緒に直す約束は、今ならできた。
1週間後の出発に向け、新しい委任が届いた。
王国から預かる活動費と、5人が個人で使う金を分ける。
受領の期日、隊の任務に付随する収入の扱い、余った物と現金の返し方。前の経験を、文書の確認へ使った。
俺は新しい会計の番号を写した。
最初の帳面へ続けて書かない。
隊の装備の引き継ぎも確認し、使える物は新しい記録へ載せる。古い剣を持つからといって、購入代金をもう一度支払うわけではない。
明細にしても、旅にしても、始めることと買い直すことは違う。
リシアが自分の杖を見て、次も高い薬が要るかもしれないと言った。
「理由を聞く」
「それだけ?」
「聞いたあと、必要なら払う」
彼女は満足そうに頷いた。
王都を離れる予定が決まると、俺は自分の部屋の荷を整理した。
引き継ぎの時にもらった古い筆が1本ある。
最初の帳面の数字を書き足した筆だ。
先が少し割れて、細い字を何度も書き直した。新しい筆を用意したので、古い方を捨てかけた。
でも、紙の束を留める箱へ入れた。
役に立った道具を全部記念品にするつもりはない。ただ、どこから始まったかを、手元に一つ残しておきたかった。
前の世界の仕事を思い出す時、数字より先に浮かぶのは、夜の机の明るさだった。
ここでは、その机へ4人が来る。
値段を尋ねる声と、必要を説明する声と、食事へ誘う声がある。
同じ計算をしても、戻る場所は変わった。
荷をまとめていると、エレナが扉を叩いた。
神殿から、次の救護の担当者の連絡先をもらったという。
俺の仕事へ全部渡すのではなく、隊へ必要な控えだけを持ってきた。
「私の記録は、私が持ちます。費用の連絡はこちらへ」
彼女は小さな紙を差し出した。
俺は受け取り、新しい帳面の連絡先へ入れた。
リシアも自分の資材表を持ち、ガルドは荷の固定に使う器具の一覧を渡した。
4人の仕事を、俺が全部書き取らなくても始められる。
イグナスは空の封筒を1つ見せた。
「次に買った時、ここへ入れる」
「食べ物と一緒に入れるなよ」
「分かってる。食べ物を入れる方を別にした」
俺は彼の荷を見た。
片方は紙のため、もう片方はパンのため。どちらも本人には必要な袋らしい。
俺は笑い、新しい筆をしまった。
出発の前日、イグナスが小さな紙を持ってきた。
靴紐の領収書だった。
「切れた。昨日買い替えた」
俺は新しい委任の対象を確かめる。
今回の任務に使う靴の修繕として、事前に相談していた範囲だ。本人が先に払った金を、新しい活動費から精算する。
前の討伐の残金はゼロ。そこから払う話ではない。
俺は新しい帳面の最初の支出へ、日付と品目を記した。
勇者の署名は、前より少し小さくなっている。
まだ長いが、欄には収まっていた。
「俺、買う前に話しただろ」
「話した。領収書もある」
「仕事が減ったか?」
「余計な仕事は減った」
イグナスは笑った。
靴紐を替えた足で、また道を歩く。
安い買い物も、旅を続ける理由になる。
門へ向かう朝、5人の荷が並んだ。
ガルドの鎧、リシアの杖、エレナの薬。イグナスの剣と、新しい靴紐。
俺は帳面と金の袋を持つ。
今回も荷物は重い。
でも、誰が何を運んでいるか分かる。
行く道だけではなく、帰りの道も決めてある。
イグナスが門の外で手を振った。
「ナオト、行こう」
役職ではなく、いつもの呼び方だった。
俺は袋の口を確かめ、4人の横へ並ぶ。
誰かの買い物を責めるために、ここにいるのではない。
必要な物を持ち、必要な人を守り、5人で帰ってくるために、また帳面を開く。
ガルドが、今日の食事の場所を聞いた。
エレナはまず出発しましょうと笑い、リシアは食料はあると言った。
イグナスは、その食料の代金も帳面に入ってるなと確認した。
「入ってる」
俺は答えた。
その返事が、出発の合図になった。
魔王は倒した。でも経費精算は終わっていない。




