第五十五話「クロウの魔剣」
全身を怖気が駆け抜けた。
マーカスと呼ばれた吸血鬼の視線が、わたしを捉えたからだ。
もしかして、わたしに狙いを変えた?
というか思い出したけど、あのマーカスって人……黒の王復活の儀式をやっていた司祭だよね。
わたしと同じく生贄に選ばれた人たちに、手を下していた吸血鬼だ。
目覚めた黒の王に殴り飛ばされていたけど……生きてたんだ。びっくり。
……なんて驚いている場合じゃない。
よく考えなくても、マーカスにとってわたしは恰好の的じゃない。
貧相とはいえ魔法を使えるだけの魔力は持っているんだから。
いくら少ない魔力で活動できるとはいえ、より多量の力を確保しておきたいと、わたしなら考える。
こちらを凝視していたマーカスが動いた。
ものすごい速さで、まっすぐに走ってくる。
目標はたぶんクロウじゃなくて、その後方にいるわたしだ。
駆けてくるマーカスに、クロウが立ちはだかる。
そして手にした剣でマーカスを斬りつけた。
マーカスはクロウの剣を腕で掴むと、そのままへし折った。
えぇ……どんな腕力?
折られた剣は光の粒になってクロウの手から消える。
「……ちっ」
忌々しげに舌打ちして、クロウは身体を捻った。
左脚を軸にして、マーカスの腹部に回し蹴りを喰らわせる。
マーカスの身体が回転しながら宙に浮き、吹き飛んだ。
五メートルほど離れた場所でマーカスは落下して、鈍い音を立てる。
「う、うわぁ……」
思わず声を漏らしていた。
クロウってば、蹴りの威力がえげつない。
普通の人間なら、今ので死んでると思う。
そう、普通の人間が相手ならだ。
土の上に落下したマーカスが、何事もなかったかのように立ち上がる。
口から血を流しているみたいだけど、平気そうにクロウへと向かっていく。
目の前で繰り広げられる超絶戦闘を、わたしは呆然と眺めるしかない。
「邪魔をするなァァァァッ! クロウ・インバーテッド!」
「下郎が気安く呼ぶな」
クロウは、こんなときでも尊大な態度を崩さない。
迫るマーカスにも慌てず、至って冷静な様子だ。
右手を上げて、再び魔法で剣を造り出す。
クロウが屋敷を出る前、武器を持つ必要がないって言っていたのは、あの魔法があるからだったんだ。
便利そうに見えるけど……たぶんあれ、魔力が不足したら使えないよね。
などと考えている間にも、吸血鬼同士は互いの攻撃をぶつけ合う。
クロウが振り上げた剣に、マーカスは拳を突き出す。
破砕音が耳朶を打つ。
クロウの剣が砕かれた音だ。
マーカスはそのままの勢いでクロウの顔面を殴ろうとする。
ヒュン――と、なにかが空気を裂くような音がした。
そう思った刹那。
「ガァァァァッ!」
マーカスが呻き声を上げる。
クロウを狙っていたマーカスの右腕が消えていた。
ううん、切断されたんだ。
クロウが左手で新たに造り出した剣を振るい、マーカスの腕を斬った。
さっきの空気を裂くような音の正体はそれだ。
どさり、とわたしのすぐ近くに「なにか」が落ちた。
視界の端に捉えた「それ」を直視しないようにする。
たぶん、というか間違いなく斬り飛ばされたマーカスの右腕だろう。
しっかりと目にするのは、きっと精神衛生上よろしくない。
「ぐううう……」
呻きながら、マーカスが地面に膝を突く。
左手で右腕を押さえながら顔を上げて、クロウを恨みがましく睨む。
「おのれ……おのれ……クロウ・インバーテッド……」
「気安く呼ぶなと言っただろう」
クロウは剣を右手に持ち替えて、その切っ先をマーカスの眼前に突きつけた。
「終わらせてやろう」
「ふ、ふははは……」
突然、マーカスが笑い出した。
なになになに、なんだか怖いんですけど。
クロウもいきなりのことに怪訝そうな顔になってる。
「気でも触れたのか」
「はははは……油断したな、クロウ・インバーテッド」
「……なんだと、どういう意味だ?」
そう問い掛けた直後、クロウは弾かれたようにこちらを振り向いた。
「ルビィ!」
「え?」
クロウがわたしの名を叫ぶ。
同時、足首を「なにか」に強く掴まれた。
「きゃあ!」
驚いて、足元に目を向ける。
そこには――
クロウに切断されたマーカスの右腕がいた。
マーカスの右腕に、わたしの足首ががっちりとホールドされている。
な、なにこれ、どういう状況?
肘から上だけの状態で動いて、いつの間にかわたしに近づいた?
というかゾンビ映画みたいで怖い!
「――ちっ!」
クロウがマーカスに背を向けて、こちらへ駆け出す。
ほとんど一足飛びでわたしの元まで来ると、マーカスの右腕を剣で突き刺した。
刺された右腕が、わたしの足首を放す。
クロウは剣ごとマーカスの右腕を地面に突き立てる。
串刺し状態になった右腕は激しく悶えてから、糸が切れたように動きを止めた。
「平気か?」
「は、はい、ありがとうございま……」
言葉を途中で止める。
クロウのすぐ背後に、マーカスが迫っていた。




