第二十八話「狼」
男性は無言で、こちらに手を伸ばしてくれている。
わたしはおずおずと腕を伸ばし、遠慮がちに男性の手を取った。
すると男性は、わたしを力強く引っ張り立ち上がらせてくれる。
「あ、ありがとうございます」
「……大丈夫か?」
「は、はい」
お尻はちょっと痛いけど。
「そうか」
「あの、ごめんなさい」
「あ?」
「いやその、ぶつかっちゃったので……」
わたしが振り向きざまに衝突したのは、きっとこの男性だ。
いつの間に背後に立っていたのだろう。まるで気配とかしなかったけど。
「怪我とかしてませんよね?」
「別になんともねえよ」
ぶっきらぼうに答えて、男性はそっぽを向く。
「よかったです」
わたしは、ほっと胸を撫で下ろす。
男性がチラリと目線だけをこちらに向けた。鋭い、琥珀色の目をしている。
「お前、この教会の人間か?」
「いいえ、違いますけど……」
「そうかよ」
男性は所在なさげに頭をかいた。
なんだろう。それにしても……よく見るとイケメンだ。
年齢は、わたし……『ルベーリア』と同じぐらいかな。
銀色の髪に、端正な顔。長身で均整の取れた身体をしている。
青色のロングコートに、黒いロングブーツといった感じの出で立ちなんだけど、それよりも気になるのは背中の大きな剣だ。
全体的な雰囲気も、只者じゃないって感じ。
この人、いったい……
「ガウガウ!」
うん? さっき聞こえた犬の鳴き声だ。
「あら……」
男性の足元にいる、小さな影に気がつく。
白いフワフワの毛を持った、可愛らしい子犬だった。
犬種は、なんだろう。シベリアンハスキーかな?
とにかく、この子が声の主で間違いないだろう。
「可愛い……貴方の犬ですか?」
「違えよ」
「え? 違うんですか?」
その割には足元にお座りして、嬉しそうに尻尾を振っているけど……人懐っこい子なのかな?
可愛いな……シャルさんがいたら、とんでもなく喜ぶんじゃないかな。
「いや、そうじゃねえ」
「はい?」
「こいつはオレのだ」
「え、どっちなんですか」
さっきは違うって言ったじゃない。
「だから違うってのは、こいつは犬じゃねえって話だ」
顔をしかめながら、男性はそう説明する。
「犬じゃない?」
「ああ、こいつは狼だ」
狼? 狼って、あの狼? ウルフ?
「……またまた、見かけによらず冗談がうまい」
「冗談じゃねえよ。ていうか見かけによらずってなんだ、オイ」
こんなに可愛いのに、狼……うーん、信じられない。
わたしは屈み込んで、ワンちゃん……じゃなくて狼ちゃんに「おいでおいで」と手招きしてみる。
すると、狼ちゃんはテテテとわたしの前まで走り寄ってきてくれた。
「ガウガウ」
わたしに向かって、小さく鳴き声を上げる。
なにかを喋っているようにも思えるけど……
トッブウド・イタリベーシャを使えば、この子とも会話できるんだろうな。
でも、魔法って人前で使っても大丈夫なのだろうか。
わたしの知る『サント・ブランシュ』の世界では、魔法っていうのは当たり前に存在している物だったと思う。
でも、ここは二〇〇年後の世界だ。
もしも魔法が当たり前じゃなくなっていたら?
……うん、念のため魔法は使わないでおこう。
狼ちゃんとお喋りできないのは、かなり残念だけれど。
せめて頭だけでもナデナデしておこう。
わたしは手を伸ばし、狼ちゃんの頭をそっと撫でる。
「ガウガウガウ」
狼ちゃんは目を細め、尻尾を左右にフリフリ。
喜んでくれている、のかな?
「……珍しいな、こいつがオレ以外に懐くなんて」
不意に男性がそう呟いた。
「そうなんですか?」
「ああ」
ちょっと意外かも。すごく人懐っこく見えるんだけどな。
やっぱり、お喋りできないのは残念……そうだ、名前ぐらいは聞いておこう。
「お名前はなんていうんですか?」
「あ? ……ミカエラだ」
「へぇ~、ミカエラちゃんですか。名前も可愛いんですね」
わたしは狼ちゃん……ミカエラちゃんの頬を撫でる。
「ガフフフッ」
なぜかミカエラちゃんが変な声で鳴いた。どうしたんだろう。
鳴き声っていうか、まるで笑い声みたいだったような。
「おい……」
「え?」
男性が出したのは、なんだか怒っているような戸惑っているような、微妙な声色だった。




