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国の思惑

警察の捜査が続く裏側で、別の「捜査」が静かに進んでいました。

内藤と宗一の会合。ユークリッド計画。瑠那の能力を「戦略的資源」と見なす、国家の冷徹な思惑が、ついに姿を現します。

【2012年9月8日(土)午前十一時過ぎ 兵庫県警察本部庁舎22階 神戸市児童連続行方不明事件特別捜査本部】


 冷房が効いているにもかかわらず、室内には張り詰めた熱気が立ち込めていた。壁一面に広がる大型モニターには、全国ネットのワイドショーが生中継の特報を流している。キャスターが声を張り上げ、コメンテーターは扇情的な言葉を並べた。


「緊急特報です。神戸市で発生した児童連続行方不明事件で、兵庫県警は、ついに容疑者を特定しました。画面に映し出されているのは、神戸市在住の17歳の女子高校生です。103人に及ぶ子供たちの失踪(しっそう)に、一体何があったのでしょうか」


 画面下部にテロップが躍り、「女子高生(17)」「行方不明者 103人」「#神戸誘拐」といったハッシュタグがリアルタイムでTwitterのトレンドを席巻している様子が報じられた。ネット掲示板でも、憶測とデマが際限なく拡散していた。


 会議室中央に設置された長机の最奥に座る本部長は、疲労困憊の表情でモニターを睨みつけていた。彼の前には、数十人の捜査員がうなだれるように座っている。彼らの目には、連日の徹夜捜査による隈と、事件がもたらす異常な重圧が色濃く浮かんでいた。

 本部長は、マイクを掴むと、苛立たしげに机を叩いた。


「報道はもう全国に流れたぞ! 昨夜から令状の準備を進めていたはずだ。請求はまだか! 動機は何だ! 共犯者はいないのか! 『マル被』の女は一体何を語っているんだ!」


 彼の声は怒りというよりは、むしろ無力感と焦燥に満ちていた。内閣支持率が低迷し、野田内閣が末期症状を呈している状況下で、神戸という大都市で発生したこの異常事態は、政権中枢をも揺るがしかねない政治案件と化している。閉幕を翌日に控えたロンドンパラリンピックすら霞むほどの社会現象を前に、警察組織は早期解決の強烈なプレッシャーに晒されていた。


 捜査一課の主任である木村が、震える声で報告を始めた。


「昨夜の映像解析により、対象はやはり逢坂瑠那と断定いたしました。三宮駅周辺から六甲道にかけて、36台の防犯カメラに、彼女に酷似した人物が映っています。しかし……」


 木村は言葉を詰まらせた。彼の視線は、会議室の壁に大きく貼り出された地図と、そこにピン止めされた監視カメラの映像パネルへと向けられた。三宮から六甲道まで直線で4.5km。逢坂瑠那らしき少女がわずか十四分間で移動したとされる時間的矛盾。その間には、別の監視カメラが数多く設置されているはずなのに、どの映像にも彼女の姿は捉えられていない。物理的に不可能な移動速度であり、まるで地図の上をそのまま飛んだかのようにも見える。


「『しかし』じゃない! サイバー班の解析はどうなった!」本部長が苛立ちを募らせた。「そんな『幽霊』のような話が通用するとでも思っているのか!」


 サイバー対策課の担当者が、汗を拭いながら前に進み出た。


「現時点では、映像の加工痕跡は確認されておりません。しかし、この時間的矛盾は、極めて高度な映像合成技術か、あるいは変装した共犯者が複数いるとしか考えられません。三宮から六甲道への短時間での移動は、物理的に不可能です」


 担当者は、警察のサイバー捜査能力の限界を熟知していた。高度な映像加工を見抜くのは至難の業だ。特にSD画質の防犯カメラ映像では、わずかな改ざんを見つけることは不可能に近い。彼らの専門知識は、説明できない現象を「既知の技術」で強引に解釈しようとする。そうするしか、この常識外の事態を理解する術がなかった。


「二輪という線はどうですか」会議室の隅から、応援の刑事が声を上げた。「バイクや自転車なら、防犯カメラの死角を縫える可能性があります」


 倉田が首を振った。


「潰れています。国道2号と43号には、Nシステムとトラフィックカメラが複数設置されています。バイクが走れば車体映像が残ります。沿道の商業施設のカメラも含めて全て照合しましたが、該当する映像はありません。裏道を使えば距離はさらに延び、十四分はより一層不可能になる。自転車も同じです。信号を一つも引っかからず全力で走ったとしても、ロードバイクで二十分以上かかる計算です。二輪の動線は、物理的に成立しません」


「つまり、その女は単独ではない、ということか」本部長が沈鬱(ちんうつ)な声で問いかける。

「巧妙な変装で、時間差攻撃を仕掛けている共犯者がいると考えるべきです」と、木村が答えた。

「現在、徹底的な洗い出しを進めています」


 会議室に重苦しい沈黙が広がる。彼らは、目の前の不条理な現実から目を背け、従来の捜査の枠組みの中で、なんとか筋の通る「物語」を組み立てようと必死だった。しかし、その物語には、決定的なピースが欠けていた。それは、この事件を混乱に陥れた、異質な現象の存在だった。


 地下3階の特別取調室で、逢坂瑠那が何を語っているのか。岩田刑事と山根刑事が、その「時間的矛盾」をどう突きつけ、少女からどのような言葉を引き出そうとしているのか。会議室の誰もが、その見えない対峙の行方に、言い知れぬ焦燥と不安を抱えていた。警察は、この事件をどうやって収束させるのか。国民の目が、その一挙手一投足に注がれていた。


【2012年9月8日(土)午前十一時過ぎ 兵庫県警察本部庁舎20階 とある一室】


 外の喧騒とは隔絶された静謐(せいひつ)に包まれていた。兵庫県警警備部公安課の特命班——その素っ気ない呼称とは裏腹に、ここは「第一種秘匿管理資産」と指定された逢坂瑠那を長期にわたり監視するための、高度にセキュアな拠点だった。ドアの内側には窓がなく、壁に設置されたフラットパネルモニター群が、部屋全体を青白い光で照らしている。内部には電磁波シールドが施され、無駄な装飾は一切ない。冷たい空調の音が、わずかな生気を吸い取るように響いていた。


 内藤参事官は、五十代半ば。切れ長の目に深い皺が刻まれ、その奥には感情の揺れを一切見せない冷徹な光が宿っていた。デスクには画面を開いたパナソニックのレッツノート。その傍らには湯気一つ立てないマグカップ。彼は正面に座る男をじっと見据えていた。


「逢坂。今朝の便箋で、ようやく大義ができた」


 内藤の言葉に、宗一は表情一つ変えない。47歳になった養父の顔には、この18年間で積み重なった疲労と、それ以上に深い無表情が張り付いていた。彼は今、紛れもなく「父」の顔を捨て、「観測員」として内藤の前に立っている。内藤が彼を「有能な現場監督」と評価するその言葉には、一切の感情が混じっていない。宗一の個人的な感情など、内藤の関心の範疇(はんちゅう)外だった。


「状況は?」宗一が簡潔に尋ねた。


「警察は依然として膠着状態だ」内藤は言葉を選ばず言った。


「彼らは無能ではない。我々が見るものと次元が異なる。三次元の物差しで余剰次元の現象を測ろうとしている。警察の不運は、防犯カメラの映像解析に拘り過ぎたことだ。この誘拐は高度な組織犯罪だ。大規模に行われている。防犯カメラに拘らなければ、別の視点があった。だが、これで警察は迷走した。その結果は我々にとって都合が良い」


 内藤は、ワイドショーで「17歳女子高生、103人誘拐か」と扇情的に報じられているテレビ画面をちらりと見た。メディアやSNSは「神戸誘拐事件」として過熱し、Twitterではすでに瑠那に対する「私刑」が始まっていた。「催眠術を使った」「精神障害者だ」「特殊メイクで変装している」など、無責任なデマや憶測が飛び交っている。内藤はそれを一瞥し、「雑音だ」と切り捨てた。警察は世論と早期解決のプレッシャーに晒され、焦燥を募らせている。彼らは、瑠那の移動の矛盾を「巧妙な変装による共犯者」か「映像の改ざん」としか捉えられないでいる。


「逢坂瑠那の余剰次元干渉能力は、今回の事件で、警察を混乱に陥れました」


 宗一が報告を続ける。


「しかし、我々には子供たちの収容場所の情報を残しました」


 内藤は顎に手を当てた。


「その情報と、我々が警察庁警備局から得ているTSRIの動向が、点と点で繋がった」


 彼の言葉には、わずかながら確信の色が滲んでいた。


「東亜社会基盤研究所、TSRI。右翼フィクサー思想に基づく『国家再生のための資源確保』。奴らが次代の資源となる子供たちを確保しようとしたことは掴んでいる。今回の拉致行動も奴らの計画の一部だ」


 内藤は続けた。


「警察庁警備局がTSRI監視のメインを担う」


 内藤はレッツノートを操作し、宗一へと向ける。ディスプレイには、TSRIの組織図と、主だった幹部の顔写真、そして過去の活動報告が羅列されていた。


「特四の役割は、警備局が収集した情報・資料・データを集約し、分析することにある。公安は独自ラインで有力情報を掴んでいた。今回の事件で公安の捜査員が兵庫県警の捜査本部に出入りしていたのも、そのためだ」


「奴らの作戦に瑕疵はなかった。逢坂瑠那がカメラに映ったのは奴らの誤算だ。警察は混乱し、我々は逢坂瑠那を確保する機を得た。便箋が収容場所まで示した。計画にはなかった収穫だ」


 宗一は無言で画面を見ていた。

 内藤の切れ長の目が、宗一の感情を読み取ろうとするかのように細められた。だが、そこにあるのは無表情な報告者だけだった。


「ユークリッド計画は、フェーズ3の末期にあったが、今回の件で、フェーズ4への移行を具申する絶好の契機となる」


 内藤の声は、相変わらず感情の起伏を見せない。


「逢坂瑠那の能力は、物理的な防壁を一切無視した究極の諜報活動、あるいは破壊活動を可能にする。領土問題や国防への不安が高まる今、国家は物理法則を超越した『力』を喉から手が出るほど欲している。彼女は、まさにその『力』を体現する存在だ。国が彼女を『戦略的資源』として確保することは、最優先事項であり、他に選択肢はない」


 宗一の内に、一瞬、微かな波紋が広がった。だが、それは表情筋を動かすことなく、深く沈み込んでいった。彼がこの任務の専従となって以来、幾度となく経験してきた感情の抑圧。それは、訓練された観測員の習性として、肉体に深く染みついていた。

 内藤は再びレッツノートに視線を落とし、淡々と続けた。


「16年分のデータを見ろ」


 無機質な部屋に、再び空調の音が響く。宗一はただ、その言葉を淡々と受け止めていた。

 内藤が立ち上がり、壁のモニター群の一つを操作した。宗一が記録した映像が次々と映し出される。2人の眼前に展開されるのは、逢坂瑠那、2歳から17歳までの、断片的な記録だった。


【1996年10月・EU-1996-1012-C1RN】

 対象者(2歳)。庭にて蟻の行列に対し、左手人差し指による非接触の「なぞる」動作を実施。直後、対象者傍らに置かれた密閉容器(透明ガラス製・蓋閉状態)内部に蟻の出現を確認。容器への物理的接触なし。侵入経路は皆無。位相幾何学的異常行動を初めて確認。


【1997年6月中旬・EU-1997-06XX-C1RN/優先度A】

 対象者(2歳8ヶ月)。書斎奥の収納スペース——外部封鎖された閉鎖空間からの自発的消失を確認。発見場所は屋外(庭・紫陽花前)。物理的移動の記録なし。本人に異常行動・苦痛・意識変容の様子は認められない。


【1998年10月・EU-1998-10XX-C1RN】

 対象者(4歳)。私立幼稚園での集団遊び(かくれんぼ)中に発動。三次元の遮蔽物を介さない空間認識能力の存在が推定される。視覚ではなく感覚的な位置把握によるものと推定。現時点において、能力の発動に意識的な制御はないと判断する。


【2010年秋・EU-2010-XXXX-C1RN/最高優先度】

 対象者(逢坂瑠那、16歳)。対象者の部屋のゴミ箱内より、外見が漆黒の球体を確認。切断後、内部より黄色く色褪せたフェルトが現れ、無傷のテニスボールが表裏完全反転した状態と判明。破壊痕なし。対象者の科学書・位相幾何学関連書籍の閲覧履歴から、自身の能力に対する理論的確信を得た上での意図的な発動である可能性が高い。これまでの偶発的発動とは質的に異なる。


 内藤は、モニターに映る映像を凍てついた視線で見つめていた。尖閣諸島を巡る領土問題が激化し、国家はあらゆる手段を用いて国益を確保しようと躍起になっている時期だった。


「これらは全て、我々が『余剰次元干渉能力』と呼ぶ現象の記録だ」


 内藤の声は感情を全く含んでいなかった。


「幼少期は無意識下の発動、高校入学後は理論的裏付けを得て、意図的な発動へと移行した。今回の件でカメラに映った移動は、意識的な能力の発動によるものと判断している。ただし、その発動が今回の事件全体に与えた影響については、まだ観測中の部分も多い」


 宗一は無表情のまま、モニターを見つめ続けている。凡そ18年間、瑠那の最も近くでその「異常」を記録してきた男の瞳には、一切の揺らぎがなかった。内藤はそんな宗一を一瞥し、言葉を続けた。


「物理的な防壁、その概念を彼女は無視できる。空間的な制約において、通常の三次元的な常識の範疇にはない。これほどの『力』が、単なる一少女の手に委ねられている状況は、国家にとって看過できないリスクだ」


 モニターには、瑠那が描いたラフなスケッチの画像が重ねて表示される。ポートアイランドの島の輪郭、倉庫の屋根に「YAMATO-7」、そして「閉じ込められてる」という走り書き。宗一が今朝、キッチンで発見し、内調のホットラインに送った便箋の画像だ。

 内藤はモニターの便箋画像から視線を外した。


「あの家系を戦時中から追い続けてきた。68年越しの答えが、逢坂瑠那だ」


 内藤はゆっくりと、言葉を選んで言い放つ。


「我々が求めるのは、彼女の『確保』だ。彼女の能力を、国家の枠組みの中で管理し、運用する。この優位を、国家は必要としている」


 内藤はモニターから目を離し、宗一を見据えた。


「逢坂。これまでの情報戦や軍事戦略の概念が、根底から覆る。お前は、その最前線に立つことになる」


 内藤の言葉は、空調の音と同じ温度で、正確だった。彼は瑠那を「人間」として見ていない。有用な「リソース」として評価しているのだ。宗一は、長年、その「リソース」の成長と変化を観測し、記録し続けてきた。彼の表情は依然として無表情だったが、その目はもう内藤を見ていなかった——記憶の中で、幼い瑠那の顔が、あの夜ゴミ箱から見つけた漆黒の球体へと、静かに重なっていく。


 内藤は宗一に向き直る。


「逢坂。18年間、優秀な観測員として機能した。この計画におけるお前の役割は、彼女の能力を最大限に引き出すための『現場監督』だ。感情は不要。必要なのは、データと、結果だ」


 内藤の言葉に、宗一は沈黙で応じた。その沈黙は、長年の忠誠を示すものでもあり、同時に、彼の中にわずかに残る「父親」としての自我が、感情のない指示の中で押し殺されていく音のようでもあった。部屋の薄暗さの中、モニターの光だけが、過去の記録と未来の「国家戦略」を鮮やかに照らし続けていた。


 ユークリッド計画の統括は、特定の政治家のものではない。総理や官房長官に上がるのは概要だけだ。実質的な指揮は、政権交代をまたいで職を引き継ぐ事務方の長——歴代の内閣官房副長官(事務担当)が、極秘の引き継ぎ事項として担ってきた。内藤たち内調・特定事案分析第四班はその事務局として各省庁を束ね、警察庁警備局が監視と実働を、防衛省が養成を受け持つ。十八年動き続けてきたこの巨大な歯車の中で、内藤もまた、調整役の一つに過ぎなかった。


 内藤はデスクの椅子に腰を下ろし、モニター群に目を向けた。警察特捜本部を捉えた映像が、音声なしで流れている。送致の手続きに向けた動きは、その映像で見て取れた。そのとき、上着の内ポケットでBlackBerryが静かに振動した。画面を一瞥する——「警備局長 合意」。


「警察は逢坂瑠那を検察に送致する準備を始めたようだ」


 内藤の声は、感情の起伏を一切含まない、冷たいモノトーンだった。宗一は無言で頷く。


「しかし、先に我々が逢坂瑠那を回収する」


 内藤は簡潔に告げた。その言葉に、宗一の固く閉ざされた口元が微かに震えた。瑠那が生まれたときから、宗一はこの男の指示の下、「観測員」として生きてきた。無表情の裏に隠された、剥き出しの期待と微かな怒りが、彼自身の脊椎を痺れさせる。


「公安上層部との合意も成立した。公安は捜査本部から手を引く。自衛隊との共同作戦へ、体制を切り替えるためだ。この決定、ならびに背景情報は、兵庫県警の現場捜査本部には一切共有されない」

「では子供たちは……」

「救出する」


 その口調に、安堵(あんど)も、使命感も、いかなる感情の温度も宿っていなかった。救出は計画の論理的帰結に過ぎず、感情の介在する余地はない。だが宗一は、内藤の完璧(かんぺき)に温度のない言葉の奥に、一つの確かな事実を聞き取っていた。今朝キッチンに残された「パパへ」の一言。あの便箋に込められた娘の願いが、確かに届き、果たされる。観察者として18年積み重ねてきたものが、初めて「父親」として娘に応えた瞬間だった。それは声にならず、表情にも現れず、ただ宗一の胸の奥にだけ、静かに沈んでいった。


 内藤は宗一に背を向け、BlackBerryを手に取った。短い操作音が一度。それだけで、この会合は終わった。重い金属扉が静かに閉まり、内藤の姿が消えた。瑠那の身柄確保の指示と、公安・自衛隊との最終調整へ——あとは機械のように動くだけだ。


 宗一は無言で自身のデスクへと戻った。背もたれの高い椅子に深く腰を下ろし、デスクのメインモニターを起動する。デスクトップには、いくつもの暗号化されたフォルダアイコンが並ぶ。その一つ、「EUCLID_ASSET_A-17_OSA」をクリックすると、瑠那に関する過去18年間の膨大な「観測記録」が展開された。その全てが、今朝、瑠那がキッチンに残していった便箋一枚の情報に収斂される。便箋情報は、内調ホットラインを通じて既にフォルダに格納されている。そのフォルダから便箋のデジタル画像をモニターに呼び出した。乱雑な、しかし分かりやすいスケッチがそこに描かれている。ポートアイランドの独特な輪郭、その中央東側に描かれた長方形の中央には、アルファベットと数字で「YAMATO-7」、さらに「閉じ込められてる」という簡潔なメッセージ。

 内調の解析班は、この便箋の画像を受領後、僅か数分で対象を特定していた。神戸港ポートアイランド二期、大和港湾運送 港島南第七特別定温倉庫。その正確な緯度経度が、画面上に重ねて表示されている。まるで、瑠那のペンが、高次元の視点から直接、座標を付け加えたかのようだった。


 ふと腕時計を確認すると、時刻は既に、午後三時を少し回っていた。公安の捜査員はすでに動いている。


 デスク上で、宗一のBlackBerryが、不在着信と新着メールの通知を振動で伝えていた。宗一はトラックパッドを操作し、数件の未読を既読へと変えていく。官邸対策室からの緊急通知、警察庁警備局からの情報アップデート。そして、室谷からの簡潔な完了報告。瑠那が兵庫県警察本部庁舎から移送されたことを示す内容だった。宗一の表情は変わらない。だが、彼の細く長い指がBlackBerryの物理キーボードの上を滑る僅かな動きに、長年培われた冷徹な情報員の、微かながらも確かな疲労が滲んでいるかのようだった。


 モニターの別のウィンドウでは、警察庁警備局と自衛隊の連携作戦に関する最終調整中のプロトコルが開かれていた。総理官邸では今まさに極秘会合が開かれているはずだ。要請による治安出動及び海上警備行動の同時発令が承認され次第、深夜に第七号倉庫を急襲する。コンパスを制圧し、103人の子供たちを救出する。その手筈が淡々と、しかし隙なく記されていた。


 便箋に書かれた「パパへ」という、瑠那らしくない、まだ幼さを残した文字が、宗一の脳裏に過った。瑠那の能力が、皮肉にも、彼女自身と、そして103人の子供たちの運命を決めた。長年「観測員」として感情を殺してきた宗一にとって、それは、娘を危険から救うための決定的な情報提供であると同時に、娘を「国の道具」として差し出す非情な取引でもあった。


 彼はモニターから目を外し、青白い光だけが照らす殺風景な壁を、しばらく見つめていた。宗一は無表情のまま、一つ深呼吸をすると、BlackBerryを手に取り、次のタスクへと意識を切り替えた。


内閣情報調査室(内調)という組織は、実際には非常に謎に包まれた機関です。その実態に想像を膨らませながら書いた話で、個人的にも書いていてとても楽しかったエピソードです。内藤と宗一、二人がどんな関係で結ばれているのか——その構造が、この話でようやく明確になったと思います。

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