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かくれんぼ

再び過去へ。1998年秋、4歳になった瑠那は幼稚園でかくれんぼをします。

ただし、彼女の「見つけ方」は、普通の子供のものではありませんでした。

 1998年10月。神戸に爽やかな秋の空気が満ちていた。山の手にある私立幼稚園の園庭では、震災復興の槌音の中で新調された遊具が秋の日差しを受けて光り、色とりどりの画用紙で作られた飾り付けが風に揺れていた。園田恵は、園舎のベランダから子供たちの様子を見守っていた。朝の日差しはまだ低く、遊具の影が園庭に長く伸びている。二十名ほどの園児たちが、それぞれに好きな遊びに興じていた。


「せんせー、みて!ポケモンかけた!」

「タマゴッチ、おせわした?」

「ハイパーヨーヨー、こうやるんだよ!」


 子供たちの賑やかな声が、秋の園庭に明るく響く。ブランコを漕ぐ子、砂山を築く子。その中にあって、園田の視線は砂場の一角に吸い寄せられた。逢坂瑠那。4歳の少女は、1人、黙々と砂をいじっていた。他の子供たちが駆け回り、笑い声を上げている中でも、瑠那だけは別世界にいるかのようだった。


 瑠那は砂の表面を指でなぞり、何か複雑な模様を描いている。周囲の子供たちの賑やかさとは対照的な、静かな存在感。園田は気になって、砂場のそばへ歩み寄った。


「瑠那ちゃん、何してるの?」


 しゃがんで声をかけると、瑠那はゆっくりと顔を上げた。その目は、ひどく落ち着いていた。4歳の子供の目とは思えない、どこか遠くを見ているような静けさがあった。園田は、何かをうまく受け取れなかったような、妙な感じを覚えた。


「おやまさん、かいてるの」


 瑠那はそう言って、再び砂山に目を落とした。園田は、何故か胸の奥に形容しがたい感情が込み上げてくるのを感じた。他の子とは違う。この子は一体、何を見ているのだろうか。園田は曖昧な不安を抱えながらも、他の子供たちに目を向けた。


 日が少し高くなり、遊具の影が縮んできた頃、園田は子供たちを呼び集め、午前の自由時間最後の遊びを提案した。


「みんな、最後にかくれんぼしない?」


 今日は実習生の中村さんも来ている。20歳の女子大生で、子供たちにすっかり懐かれている。園児たちは一斉に歓声を上げた。「するー!」と声が上がる中、1人の女の子が中村実習生のジャージの裾をぐいと引っ張った。「なかむらせんせーもー!」


 園田が頷くと、中村さんが「やろうやろう!」と明るく応じた。鬼を「多いもん勝ち」で決めることになり、園児たちが一斉に手を広げた。


「おおいのは、グー!」「チョキ!」「パー!」


 わいわいと声が飛び交い、あちこちで「わたしとおなじ!」「こっちがおおい!」と確認し合う。結果、少数派に残った候補から更に絞り込み、最終的に瑠那と中村さんの2人が残った。


「じゃあ、さいごはじゃんけん!」


 瑠那がグーを出し、中村さんがパーを出した。瑠那が鬼に決まった。


 園田は、中村さんに目配せをした。かくれんぼの進行は任せる、という合図だった。中村さんが子供たちの遊びを引き受けてくれている間、園田は少し距離を置いてクラス全体に目を配る。それが今日の段取りだった。彼女が「瑠那ちゃんが鬼ね!」と明るく宣言すると、子供たちがどっと沸いた。


「瑠那ちゃん、あそこのケヤキの木で数えてて。みんなー、かくれるのは、お庭の中だけだよー!」


 園田が見守る中、中村さんが明るく取り仕切った。瑠那は無言でケヤキの木の幹に顔を向けた。小さな両手で目を覆い、ゆっくりと数を数え始める。


「いーち、にーい、さーん、よーん……」


 子供たちは一斉に散らばった。滑り台の下、花壇の陰、百葉箱の裏、半分土に埋まったタイヤの陰——思い思いの場所へと駆け込んでいく。中村さんも、「先生、私も隠れていいですか?」と園田に小声で確認した。


「どうぞ」と園田は苦笑した。「でも、ほどほどにしてね」


 彼女はにっこり笑って駆け出していった。その背中を見送りながら、園田は園庭の隅のベンチに腰を下ろした。


 園田の目には、子供たちが屈託のない笑顔で隠れていく様子が可愛らしく映っていた。やがて瑠那が「はーち、きゅーう、じゅうーっ!」と数え終えると、園庭に一瞬の静けさが落ちた。


「もーいーかい?」


 瑠那が、木の幹に顔を向けたまま声を上げた。あちこちの物陰から、くぐもった声が重なって返ってきた。


「まーだだよーっ!」


 しばらくして、瑠那がもう一度呼びかける。


「もーいーかい?」

「もーいーよーっ!」


 今度は声がそろった。すると、園田はふと瑠那に目をやった。両手で目を覆ったまま、瑠那の小さな体が微かに震えているように見えたのだ。何かを感じ取っているかのような、集中力の極致のような動きだった。瑠那は両手をゆっくりと下ろし、ぱっちりと目を開けた。その瞳は、何かを見透かすかのように、園庭の隅々へと向けられた。


「なんだか、静かすぎるわね」


 園田は無意識に呟いた。瑠那の周囲だけは、まるで音を吸い込んでいるかのように、奇妙な静けさに包まれていた。次の瞬間、瑠那は一歩一歩確かめるように踏み出した。

 その足取りは、4歳の子供のものとは思えないほどしっかりとしていた。ベンチから見守る園田は、隠れた子供たちを次々と見つけ出していく瑠那の様子を、驚きの表情で眺めていた。


 最初の1人は、百葉箱の裏に隠れていた男の子だった。瑠那は一直線に百葉箱に向かい、「みーつけた!」と告げた。男の子は目を丸くして、「えー!なんでわかったの?」と叫んだ。


 園田は最初、「すごい!偶然かしら?」と素直に感嘆した。しかし、2人目、3人目と続くうちに、その驚きは困惑へと変わっていった。花壇の陰に体を小さく丸めていた女の子も、動物キャラクターの石像の陰にしゃがんでいた子も、瑠那はためらいなく向かっていった。キノコ型の石のベンチの陰に潜んでいた女の子のところへも、瑠那はまるでそこが目に見えているかのように真っすぐ歩いていき、ベンチをぐるりと回り込んで、その子の真横にすっと立った。そして、にっこり笑いながら小さな指で女の子を指差した。


 瑠那が隠れ場所に向かう足取りには一切の迷いがなく、子供たちの小さな吐息や衣服の擦れる音を聞き分けているようには見えなかった。あの位置からは、どう考えても子供たちの姿は見えないはずだ。それなのに、瑠那は一度も立ち止まらない。見ているだけで、何かがおかしい、という感覚が園田の中に積み重なっていった。


「ずるい!なんでわかるの?るなちゃん、めぇあけてたでしょ!」

「おめめは、つぶってたもーん」


 瑠那はそう言いながら、くるりと向きを変えて走り出した。女の子は「じゃぁ、なんでわかったのー!」と笑いながら追いかける。それを見ていた他の子供たちも、わーっと声を上げて後に続いた。見つかった子も、まだ隠れていた子も、一緒になって園庭を駆け回る。笑い声が秋の空に弾けた。


 しばらくして、走り回る子供たちの中から、1人の女の子が瑠那の袖を引っ張った。


「るなちゃん、なかむらせんせー、まだかくれてるよ」


 瑠那はぴたりと立ち止まった。きょろきょろと周囲を見渡すでもなく、ただじっと、少しの間だけ静かに立っている。考えているのか、感じ取っているのか——その様子は、傍目にはただ、間が空いたようにしか見えなかった。それからすぐに、何かを決めたような顔で園庭の隅のほうへと歩き出した。


 園田は、中村さんがどこへ向かったかをなんとなく把握していた。かくれんぼが始まる直前、彼女は園庭の隅へと駆けていった。そこには古びた用具入れの物置がブロック壁に接するように置かれており、物置とブロック壁の間には大人が1人ようやく入れるほどの狭い隙間がある。まさかあんな場所に、と園田は苦笑した。教育実習生とはいえ、子供相手のかくれんぼでそこまで本気にならなくても、と思いながら、しかし止めはしなかった。


 彼女は、その隙間に体をめいっぱい押し込んでいた。背中を物置の壁にぴったりとつけ、息を潜めている。4歳の子に見つかるはずがない、完璧(かんぺき)な死角だ——そう確信しているのが、遠目にも伝わってくるようだった。


 瑠那の小さな足音が、コンクリートの上をコツ、コツ、と軽やかに近づいてくる。迷いのない足取りだった。足音は物置の角でぴたりと止まった。

 そして、壁の向こうに向かって、無邪気に呼びかけた。


「なかむらせんせー、おせなか、ぴったんこしてるー!」


 隙間の奥から、ひっ、という小さな声がした。


 中村さんがゆっくりと顔だけを壁の陰から覗かせた。瑠那の笑顔が、すぐそこにある。「え、なんで……」。彼女は声に出そうとして、途中で止めた。ぞくっとするものが背筋を走ったが、うまく言葉にならない。この位置から自分の姿が見えるはずがない。それは分かっている。ただ、何がどうおかしいのかを整理しようとすると、頭がふっとどこかへいってしまうような感じがした。


 ベンチから様子を見ていた園田も、その瞬間を目撃していた。中村さんが潜んでいた場所から、瑠那が立っていた位置は完全に遮蔽されている。どう考えてもあそこからは見えない。それなのに、瑠那は一瞬も迷わなかった。


 中村さんは引きつった笑みを作りながら、狭い隙間から這い出してきた。


「えー、なんでわかったの、瑠那ちゃん!すごーい!」

「だって、おしり、みえてたもん」


 瑠那はけろりとそう答えた。その瞬間、さっきの女の子が「るなちゃん、すごーい!」と叫びながら駆け寄ってきた。つられてほかの子供たちも走り寄り、瑠那の周りに集まってわいわいと騒ぎ始める。やがてそれが追いかけっこに変わり、園庭にまた笑い声の波が広がった。


 彼女は、這い出したまましばらくその場に立ち尽くしていた。子供たちが楽しそうに駆け回るのを眺めながら、何か言おうとして言葉が出ない。園田もベンチから立ち上がれずにいた。2人とも、今起きたことの意味をどう整理すればいいのか、分からなかった。賑やかな子供たちの声だけが、秋の園庭にいつまでも響いていた。


 午後の日差しが園庭を白く照らし、遊具の影が朝よりも少しだけ伸びた頃、幼稚園のゲートに保護者たちが集まり始めた。

 逢坂宗一もその中にいた。普段から教諭や他の保護者と気さくに話す宗一は、絵に描いたような「良き父親」の振る舞いだった。


「園田先生、今日はどうでしたか、瑠那は?」


 宗一は明るく尋ねた。園田は僅かに表情を硬くしたが、すぐにいつもの笑顔を取り戻した。


「ええ、今日はかくれんぼで、ちょっと不思議なことがあって……。瑠那ちゃん、先生もびっくりするくらい、隠れている子たちを次々に見つけちゃったんですよ。まるで、全部見えているみたいで」


 園田は困惑した笑みを浮かべた。その言葉の選び方、瞳の奥に宿る困惑の質を、宗一の視線は冷静に評価していた。瑠那は宗一の足元に駆け寄り、「パパ、おそい!」と甘えた声を出す。


「お待たせ、瑠那。ごめんね」


 宗一は瑠那の頭を優しく撫で、園田には「子供の勘ですから、遊び上手なだけでしょう」と笑い飛ばした。しかし、彼の内心では、園田の困惑の内容から、瑠那が今日また「発動した」ことを静かに確信していた。


 電動アシスト自転車の荷台チャイルドシートに瑠那を乗せ、宗一は坂道を下り始めた。神戸の山の手らしい急な下り坂で、秋の午後の白い光がやわらかく降り注ぎ、瑠那の小さな横顔をくっきりと照らしていた。背後から時折聞こえてくる瑠那の鼻歌を耳に受けながら、宗一は前方の坂道を見据えていた。その無邪気な声に、一瞬だけ死んだ母親の面影がよぎった。宗一はすぐさまその像を意識の外へ払いのけ、視線をまっすぐに前に戻した。感情に蓋をする動作は、もう習慣になっていた。


 自宅の書斎。その夜、宗一は東芝DynaBookの画面に向かい、内調への報告書を書き記した。


「対象者(4歳)。三次元の遮蔽物を介さない空間認識能力の存在が推定される。

 視覚ではなく感覚的な位置把握によるものと推定。

 私立幼稚園での集団遊び(かくれんぼ)中に発動。担当教諭より、当該行動に関する困惑の報告あり。

 他者への影響を意図している様子はなく、無自覚と推定。

 現時点において、能力の発動に意識的な制御はないと判断する。」


 報告書の文体は、依然として完全に事務的だった。しかし、宗一の内面の深層では、まだ言語化できない揺らぎが、かすかに兆し始めていた。それは意識に上がることなく、深層に封印されたまま——今夜もまた、静かに。


説明のつかない不可解な現象を、4歳の子供の無邪気な遊びの中に溶け込ませる——「ファンタジーにしない、でも読みやすい」というバランスを一番意識した回かもしれません。完璧な死角に隠れた実習生を見つけてしまう瑠那を、ベンチから見守る園田先生の困惑した目線で書きました。

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