3.異世界恋愛書きから見た『説得』のオススメポイント
①優しい世界
オースティンの特徴といえば、からっぽな人、あかん人をえぐっていくような人物描写ですが(特に当人のセリフがすごく巧い)、『高慢と偏見』『分別と多感』よりも珍獣動物園感は明らかに低いです。
これなんでかというと、アンのパパと姉妹は相当アレではあるんですが、中盤に出てくるマスグローヴ家の人たち、ウェントワースの友人の海軍士官達への視線がすごく優しいんですよね。
マスグローヴ家の人たちは、アンの基準から言うとそこまで教養がない人たちなんですが、アンは彼らが互いに家族として大事にしあっていることを素直にええなと思い、彼らがアンを親戚として迎えてくれることを嬉しく思っています。
嫁いでいるメアリの方が、自分は準男爵の娘なんだから、もっと丁重に扱ってほしいとぶーたれているくらい。
晩餐終わってダンスや!ってなった時でも、アンは自分はもう踊るより弾く方がいいんだと、カントリーダンスの曲を1時間ぶっ通しで演奏したりします。
アンは、バースで演奏会に出席した時に、プログラムに書いてあるイタリア語の歌詞を解説してほしいと子爵令嬢に頼まれるくらい教養のある淑女。
自分の好みで弾くとしたら、ショパンとかの難易度高い芸術性のある曲になるんではと思いますが、全然気にせずジュークボックス代わりもこなします。
『高慢と偏見』のエリザベスや『分別と多感』のエリナーと違い、アンは3年間寄宿学校に行っていますし、立場からいっても教養からいっても、マスグローヴ家の人たちよりもちょい上ではあるんですが、そういうところを鼻にかけてはいないんですよね。
マスグローヴ家の人らが(だいたい)ええ人やいうのももちろんあると思いますが、『高慢と偏見』のエリザベスや『分別と多感』のエリナーがこの人達と接したら、ちょいちょい引いてしまうとか、内心ディスってしまうとか、違う反応になったんじゃないかなという気もします。
人の良いところも悪いところを見た上で、わりと寛容に接していくのがアン。
アンの視線が優しいから、珍獣動物園感が低い。
このへんは、もともとの性格もあるでしょうが、エリザベスやエリナーよりもアンが年齢を重ねているからなのかなーとも思います。
『分別と多感』のようにガンガンえぐっていくのも面白くはあるんですが(あと「相談女」ルーシーの渾身のサヨナラスクイズは素晴らしかった!)、『説得』は世界観がほっこり寄りになる分、よりハピエンで良かったね……良かったね……となれます。
いうて、子爵夫人と令嬢は、爵位以外は何の取り柄もない人たちとか身も蓋もないことが書いてあったりしますが……\(^o^)/
こういうのがオースティンの基本なので、しゃーないしゃーない……
②微妙で繊細な階級意識や、バースでの社交の描写
おんなじ地主でも、ちょっとずつ格の違いというかなんというかがあるんですよね。
エリオット準男爵家とマスグローヴ家は「違う」立場です。
マスグローヴ夫人の姉が嫁いだヘイター家というのがあって、そこの息子で副牧師をしている人と、マスグローヴ家の娘がよい仲で、結局婚約するんですが、準男爵家出身のメアリはあんな家と縁続きになりたくないとめっちゃ嫌がったりします。
なんでかというと、マスグローヴ家より一段落ちる暮らしぶりで、教養もあんまりない人達だから。
夫のチャールズは、確かにそういうところはあるけれど、副牧師はしっかりした尊敬できる人物だし、代が変わればまた変わるとメアリをなだめたりします。
お金のあるなし、家系、受けている教養が絡まり合って階層意識が形成されている感じ、めっちゃ面白いです。
フランスの社会学者ブルデューが「文化資本」という言葉で、文化的教養が所有者に権力や社会的地位を与えるんや言うてるんですが、こういうことかー!となりました。
このへんの上下の感覚は、『高慢と偏見』『分別と多感』でも出てくるところではありますが。
そして、バースでもこの微妙な階級意識はちらちらと出てきます。
バースはイギリス随一の温泉リゾート。
そういや『分別と多感』で、チャラい系紳士ウィロビーが罪もない少女を口説いたあげく、その子の人生ぶっ壊しやがったのもバースでした。
日本で言うたら箱根か熱海か、でも内陸部にあって、温泉にちなんだ広場がどーんとあったりするので、イメージとしては草津が近いかもですね。
あーでも、今で言うと長期滞在者用の貸し別荘とかリゾートマンションがえらい充実してるっぽいので、やっぱり熱海かな?
それはさておき、バースは富裕層向けだけでなく、平民も楽しめるように開発されたので、いろんな階層の人が来ています。
エリオット準男爵の親戚に当たる子爵夫人は、もちろんええところに。
マスグローヴ家の人たちもバースに来るんですが、準男爵とはちょっと毛色が違う、なんとか亭という宿屋に滞在。
観光スポットになっている広場が見下ろせるところのようなんですが、準男爵とかは高台の静かなところを借りてたりするんですよね。
同じ金持ちでも、ちょっとずつ滞在するところ、行くところが違うようです。
そして、スミス夫人という、アンの学校時代の友達が出てくるのですが、この人がおもしろい。
もとは地主階級だったのですが、夫は早死&破産のコンボですっかり落魄し、当人もリューマチで身体をやられて、賄い付きの下宿のようなところで療養中。
道が狭くて、馬車も入らんところだとか説明があったりします。
アンのパパとか、スミス夫人が住んでいるところを聞いて、めっちゃ厭な顔をしたりするんですが、スミス夫人はめげない人。
リューマチのリハビリを兼ねて編み物をするようになり、出来た作品を友達になった看護師さん(下宿の大家の妹)に頼んで売ってもらい、売上を近所の貧しい人に施せるようになって嬉しいとか言っています。
え、お金に困ってるんじゃないの!?って思ったら、訳注に「スミス夫人は貧しいがレディーであることを示す」と説明が。
なるほろ……なるほろ……となりました。
スミス夫人、ぶっちゃけ大家にも同情されているような境遇なんですが、ここで売ってもらったお金を生活費にしてしまったら、プライドがもうぐずぐずに崩れてしまう。
施しに回すからこそ、今は気の毒な状況やけど、あの人は立派なレディや思うてもらえるのです。
このへん、文化資本(教養)・経済資本(お金)・社会関係資本(人脈とか)が絡まりあって、その人のアイデンティティを形成し、それが行動に結びつくいうのが、ようわかった……としみじみしました。
オースティンの作品は、ナポレオン戦争であるとか社会の動きに全然言及がない「家庭小説」だという評をどっかで見た覚えがあるのですが(いうて『説得』では、トラファルガー海戦とかへの言及はありますが)、歴史的な事件への言及は少なくとも、当時の田舎地主階級の社会がめちゃくちゃ書き込まれているように思います。
自分は、主に魔法が出てくるようなファンタジー系の異世界恋愛物を書いてるんですが、この系統で面白い作品て、①ストーリーテリングが優れている②キャラが良い③世界観に厚みがある、この3点が揃っていると思うんですよね。
パッと思いつく作品だと、『本好きの下剋上』とかですが。
この③世界観に厚みがある、という部分は、たとえば魔法の仕組みがしっかり説明されているとかそういうものだけではなくて、その社会の中で人々が自分たちの世界をどう認識して生きているのか、社会のあり方がどう人々の行動に影響しているのか、そこを描くところから来るんではないかとオースティンの読書感想文3作目にして改めて思いました。
自作だと『ピンク髪ツインテヒロインですが攻略対象が振り向いてくれません』という作品が、途中から③を目指してはいたような気もするんですが、それが出来たとは到底言えないので、全面改稿したい……
③女性が年をとることをどう捉えるか
この作品をオススメしてくださったtomonya様は「若い頃は高慢と偏見や分別と多感を心から楽しめたのですが、年齢が上がった今、説き伏せられてが一番グッとくるようになりました」とコメントされていましたが、ほんまやね……ほんまやね……となりました。
現代よりもはるかに結婚規範が厳しく、女性は「美しいこと」「若いこと」で評価される時代です。
『高慢と偏見』『分別と多感』『説得』を並べてみると、どうも女性の結婚適齢期は22とか23くらいまで?
男性は4〜6歳くらい年上な感じが多いようです。
こういう時代では、未婚の27歳の女性って、今の27歳女性とはまったく違います。
父の準男爵は、アンにはもう価値がないと思っていますし、アンも自分が年を取ってしまったとちょいちょい気にしていますしね。
でも、ウェントワースと恋に落ちたけれど、ラッセル夫人の説得に従って退いてしまった19歳のアンよりも、27歳になって、家計がヤバいってなれば実際的な家計再建計画を立てたり、突発事故が起きてもすぐに諸々手配してなんとかできるようになったアンの方がたぶん魅力的なんですよ。
実際、お相手役のウェントワースも、そう感じている模様。
19歳のアンは、美しく優しいけれど、ラッセル夫人の説得に負けてしまった主体性のない娘のようにウェントワースには見えていましたが(実際はもうちょっと違う判断をアンはしていたのですが)、27歳のアンは想定外の事態にもしゃっと対応できる芯の強い淑女になってますからね。
ちょっとおもしろいのが、オースティン自身、27歳の時に6歳年下の男性からプロポーズされているんですよね。
Wikipediaの解説では、作者のオースティン自身は生涯未婚で、26歳の時に一度だけの恋をしたけれど実らず(ただし晩年結構語ってたともあるので、酷い別れ方とかではなかったんでしょうね)ですが、その翌年に別の男性からプロポーズされたとのこと。
その男性は裕福な若者だったそうですが、結局オースティンは断り、父の没後は母と姉(婚約者が外地で病死)と、海軍で出世した兄達の元で暮らし、匿名で小説を発表したりしているうちに41歳で病死。
社会的には、若くて美しい女性が好ましいという考えは強いけれど、実際違うよねというのが実体験としてあり、それを描いたのが『説得』なのかもしれません。
人はどうしたって年を取るわけで、年をとれば若い頃のあれやこれやが失われたり、あちゃこちゃ不具合も出たりはするんですが、その代わりに得られることもいっぱいあるわけで。
実際、自分自身を振り返ってみても、19、20歳くらいの頃より、今の方が良い人間だと思うし、幸せです。
ただ、上でもちょい書きましたが、側に準男爵&姉のエリザベスみたいな、「お前にはもう価値がない」いうような決めつけをしてくる人がいたりすると、やっぱり魅力はしぼみがちなのかなとは思います。
アンの魅力を、ウェントワースやウォルターがちゃんと捉えられたのは、父&姉から離れて、アンを大事にしてくれるマスグローヴ家の人たちのところで暮らしていたのがやっぱり良かったのかなぁ……
年をとればとるほど、毒は回避していかんとあかんのかもと思いました。
どうしても引きずられますからね。
アラサー以上で、もだもだ&ハピエン堪能したいんじゃー!という方には、『高慢と偏見』よりもオススメです!