その後
リクエストとかいただきましたが、私が書きたいものを書きたいように書きました、ごめんなさい。
リニはエントランスで新調したばかりの外出用ドレスを着た自分を見下ろし、小さく首を傾げた。
この明るくいかにも若い娘が好むような服装が果たして正解であるのか、もう一度考えてみたものの、やはりわからなかった。ただ大きく外れてはいないだろうと自分を納得させる。
「あら、リニ。出掛けるの?」
通りかかったフランカがにこやかに尋ねてくる。
「ええ、クラースと」
「まあ、こんな昼間からお仕事なの。頑張ってね」
フランカは疑いもなくそう言って、居間のほうへ行ってしまった。
「そうよねぇ」
そうなのだ。リニがクラースと出掛けるといえば、クラースの仕事で必要に迫られた場合しかあり得なかった。デートなんて、クラースがするわけがない。フランカのその認識は間違っていない。
しかし、今日出掛ける理由は恐らくデートである。クラースもそう言っていたのだから、恐らくと付けるのはおかしいのだが、やはり疑ってしまう。あのクラースが本気でデートなんてする気があるのかと。
実はデートにかこつけた仕事だったと言われたほうが納得してしまいそうだ。あの鳥のプレートは、そのことをハウルに言わせないための賄賂である。
もし本当にそうであったなら、告げ口するべきか否か。
リニがそんなことに悩んでいると、玄関のノッカーが叩かれる音がした。
周囲に使用人はいない。本来ならこの家の令嬢であるリニが、初めに来訪者の応対などするべきではないが、彼らが来るまで待っているのもなんだか間抜けだ。
リニは気にせず扉を開けた。
そしてそこにいた人物を見て、目を丸くしてしまう。
「リニ? すまない、待たせたか?」
「え? クラース? もしかして迎えに来てくれたの?」
クラースはスーツを着ていなかった。外出着ではあるので、あまり変わり映えはしないが、それでも子供ではないクラースの、スーツ以外の服装というのはとても珍しい。
彼は眉根を寄せてリニを見た。
「もしかして君がうちに来ようとしていたのか?」
「そうだけど」
来てくれるだなんで話していただろうかと、昨日のことを思い返そうとしたが、クラースの考え込むような顔を見て、そうではないと気が付いた。
仮にもデートだと言っているのだから、女性のほうから迎えに行くだなんておかしいのだ。最近はずっとリニがクラースの家に行っていたので、ついそのつもりでいてしまった。おまけにリニはこういったことに憧れはあるものの、経験自体は無に等しいのだ。
「今度からは俺が迎えに来るから、君は家で待っていてくれ」
「今度?」
他に約束があっただろうかと、首を傾げる。仕事の時はちゃんと作法に則って、迎えがあるまで待っているので、それとは別にということだろう。それなら他に予定などない。
「……俺と出掛けるのは嫌なのか?」
少しかすれた声でクラースが聞いてきた。
「え? 嫌って……嫌がっていたのはクラースでしょう?」
言いがかりをつけられたような気分になって、リニは少しムッとして言い返した。短い昼食を共にすることすら断られ続けていたのだ。クラースが休日に一緒に出掛けることを承諾するわけがなかったし、そもそも休日がちゃんとあったのかどうかも怪しい。
リニの視線に怯んだようにクラースが身を引いた。
「……悪かった」
顔を険しくさせてクラースは謝った。言動が一致していないように思うが、とても珍しいことだ。謝っている内容にもリニは驚いた。
「それって今度から、わたしとの時間も作ってくれるっていうこと?」
リニはいつものような感覚で尋ねた。つまり、どうせ馬鹿にしたよう断られるのだろうという予想の上で尋ねたのだ。ところがクラースはしっかりと頷いた。
「ああ」
「えっ……」
「何だ」
「いえ……」
どうしたのだろう。呪われて性格が丸くなったのだろうか。しかしここでそのことを突っ込んで、機嫌が悪くなられても嫌なので、リニは流すことにした。
「うん、じゃあ、行きましょう!」
「ああ」
クラースが手を差し伸べてくる。一瞬、その手を凝視してしまったリニだが、平静を装って手を重ねた。
人前でエスコートしてもらったことは何度かある。その時は腕に手を添えていたので、手を繋ぐなんて初めてではないだろうか。
いや、違う。昨日だって繋いでいた。リニから手を伸ばして。
子ども扱いするなと言うクラースに、リニが言ったのだ。デートだからよと。
リニは手の先にあるクラースの顔を見上げた。十八歳のやや細長く丸みのなくなった精悍な顔立ちがある。よく目にしていた不機嫌な表情はない。クラースがこちらを見ようとする気配を感じて、慌てて正面を向いた。微かに頬に熱が集まるのを感じる。
なんだろう。可愛いのに、可愛くない。
これからどんな心持ちで出掛ければいいのかわからず混乱した。
リニは切り替えが早い人間である。
だから会話の少ない馬車の中で、気持ちを整理した。
ようは八歳のクラースと同一人物であることを理解していればいいのだ。わかっているつもりだったが、本来ならあのクラースが数年かけてこのクラースになるはずで、それを一日で短縮されて、混乱していたのだろう。
呪われていた時の記憶がちゃんとあるのだから、性格が少し丸くなっていてもおかしくはないのかもしれない。邪険にされすぎていつの間にか抱いていたクラースに対する警戒心を、八歳のクラースと接していた時の半分くらいは解いたっていいのでないか。そう結論付けた。
「先に陶器店へ行くの?」
考えごとをしていた顔を上げてクラースを見ると、ばっちりと目が合って少し驚く。
「ああ。その後は西広場でもどこでも、リニの好きなところへ行く」
「え。クラースが行かなきゃいけないところはないの?」
「別にないが」
どうやら仕事は本当になく、完全なるデートであるらしい。リニはテンションが上がった。
「じゃあ、帽子店にも寄っていい? それから西広場へ行ってフリッツ食べて、えーと、ポプラ並木通りを散歩して、夕食も一緒に食べたいわ」
「わかった」
「いいの!?」
リニは驚いて声を大きくしてしまった。実はどれか一つでも付き合ってくれるなら儲けものだと思って言ったのだ。
「どうしたの、クラース。おじ様に怒られたりしたの? それとも、もしかして呪いの後遺症があるの? 何かあるなら遠慮せずに言ってくれていいのよ」
以前とのあまりの違いに、リニは恐くなって詰めよった。
「……なぜそうなる」
「だって今までだったら、そんなことは時間の無駄だとか、何の意味があるんだとか、俺は暇じゃないとか言ってたじゃない。全部付き合ってくれるなんて、クラース変よ」
「…………」
クラースは片手で顔半分を覆って、苦悩の表情を浮かべた。
「やっぱりどこか具合が悪いの!?」
「違う」
やけにきっぱりと否定をする。その割に表情が変わらないが。
「……今日は休みなんだ。時間の余裕ならある。だから全部付き合う。婚約者なんだから当然だろう」
婚約者。クラースがその関係性を肯定するようなことを言うのは、いつぶりだろう。
「……そう言えば、一度確認してみたかったのだけど」
「何だ」
「クラースって、わたしと結婚する気あるの?」
「はあっ!?」
クラースはまさに驚愕、というように目を見開いた。
しかしリニはそこまで驚かれるようなことを言ったつもりはない。実は結婚する気がないのではないかという疑いを持っているのではなく、結婚について現実的に考えたことがあるのだろうかと思っているのだ。のろりくらりと躱して、婚期を遅らせようとするのではないかという疑いならあるが。
「あるに決まっているだろう! なぜそんなことを疑うんだ!」
「なぜって、クラースを見ていたら、どうなのかしらって思ってしまったのよ。仕方ないじゃない」
これについてリニは自分は悪くないと思っている。だから胸を反らして答えた。
するとクラースは両手で顔を覆って背中を折り曲げてしまった。
呆れているのか悔やんでいるのかわからないポーズだ。
「でもする気があるならよかったわ。これからもよろしくね」
それだけわかればいいので明るく言ってみると、クラースはのろのろと顔を上げた。
「……悪かった」
表情が沈んでいる。どうやら反省していたらしい。
「仕事のことしか考えてなかったんだ」
「それは見ていたらわかるから、大丈夫よ」
クラースの眉間に皺が寄る。
「君はもっと怒っていいと思うが」
呪いを受ける前のクラースに、だろうか。自分でそんなことを言うなんて、冷静になって振り返ってみたら後悔したとか、そういうことなのだろうか。信じ難いが。
「腹は立てていたし、仕返しならするつもりよ。そういえば、クラースに八歳のクラースがどれだけ可愛かったかじっくり語ってあげるつもりだったのだわ」
「やめろ」
「そうね。まだ出掛けたばかりだもの。後にするわ」
にこにこと言うリニに、クラースは憮然とする。
「楽しそうだな」
「楽しいわよ。クラースがちゃんとわたしと話をしてくれるもの」
クラースはまた背中を折り曲げた。
イズリール陶器店へ行くと、すでに連絡をしていたのだろう。支配人が入口で出迎える。
「いらっしゃいませ。お待ちしていました」
「こんにちは、支配人。二日続けてお邪魔するわね」
「美しく愛らしいご婦人には、毎日でもお越しいただきたいぐらいです」
「ふふ、ありがとう」
お世辞なのはわかりきっているが、わざわざお上手ですねとは言わないのが、礼儀である。
リニは早速、昨日の輸入品のプレートが置いてあった棚を見に行った。
「あら、あの丸い小鳥のプレートは売れてしまったの?」
記憶していた場所になくて、きょろきょろとする。
「いいえ、ご連絡いただきましたので、取り置きさせていただいておりますよ。ご覧になられますか?」
「そうなの。ありがとう」
「他にはないのか?」
リニが支配人に付いて奥の部屋へ行こうとすると、クラースが引き止めた。
「え?」
「他に欲しいものはないのか? 何でも買ってやる」
平然と、かなり太っ腹なことを言い出して、リニは困惑した。どういう意図なのだろうか。
「いけませんよ、クラース様。女性にそのような対応をなさっては。何でも買ってやるなどと言うよりは、女性は自分のために悩みながら選んでくれた、たった一つの贈り物に感激するものです」
「さすが、支配人! その通りよ」
リニは激しく同意した。
いつもドレスの代金だけ払ってもらっていることを思い出したのだ。贅沢な悩みかもしれないが、たまには何が似合うのか、少しくらい考えてくれてもいいのにと思っていた。
二人がかりでダメ出しされたクラースは納得いかない顔をする。
「それで、相手の好みではないものを贈っていたとしたら不毛じゃないか。確実に欲しがっているものを贈ったほうが、物も時間も無駄にならなくてすむ」
さすがクラースだとリニは思った。理屈としては正論である。しかしそんな言い方をすれば、相手は自分のために時間を使うのは嫌なのかと感じることもあるのだ。もう少し人の気持ちを考えてほしい。
とはいえ、リニはもうこれくらいのことは慣れてしまっているし、高価なものを買ってもらった後では文句も言えない。
すると支配人が苦し紛れのフォローを入れた。
「さようでございますね。何度もプレゼントを贈った相手には希望を聞いてくれたほうがいいと言われることもあるようですし、差し出がましいことを申しました」
フォローではなかった。追い討ちをかけている。
さすがに支配人は知らないだろうが、クラースはリニへのプレゼントを自分で選んだことなど一度もない。
「いいわねぇ。何度もプレゼントを贈りあってから、そこに落ち着くというのが理想だわ」
リニはまたしても支配人に対して深く頷いた。
クラースが何か言いたげに見てくるので、リニはにっこりと笑う。
「ありがとう、クラース。今日はこんなに可愛いものをプレゼントしてくれたのだから、もう十分だわ」
嫌味ではない。クラースがいきなり女心のわかる気遣いなどしてきたら逆に恐ろしいし、彼自身の性格をねじ曲げてまで、理想的な婚約者になってほしいわけでもない。それでも少しくらいは、選んだものをプレゼントしてほしいとは思うが。
ところがリニのこの態度がクラースのプライドを刺激したらしい。クラースは次に約束していた帽子店へ行くと、自分が選ぶと言い出した。
何か違うと思いながら、リニは次々に被せられる帽子を大人しく受け入れる。
「どんなものが好きなんだ」
「全部可愛いから何でもいいわ」
「何かあるだろう!」
「クラースが選んでくれるんじゃないの?」
眉間に深い皺を刻ませた険しい顔のクラースは、リニの頭にまた新しい帽子を被せた。あまりにも真剣で、店員たちが微笑ましげに見ていることにも気づいていない。
そして段々とイライラしてきたらしく、最終的に残った二つを両方買うと言い出した。この店では自分で買うつもりであったリニは遠慮したが、なぜか睨まれて受け入れさせられる。
店を出た後、クラースは徹夜で仕事をしても、ここまでではないのではないかと思うほどにぐったりとしていた。
「ありがとう、クラース。すごく可愛いくて気に入ったわ」
「……何でも可愛いんだろう、君は」
「そんなことは……ううん、そうね。クラースが選んでくれたものなら、何でも一層可愛いわ」
あそこまで真剣に何が似合うか考えてくれたのだ。リニは大変満足だった。
クラースは嬉しそうに笑うリニを見て、ふいと顔を逸らして唇を引き結んだ。
(一番可愛いのはクラースだけど)
喉まで出かかった言葉を、リニは懸命に押し戻した。
西広場へ行くと、今日は市をやっていないようで、いつもより広々として見える空間は、子供たちの遊び場となっていた。何もなくとも人が集まる場所らしく、それなりに騒がしい。
「あっ、よかった。今日もいるわ」
リニはフリッツの屋台を見つけると駆け寄った。昨日と同じ、エプロンを付けた青年の店員が、暇そうに立っている。
「こんにちは、昨日はありがとうございます」
「えっ、ああ、昨日のお嬢さん!」
彼は驚いて屋台の奥から出てきた。
「あのお坊っちゃんは大丈夫だったかい? すごく苦しそうだったけど」
「ええ、あなたがすぐに馬車を捕まえてくれたので、大事に至りませんでした。もう既にピンピンしていますよ」
「それはよかった。大したことなかったんだな。お腹でも下しちゃったのかい?」
「ふふふ」
うまい言い訳が思い浮かばす、笑って誤魔化す。青年は自分の予想が当たったと思ったようで、同じように笑顔を返してきた。背中から不満そうな視線を感じるが、気のせいだろう。
「あっ、それと……あの不気味な像もごめんな、燃やしちゃって。その……もしかして高価なものだったのか?」
弁償の心配をしているのか、青年は困りきった顔になる。
「いえ、大丈夫です。あれにつきましては燃やしたほうがよかったんです」
「えっ……でも」
「どうぞ、気にしないでください」
リニは強引に話を打ち切ろうとした。まさか、あなたが触ったものは呪具で、燃やしてくれたからこそ呪いが解けたんですなんて言えるわけがない。
「そうか、じゃあせめて、お詫びにフリッツを奢るよ。食べてってくれ」
青年がリニに近づいて爽やかに笑って言った。
「いや、それには及ばない。フリッツの代金はちゃんと払わせてもらう」
真上から声が降ってきて、リニは驚いて見上げた。
後ろにぴったりと張り付いてクラースが立っていた。
「えっ、ご、ごめん。婚約者が一緒だったのか」
青年は慌てたように後ずさった。女性に対して距離が近すぎないだろうかと思っていたリニは内心ほっとする。
「従兄弟が世話になったようで、俺からも礼を言う」
「昨日のお坊っちゃんの従兄弟のお兄さんか。そっくりなんだな。あっ、フリッツ揚げたて用意するから、ちょっと待っててくれ」
固い声のクラースに対して、青年はにこやかに返す。屋台の奥に引っ込みながら、彼はリニに向かって言った。
「いやー、ごめんな。婚約者さん機嫌悪くさしちゃって」
なぜそれをクラースにも聞こえるように言うのだろうかと疑問に思うが、それにしても機嫌が悪いのだろうかとリニは首を傾げた。
「無愛想なだけですよ」
商売相手には好青年のふりをするくせに、利害関係で判断しすぎなのだ、クラースは。
「いやいや、俺がお嬢さんに馴れ馴れしくしすぎたから、嫉妬したんでしょう」
「それはないので大丈夫です」
やけに気にする青年のために、リニははっきり否定する。
すると騒がしいはずの広場で、リニたちの周囲だけ静かな空気が流れていった。
青年が恐る恐るクラースを窺うように見るので、つられてリニも目を向ける。クラースは常態となっている少し険しい無表情だったので、青年の勘違いについて特に不快に思ったわけではないのだろうとリニは判断した。
リニからしてみれば、ずっと邪険にされてきた婚約者が、呪いの影響によって何らかの考えを改めて、距離を縮めようとしてくれたばかりなのだ。それまでの年月が長すぎて、嫉妬などするわけがないと思っている。
「そうなんだ……」
青年はそれきり黙り、揚げたてのフリッツを手渡すと、手を振って別れた。
「久しぶりだわ。フリッツなんて。あそこに座りましょう、クラース」
「……ああ」
やけに小さい声で答える。リニがクラースを見ると、彼のほうもリニをじっと見ていた。ベンチに座ったリニは持っていたフリッツをクラースのほうへ差し出す。
「まだ熱いと思うけど、先に食べる?」
「いや、違う」
クラースは悩むように眉間を指で揉んだ。
「リニは……」
「何?」
「いや……」
いつもそれはどうかと思うほどにはっきりと物を言うくせに、今日のクラースは歯切れが悪い。眉間の皺がまた深くなった。これも今日はよく見る表情だ。
「楽しくない?」
「え?」
「その顔、今日はよくしているから、楽しくないのかと思って」
「違う」
さっきよりも強くクラースは否定した。
しかし眉間の皺はもっと深くなって、少し傷ついたようにも見えてしまい、リニは戸惑った。
「違うなら……その、よかったわ」
「他に行きたいところはないのか?」
「え、何が?」
「もっと他に行きたいところはないのか? 今日はこの後に、ポプラ並木とレストランには行くが、別の日に行きたいところだ。観劇なんかには行かないのか?」
「えっと、観劇にはいつもフランカと一緒に行ってる、けど」
「それなら、買い……物、とか」
明らかに言い淀んだ。うっかり口に出してしまったが、本心ではあまり行きたくないのだろう。それでもやっぱりナシと言わないなんて、意外に潔いのねとリニは思った。
しかし、クラースがどんなつもりでこんなことを言い出したのか、リニにはわからない。ちゃんと楽しいのだというアピールなのか、それとも本当は楽しくないことを誤魔化しているのか。
リニはクラースのことを、深い部分ではほとんど知らないのだ。
「コーヒーハウスに行きたいわ。昨日、小さいクラースと話していた、イズリールの陶器を扱っているコーヒーハウス」
クラースは怒ったように眉を上げた。
「君の、行きたいところを聞いたんだ」
その顔が少年のクラースの拗ねた顔と重なって、リニは小さく笑った。
「わたしの、行きたいところよ。ねぇ、わたしはね、ただクラースと二人で話がしたいのよ」
クラースの目が僅かに見開かれる。
「そう、か」
ふいと顔を逸らした。常と変わらないようでいて、どこか作ったような表情は、リニにはやっぱり少年のクラースの、澄ました表情と重なってしまう。
もしかして喜んでくれているのだろうかと、リニは少しだけ期待した。
今までずっと、何かに誘っても嫌な顔をされたり、邪魔だと言われ続けてきたのだ。リニがクラースとしたいと言ったことに対して、クラースが喜んでくれるならとてつもなく嬉しいが、にわかには信じ難くもある。
「一緒に行ってくれるの?」
「俺から言ったんだ。当たり前だろう」
「じゃあ、楽しみに待っているわね」
「……そうか」
「ええ、とても楽しみよ」
リニは笑顔で二度繰り返した。
クラースが逸らしていた顔を僅かに動かして、横目でリニを見る。
そしてふっと口元を弛めた。目に優しい色が滲む。
「そうか」
笑うと少し幼くなるということを、リニは初めて知った。
途端に我慢できなくなる。
「クラース、かっ……!」
フリッツを持ったままの両手をクラースに向けて大きく広げて、リニは目を輝かせた。
クラースが驚きで肩を揺らす。
それを見たリニは、はっと我に返った。伸ばそうとしていた腕の動きをぴたりと止める。
「ごめんなさい、まだクラースが小さい時の感覚が抜けないみたいね」
「…………」
クラースは上げかけていた両腕を、リニに気づかれないようにそっと下ろした。
「あっ、そろそろフリッツ食べごろじゃないかしら。ねぇ、クラースも食べるでしょう?」
フリッツを一つ詰まんで口に入れると、リニはクラースのほうに差し出した。
「あら? どうしたの、クラース」
「……何でもない」
クラースは体を前へ倒して目を瞑り、眉間の皺を指で押さえていた。
苦悩しているかのような仕草に、リニはさっきのことが子供扱いのようで気に食わなかったのだろうと考えた。
しかし、それも仕方のないことなのだ。リニは心の中で言い訳する。
だってやっぱり大人に戻っていようが、クラースは可愛いのだということがわかってしまったのだから。
ちょっとかわいそうな感じのツンデレが書きたかった。