龍虎の戦い
今は昔。根の堅洲国にて八嶋士奴美神は大己貴命を連れて、素戔嗚尊の邸を訪れていた。
事前に素戔嗚尊に根回しもし、須勢理毘売にも話は通してある。そして、今日は大安吉日、成。占の結果も良く、今日は縁談を纏めるには良き日になるだろうと思われた。
伴ってきた大己貴命も逸る気持ちをひた隠しにしてはいるが、それでも期待と不安からか、いつになく浮き足立っている。
「そんなに今から気を張っていると、夜が大変じゃないか?」
八嶋士奴美神がニヤリとして囁けば、大己貴命はぎろりとひと睨みして「貴方があんな出鱈目を言っているとは思わなかったからですよ」と抗議した。
「なぜ、私が貴方の隠し子のような扱いになっているんです? 正式に婚礼をあげた木花知流比売に絞められませんか?」
「んー、だが、俺には男色の趣味はないしなあ。」
「はい?」
国つ神同士で同じような神威を纏うのは、共鳴率の高いよほど仲の良い夫婦神か、血縁の神が多いのが実情だ。
「他人の空似ながら、俺と顔形も似ているようだし、纏う気も近しいらしい。」
気が合うからこそ、八嶋士奴美神と大己貴命は仲良くやれているのだが、血のつながりがないと話せば驚かれるだろう。
「ましてや、お主は俺の気を帯びた餌木を使うんだ。大方の世間の目は分かるだろう?」
くぐもった笑いを浮かべる八嶋士奴美神に、大己貴命はあからさまにじっとりとした目を向ける。
「嫌な分かり方はしましたが、それでは須勢理毘売との婚姻に影響しないのでしょうか?」
「その辺はいつものお主らしく、うまく躱してくれ。」
だから、あれほどまでに蚶貝比売と蛤貝比売が、にやにやと八嶋士奴美神との関係性を聞いてきたのかと思えば、若干の腹立たしさを覚える。
「まあ、男色家扱いされるよりは、子孫や親戚筋の方が幾ばくかマシでしょうか。」
「だろう?」
本当は無関係だと声を大にしたいところだが、それでは上手くいかぬ事も見えていたから、大己貴命は八嶋士奴美神の出鱈目に付き合う事にした。
やがて素戔嗚尊の辺りがビリビリと痺れるような気配が近づいてくるのに気が付き、平伏する。
「父上、連れて参りました。」
上座にお座りになったのだろう気配がする。
「面を上げよ。」
威嚇の意もあるのだろう、低く威厳のある声色に「なるほど、これは五十猛神でも逃げ帰る」と納得して面を上げる。
「八嶋士奴美神から聞いていたが、本当に良く似た気の男なのだな。」
八嶋士奴美神と口裏を合わせた「天乃冬衣神と刺国若比売の息子の一人、大己貴命にございます」と、人好きのする微笑みを称えて奏上する。
「刺国若比売が息子か――。」
素戔嗚尊に品定めをするような視線を向けられて居心地は良くなかったが、そこは堪えて笑みを浮かべたままにした。
何事も第一印象は大事であろう。
「そなたは、何故、根の堅洲国に参った?」
そして、虚実織り交ぜて、八十神に追われる中で八嶋士奴美神の加護を受けたこと、神皇産霊神に素戔嗚尊が治める根の堅洲国を勧められたこと、今は八嶋士奴美神と共に五十猛神の元に身を寄せている旨を伝える。
「此度は神皇産霊神によるご縁もございまして、こうして、参じた次第でございます。」
すると、素戔嗚尊はふっと笑みを漏らし、「そうか」と話す。どうやらここまでは納得してくれたらしい。
「なれば、我が加護も必要であれば授けるのは吝かならぬ事。しばらくこの邸に留まるが良い。」
素戔嗚尊の提案に、目配せすれば八嶋士奴美神は笑顔のままで固まっている。
どうやら想定外の事態らしい――。
「お主にちょうど良い部屋がある。しばらく留まる内に、機が合えば須勢理毘売命と合わせよう。」
「機が合えば・・・・・・にございますか?」
「ああ、お主の事をもう少し知る時間が欲しい。一週間後、再度検討させて欲しいが、それでも良いだろうか?」
大己貴命は素戔嗚尊の提案に考え込んだ。恐らくだが、ここで「否」と言えばこの話は無かったことになろう。それは八嶋士奴美神の面子を潰しかねない。
今、この場で判断すべき内容だ。
大己貴命は「はい、構いません」と極上の笑みを浮かべて応えた。
「お、大己貴命・・・・・・ッ?!」
驚きに満ちた声を上げる八嶋士奴美神の様子に、大己貴命はいよいよ腹が決まった。
「どこの馬としれぬ私めが、世に名高い須勢理毘売命の妻問いに参ったのです。お義父上が我が人となりを知りたいと思われるのは道理。お言葉に甘えて幾日かこちらにお邪魔致します。」
意を決して言えば、素戔嗚尊は「お義父上」と言われたのが勘に触ったのか、頬を引き攣らせて「ほう?」と愉しげに笑う。こうして二人の戦いの火蓋は静かに切られた。
「では、ゆるりと休むが良い。」
「ご厚情、痛み入ります。」
大己貴命はそうは言ったものの、素戔嗚尊が来た時とは違ってドスドスと足音を立てて去ったのを見送った後で満面の笑顔を消した。
「お、お前・・・・・・、なんて事を・・・・・・。」
頬を引き攣らせている八嶋士奴美神の横で、大己貴命は「はあ」と溜め息を吐き、それからまたにこりとした。
「言いましたでしょう? 諦めるつもりは無いと。」
八嶋士奴美神は婿舅問題に巻き込まれる我が身を憂いた。
◇
大己貴命が連れてこられたのは外の室屋で、案内した下人は明らかに目を泳がせていた。
「も、申し訳ございません・・・・・・。殿にはこのような所にはお連れ出来ないと言ったのですが、聞き入れて頂けず・・・・・・。」
「そう畏まらないでください。貴方のせいではありませんから。」
そうは言いつつも中は大甕が二つ、三つあるだけで、寝るにも難儀しそうな様子で、あからさまな罰ゲームの様相にため息が出る。
(野宿生活に慣れてない天津神がこんな所に入れられたなら、半狂乱で怒りかねないだろうに・・・・・・。)
八嶋士奴美神を通してですらこの有様だと、その紹介がなければ、五十猛神の言う通り半殺しの目にあっていたのかもしれない。厠くらいは行けるように、鍵は空けておいてくれたのと、自分の荷物は引き渡してくれた分、まだマシだと思う事にしよう。
(おっ、積み藁があった・・・・・・。)
僅かな光を頼りに探れば、寝床の材料になりそうな積み藁が幾ばくかあり、「これで何とか寝られそうだな」と大己貴命は思う。
(とはいえ、これだけで終わるとも思わないんだが・・・・・・。)
そう思ってしまうのは、何度も八十神とのすったもんだがあったせいだった。
案の定、時間つぶしに横になっていると、ほとほとと扉を叩く音がして「もうし、もうし」と声がしてくる。大己貴命は「何でしょう?」と答えた。
「素戔嗚尊にこちらに伺い、おもてなしするように仰せつかり参りました。」
その割に気配を殺した女の様子に「忍びか何かだな」と察しつつ、「二つ返事で招き入れねば、この場で殺されるんだろうな」と思ったが、素戔嗚尊の名前を出されると、無碍にもできず「どうぞ」と招き入れる。
「失礼致します。」
そこには色白の着飾った女が擦り寄ってくるから、大己貴命は内心でため息を付きながら笑顔でそれを制した。
「如何なされました――?」
女が問えば大己貴命は「すみませんね」と言って女の腕を掴み、半捻りにして引き倒す。
「何をする・・・・・・ッ?!」
「お静かになさい。」
そう言うと苦悶の表情を浮かべる女の手から小刀を抜き取る。
「何故・・・・・・ッ?!」
「結構、波瀾万丈に過ごしてるんですよね。」
大己貴命はそう答えながらも、手際よく先程物色した際に見つけた縄で、女が縄抜けが出来ないようにきつく縛り上げる。
「さて、貴女お一人だけなら、このまま朝まで待てばいいのですが、きっとお仲間もいらっしゃいますよね?」
全く動じた様子のない大己貴命に、女は狼狽しながら「お主の命運も今日までよ」と罵る。
「そうですか。では、貴女を見せしめにするのは大変心苦しいのですが、安眠確保のために役に立って頂きます。」
そう言って脅すと、女は「化け物め」と罵ってくる。
「あー、なるほど。では、依頼主には《何度殺しても、生き返ってくる化け物だ》とでも言われましたか?」
口を噤んだ女の様子に大己貴命は「沈黙は肯定ですよ」と言い、すっと笑みを引き眉間に皺を寄せて「時と場所は弁えろ、と伝えよ」と静かに耳打ちする。
室の中での出来事とはいえ、素戔嗚尊の邸の中だ。そこで自分に危害を加え、濡れ衣を素戔嗚尊に向けるのであれば、素戔嗚尊にも喧嘩を売る事になる。
「さて、どなたに喧嘩を売ったのか、彼らにも身をもって知っていただきましょうね。」
流麗に笑い、大己貴命は立ち上がると、女から奪った小刀を手に室の外へと出た。




