舞の風
大己貴命が室の外に出ると、「ご客人よ、いかがなさった?」と声を掛けられる。その厳つい顔は邸内でも見た顔だったから、大己貴命はにっこりと会釈する。
「もう逃げ出すおつもりなら、裏口を案内するが。」
「いいえ、少し用を足しに行くだけですよ。」
「厠か?」
しかし、大己貴命は首を横に振り、「賊を捕らえねばなりませぬ」と話す。
「賊・・・・・・?」
訝しがる男は大己貴命の振り返った室の中を覗き、地面に縛られて転がっている怪しい女の姿に眉を顰めた。
「邸内に潜り込んでいたのか?」
「ええ。しかも、まだ何匹か紛れ込んでいるようなのです。」
「それは穏やかならぬ話だな。だが、自作自演の可能性もある・・・・・・。」
「ええ、そうおっしゃると思いました。」
さっきと変わらずにっこりとしているのに、その気配はガラリとかわり、百年近く大百足の精として生きている妙白でもぞくりとして口を閉ざした。
「手出し無用にございます。貴殿は私の様子見をしにいらっしゃったのでしょう? どうぞそのままお続け下さいませ。」
口調は丁寧で物腰も柔らかな優男のようなのに、大己貴命からは底知れぬ気配がして、妙白は気圧された。
「お主、何者ぞ・・・・・・?」
妙白が訊ねても、大己貴命は「しがない国津神ですよ」とはぐらかす。そして、特に構える様子もなく林の方へと去っていくから、妙白はその後をついていった。
大己貴命が立ち止まったのは、木立に囲まれていながらも、少し開けた広場で、これでは狙ってくださいと言わんばかりに見える。
(なぜこのような場所に・・・・・・。)
すると、案の定、木立の上や間から複数の矢が一斉に放たれて、妙白は思わず「危ない」と叫びかけて、次の瞬間、その声を失った。
(なんだ、あれは・・・・・・ッ?!)
大己貴命の身体を守るように強い風がその足元から吹き上がり、矢はバラバラと手前で落ちてしまう。そして、何事も起きなかったように大己貴命はしゃがむと「ひ、ふ、み」と数を数えながら矢を拾った。
「同じ方向からの矢はありませんでしたから、一対五でしょうか。少々大人気ないのではありませんか? ああ、でも先程の方もいらっしゃいますから、一対六ですね。」
そして、「まだ他にもいらっしゃるんですか?」と怯える様子もなく訊ねる。
「今夜は先約があるのです。あまり時間を割きたくないのですが、出てきていただけませんか?」
しかし、返答はなく、代わりに丹塗の矢が飛んできた。
「その手は上手くいかないと先程ので分かりませんか?」
カシャンと落ちた矢の様子に溜息を吐きつつ、「今度はこちらから参りますね」と話す。
すると、再び足元から渦巻くように風が立ち上り、ざわりと木々の枝葉を揺らした。
そちらに気を取られていると、トンとその場で踏み切る音がして大己貴命の姿は掻き消え、直後に「うッ」という声と共に木立の上から人が落ちてくる。
(いつの間に・・・・・・。)
次は立て続けに二本の矢が同じところから違う方向へと飛び、同じく近くの木立の上にいたのだろう者達に当たり、次々と落ちてくる。
「ひ・・・・・・っ!!」
大己貴命のいるであろう木の近くから、残党の一人が逃げ出すと、枝のしなる音がし、続いて砂袋を落とした時のようなドサリという音がしたと思えば「ギャッ」という声がした。
ゆらりと立ち上がる大己貴命の姿に、ようやくそれらの音が、刺客の行く手を阻むように真上から現れて背中から刃を立てた音だと気がつく。
「ば・・・・・・、化け物――ッ!!」
すぐ側の木の影から最後の一人が、大己貴命が後ろを向いているのをいい事に闇雲に突っ込んでいく。しかし、大己貴命は落ち着いた様子でその場で踏み切ると、突っ込んできた男の肩に手をついて、軽業師みたいに反対側へ降りた。
男は仲間の死体につまづいて、もんどりを打って倒れる。そして、その首筋にいつの間にか矢じりを宛てがいながら、「最後に何か言い残すことはありますか?」と大己貴命が訊ねた。
「た、助けてくれ・・・・・・。」
喘ぐような声で命乞いが聞こえてくる。
「他人の命を狙っておいて、自らの命が狙われると助けてくれなどと、おかしなことをおっしゃるんですね? 今まで貴方はそう言ってきた標的を何人屠ってきたというのです?」
大己貴命が笑顔で言えば、男はずりずりと這うようにして逃げようとする。
「往生際の悪い方ですね――。」
そう言うと大己貴命は躊躇なく、矢を番えて賊の手足を射抜くと地面に磔にした。痛みに気絶したようで、男はぴくりとも動かなくなる。
「複数で襲われたのであまり手加減が出来ませんでしたが、これで自作自演ではないと信じていただけますでしょうか?」
あっという間の出来事に呆気に取られていた妙白は、「え」と声を出したが「まだ信じていただけませんか?」と静かに訊ねられる。妙白は思わず「信じる」と答えていた。
「片付けはこちらでいたそう・・・・・・。邸内に部屋を設えさせるゆえ、参られよ。着替えなども持ってこさせる。」
掠れた声でそう答えれば、大己貴命は「そこまでして頂くつもりはございません」と柔らかく話す。
「可能なら桶に湯を張ったものと、衣はぜひお借りしたいですが、素戔嗚尊のお許しなしに邸内までには参れませぬ。私が通されたのは、あの部屋ですから。」
「だ、だが・・・・・・。」
しかし、大己貴命は首を横に振って頑として聞き入れず、妙白も渋々それを受け入れた。
「それでは湯と着替えを用意させよう。」
「ありがとうございます。」
しかし、大己貴命はハッとした様子になると、徐ろに矢を番えて、妙白のすぐ後ろを射切る。途端にすぐ近くで「ギャッ」と叫ぶ声がして、誰かがドサリと倒れる気配に息を飲んだ。
「すみません、斥候を一人見逃していたようです。」
「あ、ああ・・・・・・。」
「なお、この事態、そちらのお膳立てかと疑ったのですが違いますよね?」
「ち、違う――。姫様の婿がねが腑抜けだと困るから、明日、御前試合でもとは思うていたが・・・・・・。その心配は無用のようだな。」
妙白は「殿は大変な奴を敵に回したのではないか」と思いながらも、地面に手を付き「虫どもよ、殿にこの事態を知らせよ。郎党の生き残りはお前らの巣穴に連れていき好きにするが良い」と伝える。
「彼らを百足の巣穴に連れていくのですか?」
「蛇の巣穴と蜂の巣穴もあるが、そちらは管轄が違うからな。」
「それは、同情を禁じ得ないですね。」
妙白は「小刀といい、弓矢といい、敵の得物を鮮やかな手並で奪い、暗殺者共を次の一瞬の内に仕留めるような、えげつない戦い方をしておいて何を言う」とも思ったが、こうして話しているうちに、目の前の優男のことを須勢理毘売の婿がねとして認めかけている自分がいることを妙白は感じた。
「今夜、お主の様子見をしている暇はなくなってしまったようだ。」
「これだけの人数が入り込んでいるとなれば、そうでしょうねえ。」
「ああ、それにツイていないことに、急な来訪者のせいで、あいにく今夜は西の対屋の警備を厚くせねばならぬ。」
「それで・・・・・・?」
「先程の腕を見込んで、我らの警備の準備が整うまでも構わぬので、姫君のいる東の対屋の方をお任せ出来ないだろうか?」
「余所者の私に頼るのですか?」
「ああ、姫様を危険に晒すわけにはゆかぬし、すぐに駆け付けられる人材もおらぬからな。お主ほどの技量があれば安心というものだ。」
叢雲が晴れ、月明かりに薄ぼんやりと互いの表情が見えるようになる。妙白からは室の前で会った時のような警戒の色はしてこなかった。
「何より俺は、どうしたことか、お主を気に入ってしまったようだ。」
「素戔嗚尊が第一の武神の妙白殿にそう仰っていただけるとは光栄ですね。」
「やはりこちらの素性は割れていたか。」
「素戔嗚尊の部下で大百足の精、かつ、お邸に上がることを許されているお立場と踏んだら、自ずと絞られますよ?」
大己貴命の指摘に妙白は「確かにそれもそうだ」と笑う。
「こちらもお主を風の神とお見受けして頼むが、姫様を連れ出してはくれまいか?」
「それはどういう意味です?」
「そのままの意だ。殿は姫様の事になると躍起でね。姫様の婿がねとして認められなければ俺を頼るがいい。無事に根の堅洲国から出られるように手筈を整えておこう。」
妙白の申し出に大己貴命が目を丸くして「私が姫を盗む片棒を担ぐというのですか?」と問えば、「最近の殿は姫様を囲いすぎるからな」と話す。
「まあ、母親を早くに亡くして、男手一つで育てられて、生半可な奴に任せられぬというのは激しく同意するが・・・・・・。」
「ですが、神大市比売の後ろ盾もございましょう?」
本来なら須勢理毘売は素性卑しい自分とは違って、どこに出しても恥ずかしくない姫だ。
「それなのに連れ出したりしたら、大目玉ではすまないのではないですか?」
「まあな。だが、これは継母である神大市比売のご意向でもあるのだ。誓約による仲とはいえ《そろそろ嫁の貰い手がなくなる》と継子の姫君の事を本気で心配しておられる。」
妙白は「我ら身内の者では救いたくとも、救い出してやる手立てがない」と独りごちながら、「着替えを取りに行こう、ついて参れ」と歩き出し、大己貴命はその後ろをついていく。
「着丈が合うかは気になるが、何なら部下の物を借りて参ろう。他に何かいるか?」
「そうですね、せっかく弓矢を拾いましたので、箙があると助かります。」
気が付けばちゃっかりと弓を担ぎ、手にいくつかの矢を手にしている大己貴命の様子に妙白は苦笑しながら「承知した」と返事する。
「ああ、そうだ。殿を説得したいなら、柳舟を訪ねるが良い。頭を使うことは奴が長けている。」
「それでは、今はツイていないことに急な来訪者が来ています。急にお訪ねしても、お忙しいの一言で返されてしまうのではないでしょうか?」
「ふむ、一理ある。だが、忙しいだろうが、顔合わせが出来ぬ程ではあるまい。夜になるかもしれぬが引っ張ってこよう。」
「ありがとうございます。明日か、遅くとも明後日にはご挨拶したいのですが、ご調整適いますでしょうか?」
「そうだな、鉄は熱い内に打つのがよかろう。」
宿直処の明かりに照らされて、随分と返り血を浴びていたのだと気付かされる。八嶋士奴美に借り受けた一張羅だったが、汚れを落とすのは厳しそうだ。大己貴命が「これでは言い訳も難しそうですね」と眉根を寄せて漏らすと、妙白が片眉を上げる。
「八嶋士奴美神にこっぴどく叱られそうです。」
「なんだ、それも借り受けた衣だったのか?」
妙白は「こちらのはそこまで派手に汚してくれるなよ」と喉を鳴らすようにして笑った。




