最強の猫先生は、猫である
冬の、よく晴れた日だった。
宮殿の広間は、天井が高い。
石が、冷たい。
暖炉は、遠い。
教会と同じだ。
何のための建物だ。
だが、窓が大きい。
高い窓から、日がまっすぐ落ちている。
落ちている先に、大きな椅子があった。
金色だ。
背が、天井まで届きそうだ。
玉座、というらしい。
座っている男は、偉いらしい。
知らん。
その脇の床に、日だまりがある。
四角い日だまりだ。
そこに、クッションが一つ置いてあった。
蔵の前の、俺のクッションだ。
祭壇に乗って、今度はここへ来たらしい。
よく旅をするクッションだ。
乗った。
沈んだ。
背中に、日が当たる。
これは、いい。
俺は、丸くなった。
偉そうな服の役人が、慌てて寄ってきた。
「聖獣様、そちらは陛下の御前で……どうか、こちらのお席へ」
役人が、クッションの端を持った。
日の当たらないほうへ、引こうとした。
俺は、動かなかった。
役人も、動かなくなった。
しばらくして、手を離した。
頭を下げて、下がっていった。
賢い。
この国の者は、だんだん賢くなる。
広間じゅうが、こちらを見た。
見るな。
玉座の男も、こちらを見た。
見るな。
玉座の男は、少しだけ笑ったらしい。
この国の偉い男は、みんな、笑うと眉が動かない。
*
式典が始まった。
隣の国と、約束を結ぶ式らしい。
紙が読み上げられる。
長い。
隣の国の使節が、前に出た。
夜会で、どちらが強いか、と聞いた男だ。
あのときの護衛も、後ろにいる。
剣は、鞘に入っている。
手は、柄に置いていない。
皇太子が、反対側から前に出た。
帝国の名代、というやつだ。
前より、服が軽そうだ。
二人が、同じ紙に名前を書いた。
ペンの音がした。
それだけだった。
ぶつからなかった。
どちらも、伸びなかった。
剣も、抜かれなかった。
あの夜より、ずっと静かだ。
静かなのは、いいことだ。
俺は、欠伸をした。
広間が、静まり返った。
何も、起きなかった。
ただの欠伸だ。
広間が、ほっと息をついた。
*
エレノアは、玉座の段の下に立っていた。
白い服だ。
聖女の服、というらしい。
髪に、青い花が一つだけついている。
背筋が、まっすぐだ。
辛いときではない。
今日は、ただ、まっすぐなだけだ。
段の脇に、あの男がいた。
外套を、腕にかけている。
今日は、まだかけていない。
広間の端に、コレットがいた。
両手を、胸の前で握っている。
リナは、エレノアの少し後ろにいた。
手帳を持っている。
さっき、何か書いていた。
「聖獣様、玉座の脇。……日だまり」
書くな。
陛下の前でも、書くな。
*
式典が終わった。
人が、ばらばらに動き始めた。
コレットが、日だまりの横にしゃがんだ。
手は出さない。
待っている。
俺は、少しだけ首を傾けた。
耳の後ろだ。
分かっている。
使節が、こちらへ歩いてきた。
日だまりの手前で、止まった。
俺を、見下ろした。
俺は、目を閉じていた。
「聖女殿」
使節は、エレノアに言った。
「我が国へ戻れば、皆に聞かれます。あの夜のことを」
「……ええ」
「盾のことも、毒のことも、聞かれるでしょう」
使節は、もう一度、俺を見た。
「結局、あの猫は何なのです」
広間の近くにいた者が、何人か振り向いた。
エレノアは、少しも迷わなかった。
「先生ですわ」
使節が、うなずいた。
うなずいたが、分かった顔ではなかった。
「クロちゃんです!」
横から、声がした。
コレットだった。
耳の後ろの手が、止まった。
止めるな。
「……コレット。声が大きいですわ」
「すみません!」
手が、また動き始めた。
それでいい。
使節は、エレノアとコレットを見比べた。
それから、リナを見た。
リナは、手帳を開いた。
ペンを持った。
少しだけ、待った。
何も書かずに、閉じた。
書かないのか。
……書かなくていい。
使節は、困ったように笑った。
「先生で、クロちゃんで、何も書かれない方、か」
そうだ。
だいたい、合っている。
……いや。
猫だ。
*
使節が、下がっていった。
人も、少しずつ減っていく。
日だまりは、まだ俺の上にある。
エレノアが、使節を見送っていた。
コレットと、何か話していた。
コレットが笑った。
エレノアも、少し笑った。
皇太子に頭を下げられて、普通に頭を下げ返していた。
知らない貴族に話しかけられて、普通に答えていた。
俺を、一度も見なかった。
見なくても、もう、こいつは大丈夫らしい。
……。
もう、俺が教えることもないな。
日が、少しだけ動いた。
背中が、少しだけ冷えた。
「先生!」
エレノアが、振り向いていた。
広間の真ん中で。
聖女の服のまま。
「今日の夕食は、お魚ですわ!」
広間に残っていた者が、みんな振り向いた。
エレノアは、気にしていなかった。
「使節様から、川の魚をいただきましたの。……もちろん、私を通して、ですわ」
俺を通せ。
……まだある。
俺は、クッションから降りた。
伸びをした。
前脚から。
後ろ脚から。
エレノアのほうへ、歩いた。
来たのではない。
魚だ。
段の脇で、あの男が外套を広げた。
エレノアの肩に、かけた。
何も言わなかった。
今日は、言わないらしい。
エレノアが、しゃがんだ。
俺を、抱き上げた。
外套の中は、暖かい。
広間の大きな扉が、開いた。
外は、冬の日だ。
*
後に帝国の歴史書には、
『聖女エレノアを導いた神獣』
と記された。
盾のことも、毒のことも、書かれている。
聖女が祈ったことになっている。
欠伸のことは、書かれていない。
歴史書には、魚のことは書かれていない。




