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ボロボロ勇者とカッコつけおじさん  作者: たくあん
勇者と門の向こうの王様

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第41話 私が頼む

 宿へ戻る道で、やどかりは何も聞かなかった。

 エリナも黙って歩いた。隣のテオが、道端の壊れた手押し車に目を向け、ミアが日陰へ寄って水を飲むよう勧めた。

 店先では、夕食の支度が始まっていた。窓から炒め物の匂いが流れ、母親に呼ばれた子供が、まだ遊びたいと足を止めている。


 エリナは、その声の方へ顔を向けた。

 帰って、それからも暮らしたい。テオの工房で話した気持ちは、今も変わっていなかった。けれど、今日の兵士にも、ここで続けたい暮らしがある。その人へ遠征に来てほしいと頼む言葉を、帰り道でも探していた。


「……帰ったら、何する?」


 突然尋ねたので、テオがこちらを見た。


「どこへですか」

「魔王を倒して、帰ったら」


 テオは少し考えた。


「工房を開けます。留守の間に壊れた物が、溜まっているでしょうから」

「働くんだ」

「それはそうでしょう」


 言ってから、テオは眉を寄せた。


「その前に、掃除ですね。誰がどこへ何を置いたか、分かりませんし」

「置き場所、すごく気にするもんね」

「必要な物が必要なときに出てこないのは困ります」


 いつもの返事だった。

 エリナは少し笑い、ミアを見た。


「私は、町へ顔を出したいです。引き継いでもらった患者さんたちが、どうしているか」


 ミアは、水筒の蓋を閉めた。


「それから、休みたいですね。朝、起こされるまで寝てみたいです」

「起こされるんだ」

「誰か、来ると思うので」


 二人で笑った。

 やどかりへ顔を向けると、男は先に口を開いた。


「俺は、うまい酒」

「それ、帰る前も飲むよね」

「帰ったあとも飲む」


 エリナは呆れて、少し笑った。

 工房を開け、患者の顔を見て、酒を飲む。そのどれもが、遠征に来れば失うかもしれないものだった。三人は、それを知って一緒に歩いてくれている。


 -----------------------------------------------------------------


 中庭へ寄ると、ベルタが翌日の仕入れについて相談していた。

 エリナたちを見るなり、食べていくのかと尋ねる。テオが人数を数え始めるより先に、やどかりが食うと答えた。


「じゃあ、そこの布を畳んでから座りな」


 誰も、勇者様にはさせられないとは言わなかった。

 エリナは椅子の上の布を取り、ミアと端を合わせた。隣では鍛冶屋が、昨日届けた金具の数を確かめている。ダンは荷車の縄を締め直し、運び先を聞いていた。


 顔を知っている人が増えていた。

 その中には、遠征へ来ない人もいた。


「ベルタさん、帰ってきたら、またお店ですか」


 エリナが聞くと、女は匙を持ったまま振り返った。


「そうだよ。留守を頼んだままにはできないからね」


 鍋へ視線を戻し、味を確かめる。


「戻ったら、最初の一日は客の方に座るつもりだけど。あいつが、私のいない間に何を覚えたか、食べてやらないと」


 その顔が楽しそうで、エリナは笑った。


「私は、お父さんの料理が食べたいです」


 言葉は、考えるより先に出た。


「うちのお父さん、話しながら作るから、ときどき焦がすんです。でも、おいしくて。私がつまみ食いすると、お母さんに見つかって」


 包丁を持つ父の背中が浮かんだ。

 窓際の席を拭く母が、こちらを見なくても、また食べたでしょうと言う。

 そのときは、どうして分かるのかと、いつも不思議だった。


「……また、怒られたいです」


 笑おうとして、声が少し揺れた。

 ベルタは、何も言わずに器を置いた。


「それから、店を手伝って。雨の日はお客さんが少ないから、明日の仕込みをして」


 エリナは、言葉を続けた。


「一日だけじゃなくて。その次の日も、そうしていたいです」


 エリナは、中庭の方を見た。天幕を畳む人と、金具を箱へしまう人がいた。工房で話したときには、まだ知らなかった顔だった。


「皆にも、そうしていてほしい。ミアが治した人にも、テオの町の人にも、ここの人にも。明日も、ちゃんと仕事へ行ってほしい」


 やどかりが杯を卓へ置いた。


「じゃあ、それをあいつにも話せばいいだろ」

「……そのあとで、来てほしいって頼むことになる」


 エリナは昼間の兵士を思い出した。家族と離れたくないと言った人だった。


「あの人も、帰る場所を守りたいんだよね。ここに残って守る方を選ぶかもしれない。それなのに、私の行きたい方へ来てって、頼むんだよ」


 断られても、その人を責めるつもりはなかった。それでも、お願いを聞いたあとで迷う顔を、自分の言葉で作ることになる。


 テオが匙を置いた。


「来てほしいのでしょう」

「来てほしい」

 エリナは顔を上げた。


「工房を出るかどうかは、僕が決めました。今日の人にも、その人の返事があります。でも、あなたが何を頼みたいのかは、あなたにしか話せません」


 昼間の兵士は、エリナの返事を待っていた。来られるとも、来られないとも決めずに、話を聞こうとしていた。


「……一緒に、戦ってほしい」


 言うと、怖かった。

 その言葉で、誰かが危険な場所へ来るかもしれない。

 けれど、何をしてほしいのか隠したまま、手を差し伸べてもらうこともできなかった。


「私たち四人では、届かないから」


 ミアが頷いた。


「そのお願いを聞いてから、皆さんが決められるようにしましょう」


 -----------------------------------------------------------------


 翌朝、エリナは国王へ面会を求めた。

 城で質問した兵士へ、返事をしたい。それだけでなく、町の人にも、自分がなぜ行こうとしているのかを話したいと伝えた。


「人を集めて、話すのか」


 国王が尋ねた。


「はい。聞きたい人に、来てもらえたら」


 国王は、少し考えた。


「その場で名を書かせることはせぬ。話を聞いて帰ったあと、考える時間を置く。それでよいな」

「はい」


 エリナは頷いた。

 国王は彼女を見たまま、続けた。


「お前の言葉を聞いても、来ぬ者はいる」

「分かっています」


 怖くないと言えば嘘だった。

 話し終えたあと、誰も何も言わずに帰ってしまうかもしれない。その光景を思い浮かべると、手が冷たくなった。


「でも、集まってくれた人たちには、私が何をしたいのか、まだちゃんと話していませんでした。どうやって行くかと、断っても大丈夫だってことばかりで」


 国王は、机の紙へ一度目をやった。


「私からは、遠征の条件と、国として引き受けることを話す。お前は、お前が頼むことを話せ」


 エリナは頭を下げた。

 部屋を出るとき、前に閉じられた門のことを思い出した。

 あのときは、聞いてもらうことさえできなかった。

 今は、その先で何を話すかを、自分が決めなければならなかった。


 -----------------------------------------------------------------


 その夜、エリナは宿の卓へ紙を広げた。

 『皆さんのお力を』と書き、しばらく見つめたあとで線を引いた。


「お城の人みたいですね」


 テオが横から言った。


「変かな」

「普段、言わないでしょう」


 エリナは鉛筆を置いた。

 立派に話そうとすると、どこかで聞いた言葉になる。そこには、自分の父が焦がした料理も、ミアの眠りたい朝も、テオの散らかった工房も入ってこなかった。


「……何から言えばいいんだろう」


 やどかりが、紙の端を指で叩いた。


「一番、言いたくねえことは、隠したまま頼むつもりか」


 言ってから、やどかりの指が紙の端で止まった。エリナが見上げると、男は口を結び、先に目を逸らした。


 エリナは少し考えた。

 怖いということは、もう話した。負けたことも、皆が知っている。

 それでも、まだ口にすると胸が痛むことがあった。


 エリナは紙へ顔を戻した。

 テオは覗き込まず、灯りを少し彼女の側へ寄せた。


 -----------------------------------------------------------------


 話をする場所には、中庭の外の広場が選ばれた。

 出入りする道を塞がないよう、机を端へ寄せる。聞きに来た者が遠征に参加すると受け取られないよう、名簿を置く机は出さなかった。


 人は、少しずつ集まった。

 城で質問した兵士がいた。少し離れたところに、レオンもいる。ベルタは仕事の合間に来たらしく、袖に粉がついていた。

 知らない顔も多かった。

 腕を組んだ者、離れた壁際に立つ者。こちらを見て何か囁く人がいて、エリナは一度だけ目を伏せた。


「少し、待ってもらいますか」


 隣でテオが尋ねた。

 エリナは、手の中の杯へ目を落とした。まだ水が少し残っていた。飲み干してから、顔を上げた。


「……ううん。大丈夫」


 一度、ゆっくり息を吸った。


「いってくる」


 テオは頷いた。

 ミアが、飲み終えた杯を受け取った。やどかりは先へ行かず、彼女が歩き出すのを待った。


 先に前へ出た国王は、遠征に必要な備えと、国が引き受けることを話した。問いが上がればその人を見て答え、まだ定まらぬことは指揮官に確かめさせた。後ろの人にも声が届くよう、途中で立つ位置を変えた。


「かつて私は、討伐への復帰が難しいと判断してエリナへの支援を止め、その後の暮らしを確かめぬまま、面会も断った。あの判断をしたのは私だ」


 国王の視線が、前に並ぶ兵士から、広場の端に立つ町の者へ移った。腕を組んだままの人も、黙って聞いていた。


「町の守りと暮らしを保ち、行く者の支度を整える。兵を出す以上、その備えは私の務めだ。戦えなくなって戻った者も、そこで責任を終わらせることはしない」


 国王は、踏み台の脇にいるエリナを見た。


「そのうえで、もう一度魔王へ挑みたいと願う者がいる。ここからは、この娘の話を聞いてほしい」


 やがて、エリナの名が呼ばれた。


 踏み台へ上がると、思っていたより人の顔がよく見えた。

 用意した紙を開いたが、指が震えて文字が揺れた。

 読み上げようとして、やめた。


 ベルタがいた。レオンがいた。

 食事を用意してくれた人も、まだ返事を待っている人も、こちらを見ていた。

 初めて見る人にも、帰る家があるのだろうと思った。


 エリナは紙を下ろした。

 格好よく始めるための言葉は、とうとう見つからなかった。

 だから、昨日、一番言いたくないと思ったことから話した。


「……私には、魔王を倒せませんでした」


 広場の話し声が止まった。

 エリナは顔を上げたまま、続けた。


「今も、一人では倒せません。仲間が三人できたけれど、四人では魔物の群れと戦い続けることも、できません」


 誰かが姿勢を変えた。

 エリナは、その人から目を逸らさなかった。


「それでも、私は、もう一度行きたいです」


 自分の声が、今度は足元へ落ちなかった。


「今日は、そのために――皆さんに、お願いをしに来ました」


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