持ち帰ったもの
レオナルトは、こちらへ飛んでくる鳥人兵を見ていた。
左手を伸ばそうとしたが、指がわずかに動いただけだった。右半身の感覚がなく、息を吸うたびに胸が痛んだ。
王城跡には、グレイテスト・トランクが残っている。
しかし、追撃はない。以前のような我が物顔ではなくなった。
竜王アウレリウスの姿はなかった。 レオナルトの掌には、まだ鱗を掴んでいた感触が残っている。
「陛下ッ!」
鳥人兵の手が、レオナルトの手首を掴んだ。
肩に激痛が走る。兵の身体が大きく沈んだが、すぐに別の兵が背を支え、さらに一人が脚を抱えた。
「力を抜いてください!」
レオナルトは、その腕に身を預けた。
何人もの翼が必死に動き、落下の勢いを弱めていく。その下で、ベアードが両腕を広げていた。
衝撃に、息が詰まった。
老将の膝が折れた。駆け寄った熊族の兵が、その背を支える。
誰も、王を地面へ落とさなかった。
「お帰りなさいませ、陛下ッ…!」
見上げると、ベアードが泣いていた。
戻ったと、伝えなければならなかった。
戻れなかった者がいることも。
だが、言葉が続かなかった。
「……苦労をかけたな」
やっとの思いでひねり出したその言葉、それだけ答え、レオナルトは意識を失った。
***
三日後、聖王都からNZMの旗が消えた。
グレイテスト・トランクは王城跡に残っている。
外殻を閉じたまま沈黙し、あれ以来ワンブリッジも姿を見せない。
連合軍は船の包囲を続けながら、街の救助に当たっていた。
人間と亜人の間には、まだ警戒があった。それでも、瓦礫を持ち上げるときには互いを呼び、負傷者へ差し出された水は受け取った。
ハチミツ亭のあった場所では、仮設の窯から煙が上がっていた。
メリナは焼けたパンを取り出し、並んでいる者たちへ渡していく。
聖王国の子供へ。
腕に包帯を巻いた、狼族の兵へ。
狼の兵は一口かじると、残りを布に包もうとした。
「もういいの?」
「子供に持って帰る」
メリナは、もう一つ差し出した。
「こっちは、あなたの分」
兵は後ろの列を見た。
「まだ、いるだろう」
「また焼くわ。あなたが倒れたら、子供のところまで届かないでしょう」
兵は少し迷ってから受け取った。
「……すまない」
「食べ終わったら、薪を運んで」
「ああ、わかった」
兵は窯の傍らへ移り、今度は包まずに食べた。
メリナは次の生地を窯へ入れた。
火の扱いを間違えると、父に叱られそうな気がした。
***
レオナルトが目を覚ましたのは、小さな治療院だった。
右腕は包帯に覆われ、胸には固定具が巻かれている。窓の外から、槌音が聞こえた。
「動かないで」
椅子に座っていたメリナが立ち上がり、水を口元へ運んだ。
「どれほど眠っていた?」
「丸三日ね」
「戦況は?」
「王都は取り戻したわ。でも、こちらも余力がないから、囲んでいるだけ」
「アンドリュー・ジャスティス・ガイツは?」
「あれ以来、影も形もないわ。倒したと考えるのが普通だけど、
まだ、ワンブリッジや高藤ストレンジネス、久保田ジュウシマツが残っている」
レオナルトは頷いた。
「私を受け止めた兵たちは?」
「みんな生きているわ。怪我をした人も、治療を受けているところよ」
ようやく、息を吐けた。
「……竜王国には?」
「使者を出したわ」
メリナの声が小さくなった。
「でも……何も持たせられなかった」
灰も、鱗も、骨もない。
あの砲口から、竜王は帰ってこなかった。
レオナルトは左手を見た。
掌に残っていた血も煤も、洗い落とされていた。
「……あなたは、帰ってきたのね」
「帰された…というのが正しいだろう」
小さく答えた。
「あいつにな」
メリナは頷き、寝台の傍らへ座った。
しばらく、槌音だけが聞こえていた。
「我らは、勝ったのか?」
レオナルトが尋ねた。
「分からない」
メリナは答えた。
「王都は取り戻した。でも、船は残っている。竜王も帰ってこない。勝ったから喜んでとは、言えないわ」
「……そうだな」
「あなたは、どう思うの?」
レオナルトは窓へ顔を向けた。
向かいの屋根で、人間の職人が板を押さえていた。下から熊族の兵が、次の板を差し上げている。
その下を、水桶を抱えた子供が通り過ぎた。
アウレリウスとともに助けようとした者たちが、そこで暮らし始めていた。
「勝ってはいない」
レオナルトは言った。
「だが、ここで終わりにもならなかった」
メリナも窓の外を見た。
職人が釘を打ち終え、次の板を受け取った。
「我らは持ち帰ったのだ」
レオナルトは、その手元を見つめた。
「次に勝つための世界をな」
メリナは彼へ向き直った。
「だったら、まず治してもらわないと。その身体では困るわ」
レオナルトは枕へ頭を預けた。
「……世話になる」
メリナが台の上の包みを開いた。中には、少し焼き色の濃いパンが入っていた。
「食べられそう?」
そのとき、窓の外で鐘が鳴った。
屋根の上の職人が手を休め、熊族の兵も顔を上げた。
レオナルトは空を見た。
二千一年目の空は、貴様が拓け。
どうすれば応えられるのか、まだ分からなかった。
だが、帰ってきた。
帰るために、何人もの手を借りた。
メリナが、ちぎったパンを差し出した。
レオナルトは左手を上げた。
今度は、自分で受け取ることができた。
窓の外で、鐘が鳴り続けていた。




