2月(1)首席と規格外
【Episode:イッセイ】
喜多川魔法学園の合格発表当日。
空は重く垂れ込め、予報通りの雪が舞い始めていた。
麓の町では電車も普通に動き、アスファルトも露出している。だが、僕は一つ、
致命的なことを計算に入れていなかった。
この学園が古のダンジョンの上に築かれた、特異な魔力領域であることを。
学校へと続く階段に一歩足を踏み入れた途端、風景が一変した。
「……正気か、この学校は」
吹き荒れるブリザード。
石段は分厚い氷の層に覆われ、一歩滑らせれば麓までノンストップで滑落しかねない絶壁と化していた。
山頂からは太い麻ロープが何本も垂れ下がっている。
合格発表の日、この凍った参道を登り切る根性のない者に魔法を学ぶ資格はない……そう学園側が、悪趣味な試練を与えているとしか思えなかった。
今朝、中学の友人が送ってきた
『ネットで確認すれば済む話じゃないか』というメッセージが脳裏をよぎる。
確かに、合否の確認だけなら暖かい部屋でボタンを押せばいい。
だが、僕には今日、何が何でもこの山頂へ辿り着かなければならない切実な理由があった。
魔法省の重職にある父の海外赴任は三月に迫っている。
入学願書、授業料の入金、親の直筆が必要な書類だらけだ。
「合格を確認しました。では後日、郵送で……」
などという悠長な真似は、わが家では通用しない。
今日この場で書類を直接受け取り、その足で父の執務室へ持ち込まなければ、僕がようやく手に入れた一人暮らしという名の「自由」は、低次元な事務手続きの遅れによって霧散してしまうのだ。
僕の中で、合格は確定事項だった。
そこに一ミリの不安もない。
「よし……っ」
手袋越しにロープを強く握り、氷の階段を一歩一歩、爪先を立てるようにして登る。
その時、前方から場違いなほど弾んだ声が響いた。
「おーい! イッセイ! 滑るなよー!」
見上げると、数段先でソウシが振り返り、あろうことか片手を離して大きく手を振っていた。
「……ソウシこそ、落ちるなよ。その高度から落ちれば、不合格以前に命がないぞ」
「ははっ、余裕、余裕! ほらっ……掴んで!」
差し出されたソウシの手は、極寒の中でも驚くほど熱かった。
その無遠慮な熱に引きずり上げられるようにして、僕たちはようやく階段を登り切った。
校舎付近に辿り着くと、先ほどまでの猛吹雪が嘘のように止んでいた。地面に積雪すらなく、乾いたタイルが冷たく光っている。
「マジで悪趣味だ……」
「あれが幻覚? 死ぬかと思ってビビったよな!」
ソウシはちっともそう思ってなさそうにケロリとしていたが、少し青ざめている僕に歩調を合わせてくれているようだった。
掲示板の前には、残酷なまでのコントラストが広がっていた。歓喜に沸く者、泣き崩れる者。
そして無言で吹雪の山道へと引き返していく者。
僕はソウシと自然に離れ、自分の番号『480』を探した。
だがランダムに並べられた数字に、焦りを感じる。
あまりの効率の悪さに視線が彷徨う。
「成績順に左端から載っているらしいぞ」
周囲の囁きを頼りに左端へ視線を移すと、その一番上、特等席のような場所に『480』を見つけた。
「……よし。これで間に合う」
冷え切っていた胸の奥に、小さな安堵が灯る。
僕はソウシの合否が気になりつつも、まずは己の義務を果たすべく、案内板に従って事務受付所へ向かった。
窓口には、眼鏡をかけた初老の教諭が座っていた。
「受験番号と名前を」
「480番、櫻川イッセイです」
その瞬間、教諭の手が止まった。
名簿に目を落とし、それから眼鏡を押し上げて、僕の顔をじっと検分するように見つめる。
「……ほう、君が櫻川くんか。筆記、実技ともに満点に近い。文句なしの首席だ」
教諭は、ずっしりと重い封筒を差し出しながら、わずかに口角を上げた。
「期待しているよ、1位。君のような『正解』を出せる生徒を、この学園は待っていた」
「……光栄です」
僕は事務的に頭を下げた。
期待されることには慣れている。
だが、この重い封筒こそが、父の署名をもらうための「権利」そのものだ。
封筒を抱えて掲示板に戻る。
だが、ソウシの姿が見当たらない。
番号を一つ一つ確認するが、見つからない。
自分でも驚くほどの焦燥に染まり始めた——その時だった。
「あった! 端っこ! 俺、受かった! イッセイ!」
背後からソウシが子供のように跳ねて飛びついてきた。
僕の番号からは遠く離れた、定員ギリギリの場所。
けれど、確かにそこには彼の未来が刻まれていた。
「……よかったな。ソウシ、すぐに事務受付に行け。書類を貰い損ねたら大変だぞ」
「おう! ついてきてくれよ、イッセイ!」
ソウシに腕を引かれ、再び窓口へ向かう。
「441番! 月読ソウシです!」
元気すぎる声に、先ほどの教諭が再び顔を上げた。
ソウシの名前を聞いた瞬間、その目が驚きに細められる。
「……月読? あぁ、あの試験官泣かせの……」
教諭は苦笑しながら、ソウシに封筒を差し出した。
「君の魔力計測値は、規格外だったよ。来年度の計測方法をどうするべきか、採点官たちが頭を抱えていたぞ」
「ふふっ、ありがとうございます。壊しちゃったから、請求書届くかもってビビってたけど、良かったー!」
「請求書はその中に入ってる」
「えーーっ!?」
「ハハハッ!! 冗談だよ。入学を待っているよ、月読くん」
「ありがとうございます」
ソウシが無邪気に笑うと、教諭は僕に視線を移した。
「首席の櫻川くんに、規格外の月読くんか。正反対の二人が一緒に来るとは、面白い年になりそうだ」
教諭の言葉に、胸がわずかに騒いだ。
自分は「正解」を求められ、彼は「規格外」を期待されている。
全く違う場所を目指しているはずの二人が今、同じ色の封筒を手にしている。
「……ソウシ。これ、書いておいて」
僕はかじかむ指先で手帳と鉛筆を取り出し、ぶっきらぼうに差し出した。
「入学手続きや、今後の連絡で必要になるかもしれない。連絡先と……住所。僕のもここに書いておく」
「おっ、いいの? ありがとな!」
ソウシは無邪気に笑いながら、サラサラと自分の居場所を書き込んだ。
僕はその筆跡をじっと見つめる。
何となくのイメージから、てっきり子供のような丸文字が並ぶものだと思っていた。
だが、返された紙を見て、僕は息を呑んだ。
そこに並んでいたのは、驚くほど美麗な文字だった。
一画一画に迷いがなく、それでいてしなやかな気品を湛えたその筆跡。
ソウシの持つエネルギーや愛らしい笑顔からは想像もつかない、研ぎ澄まされた文字がそこにはあった。
「……ソウシ、これ、君がいま書いたのか?」
「ん? ああ。婆ちゃんに『字が汚ねーと魔法陣も歪む』って叩き込まれたからさ。あれっ? 変かな?」
「いや……。綺麗だ、すごく」
僕はその筆跡をじっと見つめる。
また一つ、僕の知らない彼の断片を見つけてしまった。
父の署名が必要な、重い「公的な書類」を鞄に詰め込み。
ソウシが書いた、あまりに美しい「私的なメモ」をポケットに仕舞い込む。
それは、僕が人生で初めて、自らの意志で手に入れた「誰かの居場所」だった。
事務局での手続きを終え、二人で再びあの急勾配の階段へと向かった。
今は細かな粉雪が陽光に透けて舞っている。
幻影の魔法は、出ていく人間にはかからないのかもしれない。
「……イッセイは、春から寮に入るのか?」
ソウシが、手に入れたばかりの封筒を大事そうに抱えながら訊ねてきた。
「いや。……三月から、一人暮らしを始める。祖父母が遺した古い家があるんだ。父が海外へ赴任することになって、僕だけ日本に残る『権利』をもぎ取った」
僕は自嘲気味に笑った。
「父の管理下から逃げるための、僕なりの最短ルートだ。3月にはもう、この町にいるよ。ここまでひと駅だ」
「へぇ、一人暮らし! すげーな! 自由じゃん!」
ソウシは心底羨ましそうに、目を輝かせた。
「俺は……実家の神社から通うよ。山の中にある古い神社なんだけどさ、婆ちゃんと二人暮らしなんだ。……あ、婆ちゃん、結構有名な『巫女』でさ、修行にくる人もいてスゲーんだよ。字の事もだけど、メッチャ厳しくって、でも俺バカだから勉強は全然ダメでさぁ」
「……神社か。ソウシ、ご両親は……?」
ふと気になって問いかけると、ソウシは階段を下りる足を止めず、さらりと答えた。
「母ちゃんは、俺を産んですぐに死んだらしい。父ちゃんは……冒険者だったんだ」
ソウシの声が、少しだけ低くなる。
「十年前の震災の時……ダンジョンからあふれ出した魔獣の討伐依頼が出て、そのまま。でも、婆ちゃんはいつも言ってる。『お前の親父は、誰よりも勇敢に誰かを守って逝ったんだ』って」
ソウシは不意に立ち止まり、スッと上を見上げた。
何となく涙を堪えているような気がして、僕は短く言葉を繋ぐ。
「……そうか」
他に何も、言葉が出てこなかった。
太陽のように眩しい笑顔の裏に、そんなにも過酷な過去があったとは。
だけど、ソウシはすぐに振り返り、笑顔を見せた。
「だから俺も、父ちゃんみたいな冒険者になりたいんだ! 誰かを守れるように強くなりたい。喜多川は父ちゃんの母校だったから絶対に入りたかったんだ……」
「……そうか、お互い良かったな」
「なぁ……イッセイはやっぱり魔法省希望?」
「ああ、まぁな」
「やっぱり! だったらさ、俺が現場でバリバリ働いて、イッセイが後ろから支えてくれる。最高のコンビだと思わない?」
「……勝手な未来予想図を描くなよ」
僕はぶっきらぼうに答えたものの、胸の奥はソウシの描く未来の「熱」に焼かれたように熱くなっていた。
母を亡くし、父を誇りとして生きるソウシ。
父に縛られ、自らの手で未来を掴もうとする僕。
「三月……一人暮らしを始めたら、一度遊びに来いよ。……料理は、まだ勉強中だが」
「マジ!? 絶対行く! 婆ちゃんの手伝いとかしてるから俺の生活力半端ないぜ! 手料理食べさせてやるよ!」
ソウシが嬉しそうに駆け出していく。
僕は、ポケットに入ったあの美麗な文字のメモを、指先でなぞりながら追いかけた。
新生活への微かな不安も、今だけは消えていた。




