1月(3)自由な君
【Episode:イッセイ】
午後の実技試験は、山の傾斜を切り開いた広大な演習場で行われた。
試験内容は至極シンプルだ。
前方十メートルに設置された、あらゆる属性を吸収する特殊な標的に、各々の得意魔法を叩き込み、その出力と精度を競う。
周囲の受験生たちからは、緊張で上ずった声や、気合を入れるための短い呪文が絶え間なく聞こえてくる。
「……はぁっ! 『ウォーターボール』!」
一人の受験生が必死に杖を振り、細い水流がマトを叩いた。標的をわずかに濡らしはしたものの、施された術式によってすぐに元の静寂へと戻る。
試験官の声が淡々と響いた。
「精度は良いが、出力不足。……次、櫻川イッセイ」
僕の番が巡ってきた。
僕は父の秘書から与えられた、装飾の美しい杖を真っすぐに構えた。
余計な力みを入れず、呼吸の続きのように最短の構成式を脳内に展開する。
「……『ファイアボール』」
放たれた炎の塊は、空気に熱をまき散らしながら大砲のような音を立て、寸分違わずマトの中央を貫いた。
着弾の瞬間、マトの術式が過負荷で悲鳴を上げ、余波で周囲の温度が数度跳ね上がる。
陽炎が激しく揺らめいた。
試験官たちが感銘を受けた様子で、手元のボードへ「極めて優秀」を示す数値を書き込んでいくのが見えた。
「流石は櫻川……」
「次元が違うな」
周囲から漏れ聞こえる囁き。
父の期待、名家の重圧、そして僕が積み上げてきた緻密な努力。
そのすべてが、この「極めて優秀」という四文字に集約されている。
僕にとって、魔法とは完璧な「計算」の成果であり、存在の「証明」だった。
(よし。完璧。)
自分の正しさを再確認し、確かな手応えと共に列に戻ろうとした、その時だった。
「次、月読ソウシ!」
隣のレーンで名前を呼ばれた彼が、ふらりと前に出る。
驚いたことに、彼は魔法の狙いをあげる「杖」すら持っていなかった。
周囲からは露骨な失笑が漏れる。
「おい、杖なしで実技かよ」
「記念受験か? 舐めてるな」
そんな冷ややかなノイズを、ソウシは全く意に介していないようだった。
ただ、真面目な表情で右手をマトに向けた。
「……よし、本気でやる!」
その瞬間——大気が、物理的な圧力を持って震えた。
ソウシの手のひらに集まったのは、純白の輝き。
だがそれは、僕の知る「防御」や「癒やし」のための静かな光ではない。
「『グレイトライト』!」
ドォォォン!!
鼓膜を突き破るような轟音と共に放たれたのは、光の矢などという生温いものではなかった。
それは、夜を無理やり昼に変えるような、暴力的な大砲。
(……なっ!?)
魔力を吸収するはずの術式が飽和し、限界を迎えたマトがガラスのように粉々に砕け散った。
衝撃波で僕の髪が激しくなびく。
理論上、光を質量として固定するには、通常の魔法使いなら数分はかかる詠唱と巨大な魔石による補助が必要なはずだ。
それを、彼は「素手」で、呼吸をするようにやってのけた。
背後の防壁までが、黒く焼け焦げている。
演習場は、墓場のような静寂に包まれた。
さっきまでソウシを笑っていた受験生たちは、口を開けたまま硬直していた。
魔法理論の常識では、光属性は「守り」の力だ。
攻撃に転じれば光は拡散しやすく、著しく効率が落ちる。
……それが、僕が叩き込まれてきた「常識」だった。
だが、目の前の少年は、それを物理的に、跡形もなく粉砕してしまったのだ。
しかも、あのアクロバティックな『ライトアロー』の上位魔法『グレイトライト』を、この至近距離で。
「あちゃ、ちょっとやりすぎたかな?」
ソウシは頭をかきながら、屈託のない笑顔を浮かべた。
誰もが言葉を失う中、僕もまた、目を見開いたまま固まっていた。
僕の内側で、「常識」がガラガラと音を立てて崩れていく。
だけど不思議なことに、僕の胸を支配していたのは絶望ではなかった。
得体の知れない高揚感が、胸の中熱くせり上がってくる。
(……やっぱり、君は面白い)
理論、効率、血筋。
自分を縛り付けていたすべての退屈な言葉が、ソウシの放った光の中に溶けて消えていく。
ふらりと列に戻るソウシの後ろ姿は、信じられないほど無防備で、そして自由だった。
筆記試験で、あんなに飄々と鉛筆を転がしていた理由が、今ならわかる。
彼は最初から、僕の世界の「盤上」にはいなかったのだ。
(……あんな面白い存在を、ここで見失うわけにはいかない)
僕の中の冷徹な理性が「筆記は不合格だろうな」と計算を弾き出す一方で、僕の魂はかつてないほど激しく脈打っていた。
「どうか……月読ソウシも、合格しますように」
それは、神への祈りというより、運命に対する僕の初めての「我が儘」だった。




