1月(1)受験日の朝
【Episode:イッセイ】
喜多川魔法学園の試験日は、私立の進学校にしては遅めに設定されている。
僕の通う中学校からも受験者はそこそこ多かったが、僕は早々に「当日は別々に行こう」と周囲に釘を刺しておいた。
魔法省の高級官僚を父に持つ僕にとって、この受験は人生の「通過点」に過ぎない。お祭り気分で受験するクラスメイトたちとつるめば、高確率で教師から引率役を押し付けられるのがオチだ。
道中の点呼だとか、他人の自己責任では割り切れない不始末にまで神経を使うのは、まっぴら御免だった。
しかし、駅へ向かう僕の足取りは重い。
父によって鋼のごとく強固に敷かれた「未来へのレール」に、言いようのない閉塞感を感じていたからだ。
提示された選択肢は二つ。
一つは、魔法省への最短ルートである東大を目指すため、『全寮制で自由を排した、父の母校』。
もう一つは、同じく東大への進学率は高いが、『祖父の遺した家での一人暮らしが条件の、祖父の母校』。
家事など一切したことのない身としては、寮に入るのが合理的だとは頭で理解している。
だが、あの息の詰まる家庭よりもさらに窮屈な、場所(寮)へ行くことを想像するだけで、吐き気がした。
(……だが、本当に「自由」になれるのだろうか)
ふと、冷静な理性が自分を嗤う。
魔法の構成式を読み解くことはできても、僕は洗濯機の操作手順すら知らないのだ。
父の拘束から脱して自由を謳歌したいという「反抗心」と、一人になった瞬間、空腹で倒れるか家を泡だらけにするのではないかという「情けない不安」。
コートの襟を正しながらも、僕の頭の中は、そんな理想とあまりに低い生活能力の間で、ぐちゃぐちゃに掻き乱されていた。頭を振り、意を決して電車へと乗り込む。
車内は受験生や通勤客で混み合っていた。
動き出した電車のドアに半身を預け、流れる冬の景色を眺める。
その時だった。
ガタン!!
車体が大きく、不自然に跳ねた。
「うわっ!」
と、すぐ隣で短い叫び声が上がる。
同時に、鼻を突くポーション特有の苦いハーブの香りが、一気に車内へと充満した。
「ごめん! 大丈夫か? 呪詛の混じってないただの回復薬だけど……熱かっただろ!」
目の前のスーツの男が、血相を変えて謝っていた。
手に持っていたボトルの蓋が揺れで外れたらしい。
その中身が、隣に立つ他校の制服を着た少年に降りかかっている。
「大丈夫です。上着がちょっと濡れただけだから……」
少年はヘラリと笑って、濡れた裾を軽くはたいた。
「そう? ならよかった」と男が安堵し、何事もなかったように前を向こうとした瞬間。
僕の中で、ブチッ、と何かが切れる音がした。
「ちょっと。……全然よくないでしょう」
気づけば、僕はその男と少年の間に割って入っていた。
「これ、回復薬とはいえ高濃度の魔力が混じっていますよね? 魔法省のガイドラインでは、公共交通機関内でのポーションの露出は禁止されているはずだ。万が一、この子の魔力回路に干渉して、今日の試験に影響が出たらどう責任を取るつもりですか?」
一気に捲し立てる。
「えっ……あ、受験生だったのか! 本当に申し訳ない!」
スーツの男は、僕の放つ威圧感に気圧され、顔を青くした。
「いや、本当に大丈夫。駅に着いたら、水で洗えばなんとかなるよ」
当の少年は、僕の剣幕に目を丸くしながら宥めようとする。その態度が、僕にはさらに不可解だった。
「君も泣き寝入りなんてしなくていいんだよ。マナー以前の問題なんだから」
言葉を重ねるほどに、自分が興奮していくのが分かった。
不測の事態。事故。
それ以上に、加害者が笑って済ませようとするその「緩さ」が、僕には許せなかった。
「誠意を……」となおも詰め寄ろうとする僕の手を、少年が遮るように、そっと、けれど力強く掴んだ。
「……心配してくれて、ありがとう。でも、君が怒ってくれたおかげで、何か緊張が取れた! マジで上着だけだし平気。おじさんも気にしないで!」
少年が僕を見上げた。そこで初めて、僕はその顔をまじまじと見た。
驚くほど整った、柔和な顔立ち。
けれど、その瞳には力強い光が宿っており、掴まれた僕の手首は、ただの学生とは思えないほど確かだった。
ドクン……。
僕の心臓が、妙に大きな音を立てた。
「あっ、着いた!」
電車がホームに滑り込む。
「受験、頑張って!」と背後から男が必死に声をかけてきた。少年は振り返り、片手を高く上げて「うん!」と満面の笑みを返した。
ホームに降りても、僕はどうにも納得がいかない。
「……なぁ、あのおっさんに腹が立たないのか? 法的にも、道義的にも、君は謝罪と賠償を要求できたんだぞ」
すると少年は、困ったように眉を下げて笑った。
「あの人、揺れた瞬間、とっさに反対の手で僕を庇おうとしてくれたんだ。自分のカバン、ベタベタになってたし。……それに」
少年は声を潜めて、いたずらっぽく笑った。
「ちょっと間に合わなかったけど、とっさに結界を張ったから、ほんの少ししか掛かってないんだよ。だから、本当に平気」
「結界って……それに無詠唱?」
僕は絶句した。
結界を張れるのは、極めて稀な光属性の保有者だけだ。
しかも、あの瞬間に無詠唱? 構成式の展開すら見えなかった。……ありえない、この年齢で?
「俺、ちょっとトイレで水洗いしてくる! またね!」
少年は軽く手を振ると、驚異的な身のこなしで人混みをすり抜け、駅の洗面所へと駆けて行った。
その場に一人取り残された僕は、自分の熱くなった頬を自覚し、愕然とする。僕の知る常識では説明できない余裕と身体能力。
「……光属性、か」
(なんか僕、あの子に比べて、随分と頭の固い、子どもっぽい振る舞いだったかも……)
自分自身の器の小ささに、どうしようもなく気恥ずかしくなった。
男の子の後ろ姿が人混みに消えていくのを、僕はしばらくの間、呆然と見送っていた。
初対面の相手を駅のトイレの前で待っているのもおかしな話だと、自分に言い聞かせるようにして背を向ける。
だが、胸の奥に残ったあの「光」の残像が、どうしても拭えなかった。
改札を抜けると、冷たい冬の空気が頬を刺す。
駅の出入口から私立喜多川魔法学園へと続く道は、なだらかな坂などではない。
魔道車が行き交う道路を渡ったすぐ先。
そびえ立つ崖のような山に、階段を彫り出したような険しい登山道が延々と上へと伸びていた。
(マジで、時代遅れ……)
遥か上まで続く受験生のアリの行列………ため息が出てしまう。
この山全体には、戦国時代から続く強力な「古式魔力結界」が張り巡らされている。
最新のリニア階段や浮遊魔法といった近代的な設備は、一切の設置が禁じられていた。
視界に入る受験生は、例外なく男子ばかり。
英才教育を受け、冷暖房完備の室内でペンを握る生活を送ってきた僕にとって、この「肉体労働」は拷問に等しかった。
「……くそっ、この階段……。……正直、キツすぎる……」
乱れる呼吸を抑えようと、吐き捨てるように呟いた時だった。
「全くだ……試験の前に……心臓が止まりそうだ……よな……」
すぐ隣を歩いていた小柄な少年が、僕を見て親しみを込めて笑った。
艶のある黒髪、優しげな目元。
「君、白系の制服……特進だろ?」
「……いや、まあ、一応。僕は、イッセイだ」
僕が答えると、彼は「僕はトウワ。工学科志望……」と短く自己紹介をした。
「この学校、頭脳と同じくらい根性を求めてくるから困るよ。工学科の連中は、これに機材を背負って登らされることもあるらしいし」
トウワの零した愚痴に、僕は思わず口角を緩めた。
魔法省のパーティで出会うようなエリート候補生たちとは違う、等身大の言葉。
奇妙な連帯感に背中を押されるようにして、僕たちはようやく山頂の巨大な校舎へとたどり着いた。
受付で渡された座席表を確認し、トウワが小さく笑って紙を指差した。
「見てよ、ほらっ!」
本校が誇る円形大講堂――通称「アリーナ」の座席表。
僕の席は、一番下の中央から数えて四列目。
そしてトウワは三列目。
ちょうど斜め前の席だった。
「偶然ってあるもんだな」
「本当にね」
二人で並んでアリーナへ向かう。
内部はすでに数百人の受験生が発する緊張感で満ちていた。
僕と同じ中学の同級生たちも、遅れて到着して僕の周囲を陣取り始めた。
「おいイッセイ、俺すげー緊張してきたぜ……」
「マジで人多すぎだろ。これ、魔力酔いしそうだな……」
中学のノリで騒ぐ彼らに、僕は「ああ、そうだな」と適当に相槌を打つ。
内心では、そのテンションの高さに呆れ、早く試験が始まって静かにならないかと願っていた。
その時だった。
「ソウシーー! 迷子になったのかと思ったぜ、お前!」
ひときわ野太い声が講堂の入り口に響き、僕は反射的に振り返った。
そこにいたのは、今朝、電車でポーションを浴びたあの少年だった。
体格の良い仲間たちに囲まれ、彼は照れくさそうに笑っている。
(ソウシ……。あいつ、ソウシっていうのか……)
胸の奥が、再び妙にざわついた。
ソウシは仲間たちと笑い合いながら、自分の席へと歩いてくる。
そして。
彼は僕の前の席――トウワのすぐ隣の席に、パサリ……と荷物を置いた。
(……は?)
僕から見れば、前列の左側にトウワ。
前列の右側にソウシ。
千人以上が受ける入試で、今朝出会ったばかりの二人が、僕の半径一メートル以内に座っている。
偶然という言葉では到底片付けられない、
「運命」を、僕は感じた。
【毎週土曜日 更新予定]




