1-1:目の前に推し、自分も推し(困惑)
今朝私の身に起きたことを端的に話すね。起きたら、目の前に推しの顔面があった。もちろん私の口からは声が漏れたってわけ。
「フヒィッ!? プフォッ、フゥーゥ……」
抗えなかったよね。朝イチでビジュ大優勝だもん。目の前でさらりと揺れる銀白色の髪。切り揃えられた前髪が僅かにかかる、吸い込まれそうな深い銀色の瞳に、長い睫毛が影を落としてる。肩に届くか届かないかの長さで揺れる毛先の、その内側だけが、ほんのり薄紫色に染まっている。それは、この男が主と契約を交わした、紛れもない証。
間違いない。この人は最強の魔王に仕える完璧な従者「モル」、私の推しだ。
待ってこの、この髪の内側だけ主の色に染まってるやつ、生で見ると破壊力エグすぎる。にやけが止まらん。今、私、推しの目の前でオタク特有の気持ち悪いニチャアって笑いが止められてない。
でもこんなの抗えないって。だって今、手を伸ばせば届きそうな距離に、陶器みたいに滑らかで、ともすれば不健康に見えるぐらい青白く、透き通るようなモルの肌が。それを極力曝さないようにか、首元まできちんと詰められた襟が。その奥で喉が震え、薄い唇からCV:美月麗人の中性的な美声が、零れる。
「いかがなさいました、我が君?」
お父さんお母さん、私をこの世に生成してくれてありがとう。娘は今、この世の全てを手に入れました――いや待って、天に召されてる場合じゃない。
今、この人、「我が君」って言いました?
それだけじゃない。さっき私の口から漏れた溜息。あの声、私の声じゃなかった。
成人男性。大学二年生であり生粋の女オタクである私とは似ても似つかない、でもめちゃくちゃ聞き覚えのある声。私が発したキモいオタクの溜息もどきも何故か色っぽい吐息に聞こえる、魔性の美声。
チャラさと色気の裏に“何かありそう”な深みを感じさせる、そう、あれは間違いなく超人気声優大野坂絵夢也の――私のもう一人の推し、最強の魔王「セブリオン・マテリア」の声だ。
ここで私は全てを察したってわけ。私の目の前にいる美しい男は「モル」。そして私はモルにとっての我が君……すなわち、仕えるべき唯一の主「セブリオン・マテリア」。
改めて、私の身に起きたことを端的に話すね。起きたら、推し主従「セブモル」の片割れ「セブ」に転生してた。
「待って。待って待ってちょっと待って」
これはオタクが供給過多に動揺したときの典型的な鳴き声。それが私の口からCV:大野坂絵夢也の美声で発せられている。つらい。推しの声でこんな台詞聞きとうなかった。ほら、目の前のモルが困った顔してるよ。
「やはりお疲れのようで……私は席を外しますので、ご遠慮なくお休みください」
あああ気を遣わせてしまった……! 推しの気遣いが心に痛すぎる。ごめんモルたん。
モルたんが去って一人部屋に残された私は、ベッドから起き上がり、姿見の前に立った。部屋着なのかいつもの衣装よりシンプルめではあるものの、王族らしい高級感が漂っている黒の上下。腰まで届く金色の髪は緩く編まれ、深くこちらを射抜くような紫水晶色の瞳は、魔王の一族に宿る闇属性の強大な魔力の色を現している。うん。予想通り。セブだ。一応確認のため、自分の顔を思いっきり殴ったりつねったり、壁に頭を打ち付けてみたりする。普通に痛い。けど、目は覚めない。
「やっちまったぁ~」
思わず頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。落ち着いている場合じゃないんだけど、まずは落ち着かないといけない。
転生したのだ。人生で一番好きなファンタジーRPG『暁光の巫女と慈雨の巫女』の中に。昨晩、発売二周年記念に開催されるオンリーイベントの前夜、寝不足状態のまま限界テンションで徹夜プレイしていたあのゲームの世界に。
転生してしまったのだ。よりにもよって、最愛の推し主従の片割れ、魔王セブリオン・マテリアに。なんで、なんで、
「なんで壁じゃないの~!?」
あり得ない。私がセブになったら誰がセブモルの行く末を見守るっていうんですか。モルたんが「我が君」って呼ぶ対象はセブであって私じゃないんですが。解釈違いすぎる。私はただ推し主従の病めるときも健やかなるときも目に焼き付け続ける壁になりたいだけなのに。
しばらく地団太を踏んで呻きながら床を転げまわった私は、やがて落ち着きを取り戻し立ち上がった。
嘆いていても仕方ない。冷静に、今出来ることを考えよう。
まず何よりセブの魂の行方が心配だけど、さっきモルが私に気づいてなかったってことは、きっとセブの魂はまだこの体の中に残ってるはず。だってモルたんはセブと魂で繋がっているからね☆
もちろんこれは決してオタクの妄想ではなく、公式がはっきりとそう言っているので皆さん安心してください。
ソースは昨年のクリスマスアップデートで解放された「追加ルート」の中にある、セブとモルたんの出会い回想サブイベント。そこでなんと二人は「魂で繋がっている」ことが明示されたんですよ……!
ああ……あれ本当尊かったな……。発動させるとあのルートに突入しちゃうから二度とやりたくないんだけど、もう一回見たいな……。
ほら、目を閉じれば、出会いムービーが今も瞼の裏にぼんやりと浮かんでくる気がする。
先代の王である父を亡くし、まだ幼い身で無理矢理王の座に据えられたセブ。彼の孤独を癒したのは、ある日部屋に迷い込んできた銀色の蝶……えっ待って、本当に浮かんできた。しかも鮮明に。待って待って何かおかしい。
……これ、セブの記憶だ。そうか、考えてみれば当たり前のことだ。回想ってことは過去に実際あったこと。つまり、セブにとってあのイベントは実際に経験した思い出なんだ。
え待って何それ尊すぎない? 私たちオタクが第三者視点で尊い~ってなってたあんなイベントやこんなイベントも、セブにとっては忘れられない思い出ってことですか……尊……。
うわっ、このムービー、当たり前だけどセブ視点だ! ああ~~~~セブの魔力で人の姿を与えられたモルたんが、初めて、こ、こっちを向いてセブに話しかけてるッ!? 顔面良! 良すぎて死んじゃう! 致死量の美~ッ!!
……やめよう。こういうの、良くない。人の思い出に土足で踏み入るなんて、倫理が無さすぎる。見たいけど。いくらなんでもさすがに良くない。見たいけど。
とにかく、一刻も早くセブにこの体を返さないと。いくら今セブの魂が無事だとしても、この先ずっと無事な保証なんてない。
ほらオタクが大好きなあの歌も「ひとつ分の陽だまりにふたつはちょっと……」って言ってるし。セブに体を返して私は壁になる。私はこれを第一の目標にすると決めた。
そしてもう一つ、私には絶対にやらなきゃならないことがある。その前に、今が「いつ」なのか確認しないと。
「モル」
私はいかにもセブが言いそうな感じでモルを呼びつけた。
「いかがされましたか、我が君」
秒で駆け付けるモルたん、天使。ヒビの入った壁と頭から出血している主に動揺してて可愛いね。
「どうも頭がぼんやりしてやがる。今何年何月だ?」
こういうのは得意だ。SNSでセブの「なりきり」アカウントを運営していたころの腕が鳴る。
「異暦611年6月です、我が君」
いちいち我が君って付けてくれるモルたん可愛い。モルたんの愛くるしさを噛み締めつつ、魔王らしからぬにやけ顔を出さないよう細心の注意を払いながら、モルたんに下がれと指示する。
再び一人になった私は猛烈な勢いで前世の記憶を遡った。
異暦611年。暁光の巫女が顕現する年だ。
現代日本から転生した、救世の力を持つ少女。このゲームの本来の主人公、それが暁光の巫女だ。
このゲーム『暁光の巫女と慈雨の巫女』は611年4月~614年3月までを描く、乙女ゲーム要素ありのファンタジーRPGだ。プレイヤーである暁光の巫女は、四人の王子と絆を深めて世界の危機を救う。
6月ってことは、既にゲーム本編軸に突入しちゃってる。つまり、暁光の巫女がもうこの世界に来てるはず。
ヤバい。思ったより時間が無い。暁光の巫女がシナリオを進めるより先に動かないといけないのに。
私が絶対にやらなきゃならないこと。それは暁光の巫女より先にこの世界の危機を救うことだ。理由はただ一つ。そうしないと、セブモルが死ぬ。
そう、私の愛する最推し主従セブモルは、主人公である暁光の巫女と四王子と敵対し、最後には討伐される、悪の魔王とその従者なのだ。
……いや悪って今私言っちゃったけどさ? 私的にはあんなのどうしようもないと思うんだよね。イベント掘れば掘るほどこの世界、セブモルに過酷すぎるんだよ……。
「だよなー、俺っちもそう思うぜ」
ですよね!? わかってくれますか公式の理不尽さ!
「わりー、こーしきってのはわかんねーけど、セブリオンのヤローいっつも苦労してやがるからな」
…………ちょっと待って。この声、誰?
「こっちこっち」
声のする方を見回してみると、部屋の片隅に配置された豪奢な四つ足のチェスト。その上に、一見魔王の部屋には似つかわしくないような、可愛らしいぬいぐるみが置かれていた。見た目は何というか……タヌキとモモンガを足して二で割ったような……。
「アンタの独り言があまりにもでけーからさ、相づち入れた方がいいかなって、気ー遣ったわけよ」
セブってこういうの置くタイプなんだなぁ、てか原作にこんなキャラいなかったよな、などなど呑気に考えていた私の脳はこのタヌキモモンガの聞き捨てならない台詞にガツンと殴られた。
「独り言」? もしかして、今のあれやこれやが、私の口から外に出ちゃってたってことですか? それでこの、得体の知れないタヌキモモンガに余すところなく聞かれちゃったってことですか……!?
「アンタ、セブリオンじゃねーだろ?」
お父さんお母さん、娘は今、いきなり大ピンチかもしれません――。
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