矢と石の夜
緊張が空気を縛っていた。呼吸するたびに、その結び目が強くなるようだった。
エルフの少女は荷車の上に立っていた。燃え尽きかけた松明の明かりに照らされ、彼女の姿ははっきりとは見えなかったが、そこには高潔さと怒りが混ざった気配が漂っていた。翡翠のようなその目は、冷たい炎のように敵を睨んでいた。
一言も発さずに、彼女は弓の弦を放った。
ビシュンッ!
風の矢は耳を裂くような音を立て、夜の闇を裂いた。裏切り者の商人の眉間を貫いた。
彼は一言も発せずに後ろへと崩れ落ちた。死の瞬間すら気づかなかったのだろう。顔はまだ、あの偽善の笑みを浮かべたままだった。
少女は次の矢を番えることすら迷わなかった。
「ちっ、あの馬鹿が…! おい、あのエルフを捕まえろ! 壊してやる!」
野盗の頭目が舌打ちし、咆哮した。
その声に、欲望に満ちた野盗たちは武器を手に荷車へと乗り込んできた。
そのうちの一人が俺に気づいた。
「おい、小僧、可愛い顔しやがって…」
「やあ、知らなかったのか? 今、石は顔に貼るのが流行ってるんだぜ」
俺はにやりと笑った。
彼らが錆びた剣を振り上げる前に、イレーネを「永遠なる愛情の毛布」で包み込んだ。スーパーレアなアイテムに身を任せ、俺は左手を掲げた。
「ユニークスキル:裁縫」
事前に用意していた石を〈トレンドインベントリ〉から取り出し、標的にしたのは──野盗たちの顔。
石はまるで魔法のように飛び出した。
バキィン! ガンッ! ゴスッ!
衝撃音とともに、石は敵の顔面に張り付き、彼らを地面に叩きつけた。
「うぎゃあ! 歯がぁ!」 「顔がぁっ! 剥がれるうう!」 「誰かあああああ!!」
助けに来た仲間が石を引き剥がそうとしたその瞬間──
彼らの皮膚が、石とともにベリリ…と剥がれていった。
エルフの少女は風のように軽やかに動き、矢を放ち続けた。その姿はまるで風に導かれし狩人だった。
「…シルフよ」
彼女の囁きとともに、風の精霊がその矢に宿る。
風を切る音は鋭く、夜を貫く雷鳴のようだった。
野盗たちは次々に倒れていく。
最後に残ったのは頭目だけだった。
「クソが…奴らめ、売り飛ばしてやろうと思ったのによォ!」
奴は剣を抜き、構えた。
「飛翔斬ッ!!」
彼の一閃と同時に、剣から風圧の刃が生まれた。魔法ではない、技の極致。
エルフはそれを優雅にかわし、再び弓を引いた。
「…シルフ」
今度の矢は緑の光を帯びていた。
だが、ここで俺も行動した。
石を二つ取り出し、再び「裁縫」。
石は風を切って飛び、頭目の頬を狙った。
一つ目は彼の剣で弾かれたが──
二つ目は、彼の顔面に深々と突き刺さった。
「うぐぅっ!」
その瞬間、エルフの矢が放たれた。
心臓を貫いたそれは、彼の命を一瞬で絶った。
「はは…俺の最期…かよ…」
そう言い残し、血溜まりの中に崩れ落ちた。
残されたのは、顔に石が貼りついたままの野盗たちだけだった。
エルフは俺を睨みながら、弓を構えたままだ。
「…なぜ、生かす?」
そう問いかけるような眼差し。
だが、俺は黙ってイレーネを抱き寄せた。
「小さなイレーネ、まだ出ちゃだめだよ。外はまだ怖い世界だ」
彼女は、毛布の中で小さくむにゃむにゃと鳴いた。
すべてが終わった。
エルフは顔を隠し、再び沈黙に戻った。
商人たちは恐怖に凍りつき、ひとり、またひとりと気を失っていく。
冒険者たちは何も言わず、ただ荷車に戻った。
御者は、何事もなかったように手綱を握り直した。
俺はため息をついた。
「…あれ? 首でも切って持っていけば報酬出たかもな」
でも、まぁいいや。
めんどくさい。
旅は、モンタウヴァンへと続く。
イレーネは毛布の中で大きなあくびをして、俺の胸に顔をうずめた。
その顔を見ているだけで、俺の心は温かくなった。
…まだ、この世界も捨てたもんじゃない。




