二つの月の下で
車輪のガタガタという音が一定のリズムで続き、まるで子守唄のようだった。
イレーネの体が自分に寄りかかっているのを感じる。彼女の穏やかな呼吸、その温もりは、安心感を与えてくれた。指先で彼女の髪を優しく撫でながら、俺の思考は馬車の揺れに合わせて漂っていた。
今日は何事もなく過ぎた。商人たちの声も消え、冒険者たちは腕を組んで眠るか、木枠に頭をもたせかけて目を閉じていた。御者は、まるで彫像のような忍耐力で馬車を走らせ続けていた。
すでに帝国の支配区域を離れて数時間が経っていた。あの荘厳な城壁や防衛の環状線は、今や遠い記憶。代わりに、周囲は開けた野原が広がっていた。なだらかな丘、点在する木々、風にそよぐ草原。まるで世界が深く呼吸しているかのように、穏やかだった。
日が暮れ始め、空気が冷え込んできた。
思わず身震いし、そっと「編み込みインベントリ」を開いた。街で買った布の感触を確かめながら、俺はいつものようにユニークスキルを発動した。
すると、布が勝手に編まれていくように、毛布が完成した。
【永遠の愛情の毛布】
レアリティ:超レア
熟練の職人の手によって生まれたこの毛布は、睡眠の質を高め、寒さや暑さから守り、切り傷や衝撃にも耐性を与え、包まれた者に深い安らぎを与える。
…目を疑った。
何度も読み返した。冗談かと思った。毛布一つで超レアだなんて…。
(スキルのレベルが上がってるのか? それとも俺の常識が壊れてるのか…いや、あの女神がまた何かしてるのか?)
結局考えるのをやめて、イレーネをそっと毛布で包み、自分の胸元へと引き寄せた。布にくるまれた彼女は小さく息を吐いて、まるで世界一心地よい場所を見つけたかのように身を委ねてきた。
無意識に微笑んでしまった。
そして空を見上げた。
そこには、一つの月…ではなかった。
二つの月が、夜空に浮かんでいた。
ひとつは青く、俺の元いた世界の月に似ていた。もうひとつは、熟れた果実のような柔らかなオレンジ色で、どこか懐かしさを感じさせる光を放っていた。
(ここが…俺の生きる世界か。)
そのとき、何かを感じた。
敵意ではない。ただ…不快な感覚。鋭い視線。
周囲をそっと見回す。皆、眠っているか目を閉じている。…一人を除いて。
馬車の向こうの角に、黒いフードを被った人物が背筋を伸ばして座っていた。
その顔は影に隠れていたが、一瞬、緑の宝石のような目がこちらを見つめているのが見えた。
その視線は、ただの観察ではなかった。まるで、俺の中身まで見通そうとするかのようだった。
(気のせいか…?)
彼女が目を閉じると同時に、俺は視線を外した。
再び眠ろうとしたが、体が拒否していた。この数日間に味わった感情──戦い、死、あの奇妙な女神の訪問──すべてが、まだ胸の中で渦巻いていた。
その時、イレーネが小さく寝言をつぶやき、胸元に顔をすり寄せてきた。
…それだけで十分だった。
守るべきものがここにある。
やがて御者が馬車を止め、簡易テントを張り始めた。他の乗客たちもそれぞれの寝床を用意していたが、俺は動かなかった。
毛布とイレーネがいれば、他に何もいらない。
木々のざわめきと遠くの鳥の鳴き声を聞きながら、再び目を閉じた。
視線を感じながらも、それに背を向けて。
この旅路の先に何が待っているのかはわからないが…
今夜だけは、静かに眠れそうだった。




