モンタヴァンへの旅路、鋼の国へ
空は広く、雲ひとつない青空が頭上に広がっていた。
イレーネを胸に抱きながら、ぼんやりとその空を見上げる。あの子の笑顔が、まだ脳裏に焼き付いていた。
(…俺たちは、生き残った。だけど、これからどうする?)
俺の手には、もう武器がなかった。あの折れた針は失われたままだ。
体にはまだ戦いの疲労が残っているが、心はもう次の一歩を考えていた。
編み込みインベントリには、訳も分からず色々な物を詰め込んでいた。ミスリルの欠片、ゴブリンの死体、石、枝、野生の果実、見慣れない根っこ。
本当に必要かなんて分からない。けれど――ゲームの癖だ。持てるなら持つ。それだけだ。
イレーネの髪を撫でて、そっと前髪をよけ、その瞳を覗き込んだ。
「この街は、もう俺たちには狭すぎる。世界を旅しよう。限界を見てみたい。いろんな人に出会って、…そして、誰かが俺たちを見守ってくれてる気がするんだ。一緒に、世界を見に行かないか?」
イレーネは不思議そうに首をかしげたが、それがもう答えだった。
彼女は何も言わずに俺の胸に頬を寄せた。
抱きしめ返して、立ち上がる。
次の目的地は――モンタヴァン。
馬車の乗り場は思った以上ににぎわっていた。何軒かの業者に声をかけた末、老人に教えてもらった。
行き先は「モンタヴァン」。鍛冶と機械の都、ドワーフたちが住まう鋼の大地。そして、その中心都市――アイアンヴェイル。
料金は二人で銀貨80枚。金貨1枚には届かないが、決して安くはない。
けれど、それは投資だ。初心者商人なら、そこで武具を仕入れて売れば、利益が出ると思うかもしれない。
(…俺も、その一人かもな)
馬車の端っこの席を選んだ。景色がよく見えるし、背後に誰もいない。
イレーネは俺の膝の上にちょこんと座り、ぴたりと体を寄せる。
木製の固い座席に、過去の記憶がよみがえった。
深夜バスの硬いベンチ、寝心地の悪さ、冷たい空気――
(まさか、異世界でまた体験するとはな…)
乗客たちを見回す。
初心者らしき冒険者たちは、目を輝かせていた。
「ドワーフの剣、早く手に入れたいな!」「俺は槍がほしい!」
一方で商人たちは――もっと現実的だ。
「ひひひ…これで金の風呂に入れるぞ…」
「聞いたか? あいつら、鉱石を山ほど買うらしいぞ」
「ふっ…俺が先に独占するだけさ…」
そして、ひとりだけ…静かすぎる商人がいた。
笑顔は優しげ、だが目は冷たい。
(――この目、知ってる)
かつての世界で見た。人の利益しか考えない、金と力で全てをねじ伏せる者の目。
そいつからは自然と距離を取った。
御者に馬の種類を尋ねた。
「コーンだよ」
形は馬に似ていたが、筋肉質で、たてがみは濃く長い。まるで強化された軍馬のような風格だった。どうやら、これがこの世界の「馬」らしい。
馬車は動き出す。
帝国の環状都市を出て、次第に壁が遠ざかる。
高く積まれた石の城壁には、魔法の補強がされており、帝国の紋章――絡み合う二本の剣――が刻まれていた。
(じゃあな、始まりの街)
門が開き、風が吹き込む。
外の世界は、緑で満ちていた。
道に刻まれた馬車の轍、風に揺れる草、木々のざわめき。
そのすべてが「旅の始まり」を祝っているように感じた。
…ただ、一人だけ。
その空気に溶け込まない存在がいた。
馬車の隅。
フードを深くかぶった乗客。風が吹いても、そのフードは動かなかった。
ちらりと見えた横顔――翡翠のように澄んだ瞳。
そして、長く尖った耳。
(…エルフ?)
目が合った気がした。でも、すぐにそらされた。
イレーネは俺にしがみついたまま、小さく鼻歌を歌い、そして――すうっと寝息を立て始めた。
俺はその温もりを感じながら、青空を見上げる。
心は静かだった。
だが、俺は知っている。
この平穏は、永遠じゃない。
そして、次の戦いの時には――もう、針じゃ足りない。




