血の始まり
空気が重く、濃かった。
天気のせいじゃない。緊張のせいだ。
イレーネは小さな手で僕の手をぎゅっと握っていた。その鼓動は早く、僕と同じだった。周囲の冒険者たちは、茂みに隠れるように進んでいく。すでに死を見たことのある者のように、静かに。ある者は、恐怖を忘れるために冗談を小声で囁いた。
(これが彼らの戦い方か…)
そして、それは起きた。
パキッ。
乾いた枝が折れた。
最悪のタイミングで、新米の一人が踏んだのだ。
その音は、神殿に響く銃声のようだった。
ゴブリンたちが積み重ねた粗末な監視塔から、鋭い叫び声が響いた。
「ギィィィィィ——!」
だが、その声は途中で止まった。冒険者の矢が飛び、ゴブリンの頭蓋を貫いたのだ。糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
だが、遅すぎた。
もう、警戒はされていた。
「くそっ! 構えろ、この野郎ども!」
茂みが揺れた。
奴らが現れた。
ゴブリン。大量のゴブリン。
穴から這い出たネズミのように、石、骨のナイフ、棒切れ、そして割れた木の盾を手に、こちらに向かってきた。叫び声を上げながら、それは嘲笑か、あるいは僕たちをズタズタにしてやるという宣言か。
僕は両手で針を握りしめた。イレーネは僕の背後にいた。迷う余地はない。
(ここまで来た。今さら後悔なんてできない…)
前に一緒に旅をした仲間たちの姿はなかった。だが、他にもいた。
一際目立つ男がいた。
筋肉の塊。背が高く、頭は剃られ、大きな傷が顔を横切っている。獣のような男で、戦斧を杖のように振るっていた。
「ヒャハハハ! 混沌の斧団よ、見せてやれ! このクズどもに俺たちの力をよぉ!」
彼の周囲にいたのは似たような男たち。戦鎚、剣を手にし、魔法使いの気配はない。だが、圧倒的な暴力がそこにあった。
ゴブリンたちは一撃で裂かれ、盾ごと手が吹き飛ばされる。悲鳴。血の匂い。
だが、全員が愚かなわけではない。
何体かのゴブリンは、茂みをすり抜けてこちらに回り込もうとしていた。
一体が骨のナイフを持って僕に突進してきた。
「ギィィィッ!」
針の先端を喉元へ突き立てた。
(近づくな…)
もう一体が脇から飛びかかってきたが、肘で押し返し、目に一撃を加えた。
(イレーネ…)
振り返るわけにはいかなかった。ただ、彼女を守るために前だけを見る。
遠くでは、ゴブリンの監視塔から矢が飛んでいた。仲間をも巻き込む無差別攻撃。だが、僕たちにも被害は出た。腕、脚、背中に矢が刺さり、悲鳴が上がる。
わずかだが、反撃の矢も飛び始めた。弓と短剣を巧みに操る者たちが、茂みの中から応戦していた。
これは小競り合いだ。でも、僕たちにとっては戦争そのものだった。
最初の火花。
最初の警鐘。
死者はいなかった。だが、血は流れ、最後の悲鳴が消えるまで静寂は戻らなかった。
そしてようやく、僕は息を吐いた。




