洞窟の主(4)
空気は重かった。
まるで、糸で切れるかのように張り詰めている。
灰色のオークが一歩踏み出すたびに、地面が沈む。
その巨体は鈍そうに見えて、実際は違った。
一呼吸ごとに、首の筋肉がうねり、体中に潜む暴力を感じさせた。
そして――その目。
そこに憎しみはなかった。
あったのは、見下しと、嘲り。
笑った。
まるで、自分が既に勝者だと確信しているような、冷たい笑みだった。
―もう、やめろよ……
歯を食いしばった。
右腕が震えているのは、痛みのせいか、恐怖か。
それでも、手に持つ針は、地面に突き立てたまま――まだ、立っている。
俺は叫ぶ。
―ユニークスキル《縫合》……評価!
ウィンドウが開く。だが、すぐにエラーで埋め尽くされた。
---
《縫合(EX)– 自動評価》
「名前:グレイ・オーク(エリート)
レベル:???
HP:???
STR:非常に高い / VIT:高い / AGI:中 / INT:6
魔法適性:血
パッシブスキル:
▷ 緩やかな再生
▷ 臭跡追跡
アクティブスキル:
▷ 猛打
▷ 怒声
▷ 血の食欲
※ 情報の一部は閲覧権限不足のため表示できません」
---
―ふざけんな……何も見えないじゃねぇか
拳が振り上げられた。岩のような拳。
真っ直ぐに俺の顔に向かって――
(ここまでか……?)
ゴッ!
直撃はしなかった。
何かが、先にオークに当たったのだ。
石。小さな石。
それが、オークの左目に当たり、わずかにバランスを崩させた。
拳はわずかにずれ、俺の右腕をかすめていった。
―ぐぅっ……!
焼けるような痛みが走った。
でも、骨は折れていない。まだ、動ける。
顔を上げる。
そこに――
―イレーネ……!
彼女が立っていた。
小さな体で、手にもう一つ石を握って。
震えていた。でも、目は――燃えていた。
「彼に……近づかないで!」
オークは、低く唸った。
怒りに満ちた声。鼻を大きく開き、今度は彼女に向かって動き出す。
ゆっくりと。
だが、確実に。
イレーネは後ずさる。
もう石はない。逃げ道もない。
―やめろ。
―やめてくれ……!
―やめろおおおおお!!
――ユニークスキル《縫合》! 起動!
画面が開いた。
---
《縫合(EX)》
使用可能なアクション:
▷ 切る
▷ 縫う
▷ 取る
---
――縫う!
オークを選択。
そして、その足元の地面を選択。
……
エラー。
「リンクできません」
「無効な接続」
「操作不可」
「……エラ……ガ…ギ…ビビ…////」
画面がノイズに包まれる。
テレビのチャンネルが合わない時のような、乱れた光。
(……壊れた? いや、これは……)
ギィィン……!
針が動いたわけではない。
けれど――
オークの脚が、地面に縫い止められた。
影のような糸が、足から大地へ。
まるで「世界そのもの」が、それを許したかのように。
オークは、動けなかった。
目を見開き、信じられないものを見るように下を見た。
そして、俺を見た。
――俺の、大切なものに……触れるなよ。
針を手に、ゆっくりと歩く。
淡い青い光をまといながら。
オークは唸った。
怒りと、恐怖が入り混じった声。
だが――動けなかった。
そして、俺は――
初めて、笑った




