名前のない少女
まだ息が乱れている中、俺は地面に落ちていたミスリルの欠片を拾い上げた。
血で汚れてはいたが、傷ひとつついていなかった。
ただの金属の塊だったのに、ゴブリンを即死させた。
これがもし、ちゃんと鍛えられた武器だったら……?
針のような刃にすれば、敵の急所を正確に突ける。
けれど、その想像はすぐに霧のように消えた。
――今は、関係ない。
今は、あの子を探さないと。
小さな足跡をたどった。裸足で、深く、逃げるというより「ただ生き延びたい」という本能の跡だった。
そして、見つけた。
大きな木の根元、両腕で膝を抱きしめて、小さな身体を隠すように蹲っていた。
泣いてはいなかった。ただ、存在を消そうとしているようだった。
俺はゆっくりと近づき、彼女の目線までしゃがみこんだ。
「大丈夫、もう終わったよ」
最初は触れずに声をかけ、それからそっと頭に手を置いた。
逃げる様子はなかった。ただ静かに震えていた。
髪は長く、灰色がかった桃色のような不思議な色をしていた。
汚れに覆われて、本来の美しさが隠れている。
匂いも……強かった。
だが、それも当然だ。俺だって、ゴブリンの血と土と葉っぱにまみれてる。
「名前はあるか?」
彼女は小さく首を横に振った。無言の否定。
「そうか……じゃあ、“イレーネ”ってどう?」
すぐには反応しなかったが、やがて彼女の口元が、かすかに笑った。
理由もわからない、でもきっと悪くない。そんな笑み。
そっと顔を上げた彼女の瞳が見えた。
片方は、くすんだ紫。
もう片方は、白濁した光の中に星のような模様が浮かんでいた。
まるで精霊が宿っているかのような――そんな錯覚さえ抱いた。
「……よし、イレーネ。まずは寝る場所か、服を探さないとな」
彼女のボロ布を指さした。草と紐でつなぎ合わせた、今にも崩れそうな服だった。
「葉っぱを集めてくれ。なんでもいい。大きさも色も気にせずに」
彼女は頷き、黙々と作業を始めた。
役に立つこと、それが生き残る方法だと知っているかのように。
俺は枯れ枝を集めながら、時折「バブルミント」の葉も拾った。
指でこすると、強いミントの香りが立ち上る植物だ。
十分に集まった頃、俺は座り込んでスキルを発動した。
「……裁縫」
手のひらが光り、視界にオプションが浮かぶ。
材料を選択し、魔力が指先に流れた。
高速で動く手、わずかに輝く指。
自然が俺に応えるかのように、葉と枝が織りなされていく。
そして、完成したのは――
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鑑定結果
名前: ドリアードの衣
レアリティ: アンコモン(少し珍しい)
> 森の贈り物で作られた衣。
熟練した職人の手によって生まれた。
効果:
HP・MPを毎分2%自然回復
常に身体が清潔に感じられる
フレッシュなミントの香りを放ち、虫を遠ざける
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「これ、着てみて」
イレーネはおそるおそる手を伸ばし、葉の服を受け取った。
匂いを嗅ぎ、ほほをすり寄せ、またあの微笑みを見せた。
彼女が着替える間、俺は古い服を鑑定してみた。
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鑑定結果
名前: ボロ布
レアリティ: コモン(ゴミ)
> かつては衣服だった。
汚染され、破れ、保護性能ゼロ。
着用者にかゆみ、皮膚病、羞恥心を与える。
存在価値なし。
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「……ひでぇ」
苦笑いしか出なかった。
だが、気になった。
このスキル……今の俺なら、「人間」も見られるはずだ。
好奇心半分で、イレーネに《鑑定》をかけてみた。
パネルが展開される。
情報が次々に表示され――
……そこで、止まった。
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> ステータス:イレーネ
種族:ヒューマン(?)
推定年齢:9歳
魔法適性:???
レベル:1
スキル:なし
特殊状態:▶ 成長の呪い
俺は固まった。
「……呪い?」
鼓動が速くなる。
指が勝手に、パネルの詳細へとタップしていた。