『父の話』 彼は変わり者である
パッと思いついたので、プロットらしいプロットもないまま書いてしまいました……
そこは薄暗く、針一本落ちた音でも聞き取れそうなほどの静寂に満ちていた。どこまで続くのか先が見えない通路を作るのは、巨人のごとき高さを誇る書棚の数々。また、どの棚にも古めかしい装丁の書物が収められ、歴史の重みがこの場に満ちているようであった。
ここは、書棚と書物で作られた神殿だ。全ての書棚にはガラスの扉が付いており、扉には蔦や葡萄、小鳥、オリーブの枝など細かな装飾が施されている。
天井から下がる、淡い光を放つシャンデリアも、王宮で使われていたものだと言われれば、誰もがさもありなんと頷くほどに素晴らしい品だった。
ここは【古書の迷宮】無名に近いダンジョンである。ダンジョンと言えば、攻略難易度に合わせて冒険者がひっきりなしに訪れそうなものなのだが……この古書の迷宮は、そうならなかった。理由は簡単で、攻略するうまみが全くなかったからである。
まず、モンスターが出ない。このため、ドロップ品が拾えない。
トラップがない。宝箱もない。つまり、経験も収入も何も得られるものがない。
よって、すぐに見向きもされなくなったのである。
【古書の迷宮】にあるのは、いつの時代の物かも定かではない、蔵書数不明の古書と無数に仕掛けられたギミック。この2つだけであった。
「ここに、これを……はめて……こっちに動かして……」
ただ、世の中には決まって変わり者と呼ばれる人間がいる。
彼、デニス・アスマンもその1人。彼は、セントール学園で魔道具に関する授業を受け持つ、講師である。その傍ら、休日には【古書の迷宮】にこもり、ギミックを解き明かすことに夢中になっていた。
──というのは、半分ウソである。もちろん、ギミックを見つけ、その仕掛けを1つ1つ解いていくのは楽しい。夢中になっていることも事実だ。
しかし、正しく言うのであれば、デニスが攻略できるダンジョンは【古書の迷宮】しかなく、不満を抱えながら、攻略していく内にギミックの攻略にハマった、ということになる。
戦闘は苦手。魔法は平均。体力はそこそこで、器用ではあるが、シーフとしてやっていくには、俊敏さが足りない。冒険者登録はしているが、万年Dランク。それが、デニスだ。
それでも、知恵を貸してほしいと頼られることもある。デニスは──時々むなしくなることはあるものの、本業は講師だということもあり──さほど悲観していなかった。
「これは、こっち……だよな? うん、合ってる。それから、これが──」
彼が今向き合っているのは、大きな赤銅の扉である。過去、この扉の他にも、黄金や白銀、黒鉄など、様々な扉を発見してきた。それぞれの扉には、楕円の溝が幾つかと溝に嵌められた台座のような物。この台座もどきには何かを嵌めるくぼみがあり、動かすことができた。
くぼみに嵌める石を探して見つけ、それをくぼみに嵌めて台座を動かし、ああでもない、こうでもないと試行錯誤の日々。台座に嵌めた石は、惑星を意味するのではと考え、さらに手がかりを探し──今日も挑戦中である。最後の惑星を正しいと思う位置に持って行き、
「よし……! これで、全部……どうだ?! 開くか……ッ!?」
デニスは、扉から一歩離れ、反応を待った。
生唾を飲み込み、じっと扉を見つめる。
ズ……ズズッ……!
重い物が動く音がする。ゆっくり、ゆっくり……けれど、次第に早く。
来た、来たっ! 来たぁッ!!
この瞬間がたまらなく好きだ。謎を解くのに費やした苦労が、この一瞬で報われる。
正直なところ、何度も挫折したのだ。
【古書の迷宮】のギミックに終わりはない。もう、解くのは諦めよう。解いたところで、誰も褒めてくれないだろうし、何も得る物はないだろう。
休みのほとんどを【迷宮】の謎解きに費やすため、交友関係は狭く、恋人もいない。
実際、【迷宮】から離れたことだってある。3か月程度しか離れられなかったが……。
結局のところ、デニスは【迷宮】に魅入られてしまったのだろう。これはもう、諦められないと諦めるしかない。そう悟ったのが、3年ほど前のこと。
それからも、コツコツと時間を見つけては【迷宮】に来てギミックの解除を続けてきた。
「さて……次は……っと……真っ暗だな。何も見えない」
これは、珍しい。【迷宮】は親切設計で、これまで完全な暗闇とは縁がなかった。
デニスがいるこちら側も薄暗いとは言え、ランプなどの明かりがなくても問題ない程度の明るさはある。しかし、本を読むとなると障りがあるので、デニスは【迷宮】にランプを持ち込んでいた。と言うのも、【迷宮】の書物は外に持ち出すことが出来ないのである。
ということで、デニスはランプを持ち込み、ギミックを解くことそっちのけで、書物を読むこともあった。古書から最近の論文まで。迷宮の収蔵数には、驚かされるばかりである。
古書はともかく、最近の論文などについては、誰が手に入れてここに収蔵したのか。大いなる謎ではあるが──解くためのヒントは全く見当たらない。
「この暗闇もギミックなのかな?」
鞄の中からランプを取り出し、明かりを点ける。余談ではあるが、このランプはデニスが自作した魔道具だ。
ランタンタイプのそれを高く掲げ持ち、デニスは暗闇の中を覗き込んだ。明かりは遠くまで届かず、何も分からない。
「おかしいな。もう少し光が届いてもいいはずなのに……」
今度は下におろし、足元を照らしてみる。
「石畳? 珍しいな。それにこれは……魔法陣か?」
灰色の石で覆われた床の上には、赤黒い線があった。それはきれいなカーブを描いていると同時に、その側に魔法文字を見つけることもできた。
「一体、何の魔法陣なんだ?」
スタート地点の目印として、空っぽになった魔石を置き、そこからカーブを描く線を追いかける。ぐるりと一周したところで、カーブは円の縁であり、魔法文字はその内側に書かれているものだと確認できた。
魔法文字は、デニスの知識にない。今はもう使われていない、フォルスマ文字に似ているので、魔法文字だろうとあたりをつけたのだが。
これが本当に魔法陣であるなら、当然、円の中心にも図形なり、文字なりが書かれているはずである。新たな謎に胸を躍らせながら、デニスは魔法陣に足を乗せた。直後──!
「っな!? 何でっ……?!」
魔法陣が起動したのである。陣は、白く光り輝き、デニスから視界を奪う。
普通、魔法陣を働かせようと思ったら、魔力を込めなければならない。それが、働かせるための最低条件だ。デニスが深く考えずに、魔法陣に足を乗せたのも、魔力を込めなかったからである。驚いたのも、同じ理由だ。
真夏の太陽を直視するかのような、強烈な光にデニスは目を瞑り、腕で目元を庇った。それでもなお、光は瞼の裏を焼く。
時間にしてみれば、ほんの一瞬だっただろう。それでも、デニスの意識や思考を吹っ飛ばすには、十分であった。