11:弾劾スティグマ
それから僕たちは自転車にまたがって、すぐ近くにある市立図書館に向かった。
休日とはいえ館内はなかなか盛況で、カリカリとペンを動かす学生やソファで寝息をたてる年配の方、果てには幼稚園くらいの女の子が笑いながら走りまわっていた。賑やかさという点において、ウチの学校の図書室とは段違いだ。「待ちなさい!」と注意しながらあたふたと子供を追いかける母親を尻目に、僕たちはシバサキヨウタの自殺記事を読むため、設置されているパソコンに向き合った。
ここ最近、市の方針で新聞をデータベース化し、画面を通して見れるようにしたらしい。楽々操作で場所もとらないを合い言葉に達成された目標であったが、さすがに初めてともなると慣れない操作に四苦八苦だ。なんとか検索窓に適当な日付を入力し、1ヶ月ほど前の地元新聞にたどり着く。
お目当ての記事を見つけるのにそう時間はかからなかった。
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高校生三年生、自殺。原因は受験ノイローゼか?
18日、早朝、××県××市郊外の山林で、近所の高校に通う3年の男子生徒(17)が首をつって死亡しているのが見つかった。学校の机から遺書のらしきメモ書きが見つかっており、警視庁××署は首つり自殺を図ったとみて詳しい経緯を調べている。
同署によると、男子生徒は木にかけられたロープのようなもので首をつっており、18日午前6時15分ごろ近所の住人が見つけて110番通報。駆けつけた警察官がその場で死亡を確認した。
学校側はいじめなどの事実は否定しており、配慮が足りなかったと、原因を究明すると語っている。
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短い記事であったが、これがシバサキヨウタの死の説明である。
「大まかな流れは説明した通りね。残念ながら、警察はそれほど調査を進める気がないみたい。年間自殺者三万人の数字に、彼の死は埋もれてしまった、ってわけ」
椅子に座る僕の横で、パソコンを覗きこむように見ていた鳥山千歳は冷たく言い放つと、かがめていた腰をあげ、「ん〜」という気持ちよさそうな声をもらした。
「これといって目新しい情報はありませんでしたね」
僕の呟きに「そうね」と抑揚もなく応え、彼女は再び腰をかがめた。そうしてパソコンの前に座っている僕に目線を合わせると、
「これからどうする?他に行きたいとこある?」
つり目がちの瞳で僕を覗きこみ、デートの計画を練るみたいに軽く尋ねた。
「……そうですね」
『トップページに戻る』をクリックし、マウスから手を離す。画面の中では、スクリーンセーバー代わりに市のシンボルマークが魚の遊泳みたくうろちょろと動いていた。
「ああ、現場に行ってみたいです」
「現場っていうと、シバサキヨウタが首を吊った、蛇籠森?」
「はい。なんだかんだでまだ一度も手を合わせていないので」
昨日の帰り道に見かけた女生徒を思い出し、キャスター付きの椅子から腰を浮かせる。
「そういえばそうね」
鳥山千歳も異論はないらしく、肩口で切りそろえられた茶色い髪をパサリと頷いた。
それから駅前のフラワーショップで弔い用の花を買い、昨日の夜いろいろあった空き地に向かった。相変わらず人通りは少ないが、昨日と違い太陽が明るく照らしてくれているので、恐怖が湧き上がることはなかった。
「そっちじゃないわ。こっちよ」
さすが第一発見者。迷うことなくスイスイと奥の林に入っていった。
色付き始めた葉に光が遮られ、薄暗闇の中を、彼女に続いて歩みを進める。
「こんなわかり辛いとこで、彼は死んだんですね」
「ここじゃないわ。もっと奥よ」
「奥?原生林みたいなんだけど……」
「これでも最低限の管理はされてるのよ。自然を保つのは大変なんだから」
正確に言うなら、そこは林というよりは森だった。しかも傾斜があり、頂上にかけて葛折りになっている。もしかしたら学校の裏山、に該当するのかもしれない。
山歩きには慣れているらしい鳥山千歳の背中を刷り込み完了した子鴨のように、たどたどしく追いかける。
「よく遺体を発見しましたね。明日筋肉痛になりそうです」
規則性のないでこぼこ道に足を取られる僕を、彼女は振り返りもせずに言った。
「私じゃなくても、いずれ発見されるのは確かよ。この辺りには祠があって、よくお宮参りの親子連れが来てるから」
人通りがあるらしく地面は踏み固まり、道ができている。
「鎮守の森とまではいかないけど、それなりに名のある土地神を祀ってるみたい。だから切り崩さずに残してあるの」
「そんなとこに許可なく入っていいんですか?」
「別に。近所のガキは神様なんて関係ねぇってくらいに走りまわってるし、社だって人が来なきゃ意味ないじゃない。あなた蛇籠神社って知らないでしょ」
「地元の地理に疎いんです。なんにせよ地主の人は大変ですね」
「どうして?」
彼女は急にに振り返って僕を見据えた。
「だって人死が出るって大問題だし」
「ああ、そう」
「そんな適当な」
「正直言うと別に困ったような事態にはならなかったし、強いて云えば警察がうざかったくらいね。面倒な書類処理とかは、全部丸投げしたから」
「え?」
その妙な口振りに一瞬頭がぽうっとしてしまう。
「まさか鳥山さん所蔵の山なんですか、ここ?」
「正確にはお父様の山。うちの家系、無駄に金持ちだから」
お嬢様っぽい高飛車な性格だと思っていたがまさか本物だとは。
「言っておくけど、あなたたちが学校に通えるのもお父様のおかげよ」
「と、突然なんですか……?」
二の句が告げない僕にどこか誇らし気な彼女はフフンと鼻を鳴らすと、チェシャ猫のようにニィと笑った。
「……まさか、学校の理事?」
そんなわけないと思いつつ、呟いた答えに、鳥山千歳は心底おかしそうに噴き出した。
「すっごい顔よ」
けらけらと一通り笑い終わると彼女は僕の答えに一言だけ「正解」と付け加えた。
坂井珠希の学園環境を優遇処置していると噂の理事長、の娘。金髪少女を甘やかすのは血筋だったのか。
僕がなにも言えずに黙っていても彼女は気にした風もなく、直ぐに正面を向き、段差となった山道を相変わらず軽快な足取りで歩を進めた。
衝撃のカミングアウトに今のうちに媚びを売っておこうかとも考えたが、ただ純粋に二人の間で流れる沈黙が気まずかった。
「鳥山さんは一人暮らしなんですか?」
勾配になれないスニーカーを泥だらけにしながらも、疲労を忘れるため雑談を選択する。
「先生と、昨日行ったアパートで二人暮らししてるの。本家からの仕送りだけで生活をやりくりするのはなかなか大変なんだから」
「もうちょっと住みやすい場所はなかったんですか?」
「学校から一番近い立地がアソコだったのよ。元々は画家の知り合いにアトリエとして譲っていたものだから、目立たない場所にあるし、最低限の住環境は整ってるしね」
「まあ二部屋も借りてれば狭苦しさは感じないか」
昨日の応接間とココア作りに使っていた部屋、その2つを思いだしながら呟いた僕に、
「二部屋?なにを言ってるの?」
彼女は首をひねりながら続けた。
「あのアパート自体ウチの所有物よ。痛んでるけど耐震性はなかなかなんだから」
気が付くと何も言えずにポカンと口が開いてしまっていた。
「まあ。あたしは先生の一人暮らしに無理やりついてきたみたいなものだから、住居くらい提供しなきゃ」
「ずっと疑問に思ってたんですけど」
昨日の車の中で、彼女が受話器口に喋っていた時から、ある一つの疑問が、僕の頭の中には存在していた。
「鳥山さんのが、年上ですよね。なんで坂井さんを先生って呼ぶんですか?」
少なくとも、自動車免許を持つ彼女は僕らより二歳以上年上になる。無免でなければだ。
「昨日言ったでしょ、お世話になったからよ。先生のおかげであたしは救われたんだから」
そりゃ立派な心構えで、と口に出さず「ふーん」と鼻を鳴らした僕に鳥山千歳は不服そうに細めた瞳を向けてきた。
「ところで敬語やめてくれない?」
「どうしてです?」
現代文の成績に自信はない。表現が間違っているかもしれないのは百も承知だが、それでも相手を不愉快にさせるレベルだとは思わなかった。
「敬意もなしに使われる敬語は、相手との距離を一定に保つ言葉の壁よ」
「わからないでもない、ですけど」
「あたしと先生の関係のように相手を認めた敬語でなければ意味をなさない」
「なるほど」
「フレンドリーに話そう、とまでは言わないわ。だけど言葉に鎧を纏った人と話をしてると、悪いけど寒気がしてくるの」
「了解。気をつけるよ」
「お願いね」
自然体で会話できるのは、こちらも願ったりかなったりだ。急に言葉遣いを変えるのは違和感があったが、そんなの数分もたてば忘れるだろう。
「それから『さん』付けもしなくていいわ」
さすがにこれには戸惑った。
「千歳ってよんで。敬称なんて無意味だから」
「で、でも」
「鳥山よりはそっちの方がわかりやすいでしょ」
ちとせ、ってのは彼女の下の名前だ。女性を呼び捨てなんて、初経験ではないにせよ、小心者の僕には少しだけ勇気のいる行為だった。
「ち、千歳は、死体を見つけた時はなんでこんなとこまで来たの?」
気恥ずかしく思いながら、予定していた疑問文を打ち出す。
彼女は呼び捨てにされたことより、質問の内容に戸惑っているらしく、じっくりと長い息を吐いてから続けた。
「そうね。敢えて日本語に当てはめるなら厄祓いと言ったところかしら」
今は秋口だ。元旦以外であまり耳にしない単語に、神社にお参りでもするのだろうか、と首を傾げる。
「さっき説明したように、ここは霊的地場で朝日には不浄を浄化する力があるから」
新聞記事での遺体発見時刻について思いだす。朝日ってのは記事にあったシバサキヨウタの死体を見つけた6時という早すぎる時刻についての説明だろう。
「正月でもないのになんでそんなこと」
「先生の誕生日に合わせて下準備というわけ」
健気な舎弟だ。話を聞くかぎりかなり由緒正しき家系の千歳を手駒にするだなんて、坂井珠希はよほどの有力者なのだろうか。
「先生の生まれた地方では、厄払いに森で取れた木の実を歳の数だけ食べるって風習があるらしくて、すこしでもあの子の身が軽くなればと」
「?」
当然ただの高校生の僕が民族学的風習に詳しいはずもなく、坂井珠希がどこの地方の生まれなども知る由もなかった。
そんな習わしの最中に死体を見つけるなんて不幸としかいいようがないのではないか。
「ほら、これ」
彼女は腰をかがめて、道端に落ちていた小さなドングリのような木の実を拾った。
「椎の実よ。煎ればなかなか美味しいんだから」
「へぇ、詳しいんだ」
誉められて気をよくしたのか、誇らし気に鼻を高くしていた彼女の顔が曇ったのはそれからすぐのことだった。
「あった」
「え?」
「たしか、この木」
変哲もない、一本の木。その幹を撫でながら彼女はぼんやり呟くみたいに言った。視線を根の方に移せば、確かに真新しい花束が捧げられている。昨日見かけた女生徒のものだろうか。
それの横に、さっき買ったばかりの花束を並べ、千歳と目配せをし、僕らは静かに手を合わせた。
シバサキヨウタ、さん。
あなたがなにを思って自殺なんてしたのか知りませんが、
死んでしまった人を悪く言うつもりはないが、これだけは言わせてほしかった。
僕だって衝動的に死にたくなる時がある。でも実際、自分で命を断とうなんて、バカのすることだ。
はっきり言うと迷惑。
泰礼祭が中止になったことに対しての怒りじゃない、彼の死という損失が、僕らの世界にもたらした変化に対してだ。
静かにそれだけ伝えると僕は合わせていた手を離した。
死に場所に選ばれた木が、彼にこの念を届かせてくれるとは思わなかったが、届いてくれればいい、と千歳と目があった僕は頷いた。




