2. 試練の始まり
◇ ◇ ◇ ◇
「ちょっとアリス姉さま、いつまで寝てるのよ、早く起きなさいよ!」
突然、義妹のイサドラの甲高い声が部屋中に響いた。
母の喪も明けないうちに、早朝から私の部屋に勝手に入り込んで、義妹は仁王立ちして睨んでいた。
「イサドラ……朝から何なの?」
私は母の死後から体調を崩して、2週間たっても良くならなかった。
特に朝方はとても体がだるくていつも眠かった。
「もう寝ぼけて⋯⋯いい加減起きなさいよ! これからはこの部屋は私が使わせてもらうわ」
「え、だってあなたの部屋があるじゃないの?」
「あんな日当たりの悪い狭い部屋、もうたくさんよ!私はこの広い南向きの部屋がいいの。それにアリスお姉さまのドレスルームの夜会ドレスや、豪華なアクセサリーも私の方が良く似合うしね。既にお父様には了承済みよ!」
「何を言ってるの?」
「いいからさっさと起きなさいよ!」とイサドラは私の羽毛布団を無理やり剥ぎ取った。
「や、ちょっと……」
さすがに寝ぼけ眼の私も一気に目が醒めた。
何やら義妹は理解不能な理由をつけて、私の部屋を奪おうとしてるらしい。
私は何も分からぬまま寝間着だけで、住み慣れた部屋から冷え切った廊下に追い出されてしまった。
その時の私は、まだイサドラの仕打ちが、不幸の序章に過ぎなかったとは知る由もなかった。
◇ ◇
母亡き後、私は召使のようにこき使われるようになった。
自分の部屋もイサドラに取られて、1階の台所の隣にあるメイド部屋に放りこまれた。
そこは私の専用メイドのアンナたちを含め、他の若いメイド4名の部屋で、2段ベッドが3つと箪笥と食卓が1つあるだけの大部屋だった。
「おお、アリス様が何故私どもの部屋に?」
専属メイドのアンナが憐みの目で私を見つめた。
他の使用人たちも真っ青な顔をしていた。
──酷い、これはあんまりよ。
私は理不尽な事をされていると怒りに燃えて、義父の書斎へいき猛然と抗議した。
さすがに伯爵家の長女である私が妹に個室を取り上げられてメイド部屋で暮らせとは、どう考えても理不尽すぎる。
義父にイサドラの横暴を問いただしたが、なんと義父は私に思いっきり平手打ちをした。
義父は大柄な体格だったので、その平手打ちの威力は凄まじく私はよろけて床に倒れた。
「お義父様!」
「お前は娘のくせに家長の私に逆らうのか!さんざん贅沢三昧してきたくせに。これからは妹のイサドラに分け与えろ!」
「!?」
──お義父様!
これはいったいどういう事なの?
私は平手打ちされた衝撃以上に、義父の冷酷な表情を目の当たりにして驚愕した。
義父の顔は母の生存中は一度たりとして見なかった恐ろしい形相だったのだ。
私への憎悪の色がありありとその目に宿っていた。
「ふふアリス、父さんには逆らわない方がいいよ。もう守ってくれる義母さんは死んだんだ、お前は今まで屋敷内で甘やかされ過ぎた。ふん、これからは以前と同じ待遇だと思うなよ」
父の隣にいた義兄まで、私の叩かれた顔を見てニヤニヤと冷笑した。
この後、私は叩かれたせいで口内を切って内出血をしてしまう。そのせいで片頬が赤く腫れあがってしまった。
「なんとまあアリス様の可愛い顔が……おいたわしい」
「アンナ……」
メイドのアンナは私の腫れ上がった頬を氷で冷やしながら嘆いた。
冷たい氷の心地よさとアンナに労わられて、私の心は少しだけ慰められたが、初めて義父に平手打ちされたショックで、頭の中は愕然と打ちのめされていた。
何よりも義父たちの冷淡な言葉が、ナイフのように鋭く私の心を抉った。
──酷いわ、お母様がいた頃は、少なくとも義父様とお義兄様は、私を家族の一員として一応の礼儀は尽くしていたのに。
何故、突然に──こんなにも変わってしまったの?
いくら血のつながりがなくても共に家族と暮らして、既に3年の月日が経過していた。
母を亡くしたばかりの私に、義父から平手打ちされるとは夢にも思わなかった。
私は義父に叩かれた頬の痛み以上に、心が凍りついた。
同時に突然恐ろしい現実を実感した。
──私はお母様を失くして、とうとう独りぼっちになってしまったんだ。
その夜、私はアンナたちに気付かれぬようにベッドの中で、母の形見のペンダントを握りしめた。毛布を被って声を押し殺して咽び泣いた。
◇ ◇
この後、弁護士から聞いてわかったが、母の遺言状にはメンデル伯爵家の領地及び別荘や屋敷等を処分する際は娘のアリスに一番多く分配するように──との記載がされていたそうだ。
つまり亡き母の私への愛情が仇となって、遺言状の分配額を知った義父はそうとう気に入らなかったのだろう。
だからお義父様は私にあんな酷い仕打ちをしたんだわ。
私は父の態度が豹変した原因を知った。
そしてその時、母が残した遺言状の他に、私が婿を貰わずに他家へ嫁げば無効となると、弁護士から教えてもらった。
私が他家へ嫁げば一部の持参金だけ貰って、残りの遺産は全て義父たちのものとなる。
でもあの義父の事だ。すぐにでも私を厄介払いとして何処かへ嫁がすだろう。
ああ、御先祖様からの土地や家屋、全てをあの悍ましい人たちに奪われるのは嫌だ。
義妹のイサドラはすでに丈が合わないといって、私のドレスを何着も仕立て直してる。父母からもらった記念のドレスもズタズタに裂いて平気で着ているのだ。
私は義父たちが無性に腹ただしくなった。だがどうする事も出来ない。
いったい私はどうしたらいい?
このまま義理父たちと暮らすのも嫌だったが、さりとて私が嫁にいけば、先祖代々の伯爵家の遺産を湯水のように彼等が使うのは目に見えている。
この時の私はただ途方にくれていた。




