七の段 犬神憑きの怪(後編)③
「では、そちらに。琥春、頼む」
「了解」
軽いな、と思いながら琥春は孝史郎を見る。暴れた所為で、着物の胸元がはだけていた。
(え……?)
胸元からは、いくつかの青あざが覗いている。
違和感を覚えながら、孝史郎を別室の寝台へと運んだ。
孝史郎はすやすやと寝息を立てている。
「ああ、良かった……。私の孝史郎……」
トキエは孝史郎の頬を撫でながら、喜びの涙を流す。
琥春は先ほど気になったことを浦良に耳打ちした。浦良はその内容に驚き、目を見開いた。
「今から孝史郎さんに浄化を施します。すいませんが、トキエさんと桃子さんはご退室願えますか」
トキエは少しだけ訝し気な顔をした。
「犬神の呪いが少しでも残っていた場合、浄化の際、第三者に呪詛が飛散する場合があります。念のためのご退室です。数分で済みますので、ご心配なさらず」
「わかりました」
トキエと桃子はお互い顔を見合わせ、部屋を出ていった。
それを見届けた琥春と浦良はお互いに目配せをし、孝史郎の着物を脱がす。咄嗟の行動にひよりは驚いた。
「浄化って裸の状態で施すんですか?」
「さっきのは、人払いのための嘘だ」
「え!?」
状況が飲み込めないひよりは、一人であたふたしている。
男子の裸をまじまじと見るのも申し訳ないと思い、ひよりは孝史郎から目を逸らそうとした。が、目に飛び込んできたものに愕然とする。
「え……。この痣は一体……」
着物を脱がせた上半身には、痛々しいほど無数の痣があった。中には鞭で打ちつけられたような跡も見受けられる。
「さっき運ぶときに胸元から痣が見えたんだ。確認するために脱がせたが、想像以上の数だ」
「暴れて打ち付けた……にしては、不自然な痣ですね」
「そうだな。痣の色味を見るに、つけられてから数週間は経っている」
三人は顔を見合わせた。
「そもそも、先ほどの犬神は不自然だった。本来犬神は祓詞だけで除霊できるほど容易い憑き物ではない」
「どういうことですか?」
「犬神を孝史郎さんに憑けた術者は、本気で孝史郎さんを呪いにきていない」
琥春とひよりは絶句する。
浦良は頭を抱えた。
「だが、だとしたら術者は一体何のために孝史郎さんに犬神を憑けたんだ……」
トントントン。
扉をノックする音が聞こえた。
「……まずい。少し時間をかけすぎて怪しまれたか。とりあえず浄化は済ませたということで口裏合わせを頼む」
琥春とひよりは頷いた。
孝史郎に衣を着せてから、浦良が扉を開けるとそこには桃子がいた。
「……桃子さん」
「すいません。そろそろ終わる頃かと思いまして」
「はい。今、終わったところです」
寝台の方を見た桃子の顔がぱっと明るくなった。
「孝史郎さん! 起きたのね」
孝史郎は長い眠りから覚めたようにもぞもぞと動き、瞼を薄らと開けた。
「桃子姉さん……」
知らない顔ばかりの中で、桃子の姿を見つけた孝史郎は安心したように微笑んだ。
「よかった……」
桃子はくぐもった声で囁きながら、孝史郎を優しく抱きしめた。
弟がいるひよりは、桃子と孝史郎の姿を自分と弟に重ね、温かい気持ちになった。
「浦良先生、私たちは退室しませんか? 姉弟の再会の邪魔になるかも」
「……そうだな」
琥春たち三人は部屋から退室した。
一階の居間へ行くと、トキエが椅子に座って待っていた。
「浦良先生! 孝史郎の浄化は?」
「今終わりました」
「よかった」
トキエは手を胸にあて、安堵したように顔を綻ばせる。
「先生方は朝食が未だでしたね。今、女中に用意させますので、こちらで待っていてください」
トキエが立ち上がり、女中を呼びに行こうとしたところを「トキエさん」と浦良が引き留めた。
「櫻子さんの住まいはこの近くですか?」
「櫻子」という名前に反応するように、トキエは眉をひそめた。
「ええ。近くも何も、目と鼻の先です。この家を出て左隣から二軒目。この村で二番目に大きい家ですから、すぐに分かると思いますわ」
「気になることがあるので、朝食を終えたら櫻子さんの自宅へ伺おうと思います」
「気になること?」
「今はまだお話できませんが、あとで必ず報告します」
トキエは訝し気な顔をしたが、浦良が何も答えないのを確認すると、女中を呼びに居間を出ていった。
「浦良先生、どうして櫻子さんの家へ?」
先ほどから疑問に思っていたひよりが尋ねる。
「犬神のもとになった犬を探しに行く」
琥春とひよりの口がポカンと開く。
「どういうことだ? 詳しく説明しろ」
浦良は出入口の方へ視線を遣り、誰かの気配がないのを確認した後、二人の方を向いて小声で語りだした。




